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2014年8月 1日 (金)

東京都慰霊堂

『あついあついと 言われた仲も 三月せぬ間に あきがくる』と、言われてみたい、姐さんはいずこに! 連日暑さ、妄想だけでも楽しみたいね!

『暑い暑いと 言われた夏も 三月せぬ間に 秋がくる』と、連日の暑さに自分を慰め、朝から渡るは隅田川! 向かうは、病院のCT検査室! 美人の検査技師が二人で、手取り、足取り、ベッドに寝かされ、造影剤の注射、最後はCTのトンネルへ突入!

終われば、『結果は来週、皮膚科で聞いてください』と、会計の窓口へ促された。

・・・・・・・・・・・病院の帰り、1か月後の震災記念日を思い出し、近くの震災記念堂(現在は「東京都慰霊堂」 が正式名称)へお立ち寄り。

①東京都慰霊堂・・・・・・・・・・・大正12年(1923)の関東大震災で身元不明の遺骨を納め霊を祀る施設として、昭和5年(1930)に墨田区横網の元陸軍被服廠跡に「震災記念堂」として建てられた。 昭和23年(1948)からは、東京大空襲の遺骨も合祀し、「東京都慰霊堂」とした。 堂は伊東忠太の設計、戸田組(現:戸田建設)の施工、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建てで建設された。・・・・・・・・・・ 慰霊堂は白い工事用仮囲いの中で、2年後の平成28年(2016)の完成をめざし耐震補強工事が行われていた。 ちなみに、補強工事は約12億円の工事費で戸田建設・小沢組JVが実施中。 工事中は脇から入り、参拝可能です。 やっと、綺麗になるようで、完成が楽しみだ!

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②東京都震災復興記念館
・・・・・・・・・・・・・震災記念堂の付帯施設として、関東大震災の復興事業を記念する資料館。 こちらは伊東忠太+佐野利器の設計、戸田組(現:戸田建設)の施工により、昭和6年(1931)に建設された。 帝冠様式(鉄筋コンクリート造の様式建築に和風の屋根を載せた建物)、スクラッチタイル張りの建物。

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・・・・・・・・・・・・・・災害当時使用されていた松葉杖と車椅子・・・・・・・・・松葉杖も、車椅子も、使われていた当時の状況を想像すると、目が潤んできた。

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・・・・・・・・・・・・・・地震直後の日本橋・・・・・・・・・展示されていた写真の中で、私が選んだ1枚!・・・・・・・・・・地震が発生した直後、多くの人が表通りに出て避難した時の写真(左側のビルが三越)。 まだ火災も発生していないので、緊張感は出ていないが、この後悲惨な状況となっていく、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・柳原白蓮・・・・・・・・・・只今放送中の、NHKの朝ドラ「花子とアン」の中で、仲間由紀恵が演じる葉山蓮子のモデルとなっている柳原白蓮が、復興記念館に展示してあるの「大震記念」(有島生馬:作)の中央に大きく描かれている。・・・・・・・・・ 柳原白蓮(1885~1967)は大正三美人の一人で、大正10年(1921)、福岡の炭鉱王・伊藤伝右衛門の妻の身で、社会運動家の宮崎龍介と駆け落ちし、マスコミにセンセーショナルに報じられました。 事件が鎮静化した時、関東大震災に見舞われ、駒込に避難していた白蓮は、地震の混乱が続く中、着の身着のまま歩いて北豊島で結核に臥せっている龍介のもとへ辿り着いた。 絵は、この時の白蓮と、当時の名士を描いている。・・・・・・・・・ 残念だが、私がお会いした人は一人もなく、真実は?

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・記念館には貴重な資料が多く展示されており、ぜひ一見を!

●・・・・・・・・・・・・・・・・・蛇足ですが、写真、絵は許可を得て撮っています。

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