銀座
10月15日の退院後、初めて銀座通りを1丁目から8丁目まで、数か月ぶりに歩いてみた。 私の知らぬ間に、銀座の表通り(中央通り)はオリンピックに向け変身中で、建設ラッシュが来そうな雰囲気だ! 8千歩、6㎞の散歩。
●1丁目・・・・・・・・・・日本橋よりの1丁目から、ブログはスタート
・・・・・・・・・・・・・銀座テアトルビル・・・・・・・・昭和21年(1946)、私の誕生したした年、戦後の荒廃した世の中に、人々を明るくさせる娯楽として銀座に映画館「テアトル銀座」がオープンした。 「ベン・ハー」、「西部開拓史」などの大作を、シネラマ、70mmの大画面で上映する、まさに銀座を代表する映画館であった。 昭和62年(1987)には、菊竹清訓の設計による12階建ての複合ビル「銀座テアトルビル」に建て替えられた。 そのビルも、いよいよ取り壊され、ゲームのコナミによる新たなビルに生まれ変わるそうだ!・・・・・・・・私の思い出が多く残るビル(映画館)が、また消えてゆく、、、、、 (2枚目の写真は、昨年9月撮影)
・・・・・・・・・・・・キラリトギンザ・・・・・・・・・・こちらは、私が入院している間に着々と工事し、10月30日にオープンした。 建物全面がダイアモンドのブリリアントカットをモチーフに、光の反射で時間と共に表情を変えるファサードにデザインされた明るいビル。 地上12階建てで、宝飾店・飲食店などが入居している。 内部は若者が対象の店舗が多いようで、重厚さはなく、私的には、チョイト、好きになれないデザインだ!・・・・・・・・このビルが建つ前、この地に「つばめグリル」と称する、これまた昭和21年(1946)に銀座にオープンしたレストランがあったのだが(新橋には1930年に創業)、、、、、、今日、ビルの中を歩いて探してみたが、残念だが見つけることはできなかった。 (2枚目の写真は昭和35年頃のつばめグリル:HPより)
●2丁目・・・・・・・・・・1丁目の隣り
・・・・・・・・・・・・・取り壊された大倉本館・・・・・・・・・中央建物は、銀座2で、カルティエなどの店舗が入居していた大倉本館を建て替えるため、取り壊しが行われていた。 今年中に既存の建物を解体し、年明けから着工し、平成28年(2016)の開業を目指す。 設計・施工は大倉財閥の中核企業の大成建設が担当する。 旧本館は昭和40年(1965)に竣工した9階建てのビルであったが、新たな建物は地下3階/地上12階建ての、店舗や事務所による複合ビルとなるそうだ。・・・・・・・・・カルティエの店舗は、きんきらきんの派手な店舗で、ドアボーイのような店員もいて、私には入りにくい店だった。
・・・・・・・・・・・・・玉屋ASビル・・・・・・・・・アップルストアの右隣り、の9階建ての ビル。昭和47年竣工。 “嘘か真か?”、ビル建て替えの話があるそうだ!・・・・・・・・・「玉屋」は、時計・測量機などを扱っていた、明治時代創業の老舗であった。 現在はこれらの販売はしていないようだ? 私がゼネコンで現場監督をしていた昭和の時代は、玉屋の測量機を使用していた。
・・・・・・・・・・・・なぜか?ごみ箱を撮る人。 私はその人を撮る人。
●4丁目・・・・・・・・・・3丁目の隣りだが、8丁目からは遠い!
・・・・・・・・・・・・・ミキモト・・・・・・・・・ギンザ4丁目ミキモト前のクリスマスツリーは今年で見納め。 来年から2年がかりで、新本店ビルに建て替える。 売り場面積は現在の2.5倍に拡大し、オリンピックで予想される客の需要に応える。 鹿島建設の設計・施工。・・・・・・・・連日、ツリーの前には見納めに、スマホを構える人でいっぱい! (写真は、11月22日撮影)
・・・・・・・・・・・・ついでに、思い出した! ミキモトの正面、三越の隣りあたりに、昭和50年頃まで、「金太郎」玩具店があった。 私が5歳くらいの頃、ここでブリキ製の40㎝程の船のおもちゃを買ってもらい嬉しかったこと。 家に持ち帰り、浮かべて遊ぼうとしたら、母に「高いおもちゃだから飾っておきな」と言われガッカリしたこと。 2階の窓から落としてしまい、怒られたこと。、、、、、思い出のおもちゃやは今はない! (写真もない!)
●5丁目・・・・・・・・・・中央通りと晴海通りの交差点は、昔は尾張町交差点といった。 5丁目は交差点の南西側!
・・・・・・・・・・・・・サッポロ銀座ビル・・・・・・・・・・ア・レ・レ、尾張町交差点の一角、和光の斜め前に、あった「日産ギャラリー」・「ビヤホールライオン」などが入居していた「サッポロ銀座ビル 」がなくなった! 既に建物は取り壊され、平成28年(2016)夏の、地上12階建て新ビルの竣工を目指し、工事が進んでいる。
●6丁目・・・・・・・・・・5丁目の次! 松坂屋の跡地再開発中。 跡地には、地上13階、地下6階、高さ約66m、敷地面積約9000㎡の複合ビルが、平成28年(2016)に完成する予定。 施工は鹿島建設、総事業費約758億円のビックプロジェクトである。
・・・・・・・・・・・・一橋大学の発祥地・・・・・・・・・工事中の松坂屋跡地は、かつて一橋大学の前身である商法講習所が明治8年(1875)に開設された地である。 翌年木挽町10丁目の外務省跡地へ移転し、10年間使用した。 さらに、その後東京外国語学校と合併し、神田区一ツ橋通へ移転した。 松坂屋前には発祥地である碑が建てられている。
・・・・・・・・・・・・・都電のレール・・・・・・・・・・・銀座6丁目の黒沢ビルは昭和55年(1980)に建て変えられたが、その前の建物は明治45年(1912)に建てられた。 その時基礎工事の補強材として使用されたレールが、現在の建物の外壁にプレートとして嵌め込まれ残されている。・・・・・・・・粋なことする、ビルのオーナーの心遣い、いいね!
・・・・・・・・・・・・・・・ついでに、銀座通りの歩道の敷石は都電の軌道に敷かれていた石の再利用だ。 落ちついた色合いの御影石が銀座通りの歩道を演出している。
・・・・・・・・・・・・・ライオン銀座七丁目ビル・・・・・・・・・ 「銀座ライオン」と言うビアホールで、日本で一番古いと言われている。 この建物は、昭和8年(1933)に、菅原営蔵の設計、竹中工務店の施工で建てられた。 ここまで古いと壊さずに保存かな!
・・・・・・・・・・・・・・銀座ACB・・・・・・・・・思い出した! ヤマハ銀座ビルがあるこの付近のビルの地下に銀座ACB(アシベ)が、昭和50年頃まであった。 柳家金語楼の息子:山下敬二郎のロカビリー、ミッキーカーチス、弘田三枝子などが歌っていたジャズ喫茶。 高校生の私も聞きに行っては、当時としてはカッコいいコカ・コーラを飲んでいた。 ちなみに、山下敬二郎は、私の高校の先輩であった。
●8丁目・・・・・・・・・・銀座の終点。 昭和33年(1958)、神戸一郎が「銀座9丁目は水の上」と歌っている。、、、、、“銀座”はここまで!