上野
浅草橋の我が家から、上野公園まで、8千歩、6㎞の散歩です。
①戦前の木造建築・・・・・・・・・・・・浅草橋から上野まで、戦前の木造建築を撮りながらブラブラ、、、、、
・・・・・・・・・・・・・清水勝商店+1・・・・・・・・・・浅草橋2丁目の木造2軒長屋。銅板の外装も見事。 昭和初期の建物と推定。
・・・・・・・・・・・・・・・W邸・・・・・・・・・・・木造3階建ての戦前の住宅。 外装は張り直されているが、以前は下見板を押縁で留めた板張りであった。 私の小学校通学経路に建つ、思い出ある建物。
・・・・・・・・・・・・・・A邸・・・・・・・・・・わが母校「旧柳北小学校 」の近くに建つ、出桁造りの商家の建物。
・・・・・・・・・・・・・IU邸+4軒長屋・・・・・・・・・・・A邸の前には、小唄か日舞の御師匠さんの家みたいな粋な一軒家があり、前を通るたびに奥から『チョイと兄さん、お寄りなさいな!』と声が掛りそうだ! その隣には、木造4軒長屋が並び、味のある景観をつくっている。
・・・・・・・・・・・・・・鶴の湯+2軒長屋・・・・・・・・・・・浅草橋5丁目の銭湯と木造の長屋。 私の家族も利用した銭湯だ! 桁の張り出した長屋である。
・・・・・・・・・・・・・・4軒長屋・・・・・・・・・左端の家も棟続きで4軒長屋となっている。 戦前のトタン張りの建物。
・・・・・・・・・・・・・木造一軒家・・・・・・・・・・・鳥越1丁目にあった、押縁下見造りの木造建物。 もう、この手の建物は、補修も大変で、少なくなってきた。 私が幼き頃、神田に住んでいた祖父母の家も、見た目こんなような家で、懐かしさを感じたね!
・・・・・・・・・・・・・3軒長屋・・・・・・・・・台東3丁目の銅板建築の長屋。 昭和初期の建物か?
・・・・・・・・・・・・・・西郷医院+銅板建築・・・・・・・・・・文化財級の診療所建築で、チョイと見には木造建築とは思えないほど保存状態がいい。 玄関の円柱、半円の飾りが付いた窓、昭和レトロの建築。 隣の銅板建築のいいね!
②9軒長屋+9軒長屋・・・・・・・・・・台東4丁目には、9軒長屋が向い合せに建つ路地がある。 車も入れぬ路地だから、今も建て替えられず、温かみある下町の生活空間が残されている。 できれば、このままの状態で、国の重要文化財に指定したいね!
・・・・・・・・・・・・・・路地の入口兼出口。 バイクなら、なんとか入れそうだが、無理は禁物!
・・・・・・・・・・・・・・左右に並ぶ18軒、路地に点在するマンホール、玄関先にはエアコンと洗濯機、、、、、、、一言、“凄い!”
・・・・・・・・・・・・・・狭くても、チャント、隣の家との仕切りがある。 長屋と言えども、この感性が“下町”だ!
・・・・・・・・・・・・・こちらのお婆さん、元気よく外出帰りで、私に、家に入るよう勧めてくれた。 帰りには2階からお見送り! 再会するのを楽しみに、それまでお元気で!
③不忍池・・・・・・・・・・・・ハスが咲き始めた!
④下町風俗資料館・・・・・・・・・・子供の頃を思い出す、“懐かしさの塊”。 浅草六区、吉原、上野公園、そして我が家の周り、、、、、台東区の戦前、戦後を語る資料と復元家屋で、興味津々!
・・・・・・・・・・・・・・下町の路地裏・・・・・・・・・これは、私の時代だ!
・・・・・・・・・・・・・・商家の店先・・・・・・・・・こちらは大正時代かな? 残念だが、この時代は知らん!
・・・・・・・・・・・・・・オ~~、駄菓子屋の店先、ラムネ、アンズ棒、のしイカ、メンコ、、、、、、あるある、思い出がある!
・・・・・・・・・・・・・・オ~~、年頃になって憧れた銭湯の番台だ! 台秤も懐かしい! 踏み台は、子供の頃、風呂銭を払うのに手が届かず、のって払った覚えがあるね。 その瞬間、チラリと向こう側が見えたりして、、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・どこかで見たような家だ! 窓の外には、割烹着とくりゃ、展示した学芸員の芸の細やかさに敬服。
⑤清水観音堂・・・・・・・・・・・・・・・上野の山に建つ、京都清水寺を模した舞台造りの堂で、寛永8年(1631)、天海大僧正により建立された。 天海大僧正は、比叡山に倣って「東叡山寛永寺」を開き、江戸城の鬼門の守りを託した。 その東叡山に、京都の諸寺になぞらえた堂宇を建立した、その中の一つである。 国の重要文化財。
⑥時の鐘・・・・・・・・・『花の雲 鐘は上野か 浅草か』と、芭蕉が詠んだ鐘である。 上野精養軒の玄関横にある。 寛文9年(1669)に設けられ、現在も正午と朝夕6時の一日3回、毎日時を告げている。