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2014年11月

2014年11月30日 (日)

銀座

10月15日の退院後、初めて銀座通りを1丁目から8丁目まで、数か月ぶりに歩いてみた。 私の知らぬ間に、銀座の表通り(中央通り)はオリンピックに向け変身中で、建設ラッシュが来そうな雰囲気だ! 8千歩、6㎞の散歩。

●1丁目・・・・・・・・・・日本橋よりの1丁目から、ブログはスタート

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・・・・・・・・・・・・・銀座テアトルビル・・・・・・・昭和21年(1946)、私の誕生したした年、戦後の荒廃した世の中に、人々を明るくさせる娯楽として銀座に映画館「テアトル銀座」がオープンした。 「ベン・ハー」、「西部開拓史」などの大作を、シネラマ、70mmの大画面で上映する、まさに銀座を代表する映画館であった。 昭和62年(1987)には、菊竹清訓の設計による12階建ての複合ビル「銀座テアトルビル」に建て替えられた。 そのビルも、いよいよ取り壊され、ゲームのコナミによる新たなビルに生まれ変わるそうだ!・・・・・・・・私の思い出が多く残るビル(映画館)が、また消えてゆく、、、、、  (2枚目の写真は、昨年9月撮影)

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・・・・・・・・・・・・キラリトギンザ・・・・・・・・・・こちらは、私が入院している間に着々と工事し、10月30日にオープンした。 建物全面がダイアモンドのブリリアントカットをモチーフに、光の反射で時間と共に表情を変えるファサードにデザインされた明るいビル。 地上12階建てで、宝飾店・飲食店などが入居している。 内部は若者が対象の店舗が多いようで、重厚さはなく、私的には、チョイト、好きになれないデザインだ!・・・・・・・・このビルが建つ前、この地に「つばめグリル」と称する、これまた昭和21年(1946)に銀座にオープンしたレストランがあったのだが(新橋には1930年に創業)、、、、、、今日、ビルの中を歩いて探してみたが、残念だが見つけることはできなかった。 (2枚目の写真は昭和35年頃のつばめグリル:HPより)

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2丁目・・・・・・・・・・1丁目の隣り
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・・・・・・・・・・・・・取り壊された大倉本館・・・・・・・・・中央建物は、銀座2で、カルティエなどの店舗が入居していた大倉本館を建て替えるため、取り壊しが行われていた。 今年中に既存の建物を解体し、年明けから着工し、平成28年(2016)の開業を目指す。 設計・施工は大倉財閥の中核企業の大成建設が担当する。 旧本館は昭和40年(1965)に竣工した9階建てのビルであったが、新たな建物は地下3階/地上12階建ての、店舗や事務所による複合ビルとなるそうだ。・・・・・・・・・カルティエの店舗は、きんきらきんの派手な店舗で、ドアボーイのような店員もいて、私には入りにくい店だった。

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●3丁目・・・・・・・・・・2丁目と4丁目の間

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・・・・・・・・・・・・・玉屋ASビル・・・・・・・・・アップルストアの右隣り、の9階建ての ビル。昭和47年竣工。 “嘘か真か?”、ビル建て替えの話があるそうだ!・・・・・・・・・「玉屋」は、時計・測量機などを扱っていた、明治時代創業の老舗であった。 現在はこれらの販売はしていないようだ? 私がゼネコンで現場監督をしていた昭和の時代は、玉屋の測量機を使用していた。

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・・・・・・・・・・・・なぜか?ごみ箱を撮る人。 私はその人を撮る人。

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●4丁目・
・・・・・・・・・3丁目の隣りだが、8丁目からは遠い!

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・・・・・・・・・・・・・ミキモト・・・・・・・・・ギンザ4丁目ミキモト前のクリスマスツリーは今年で見納め。 来年から2年がかりで、新本店ビルに建て替える。 売り場面積は現在の2.5倍に拡大し、オリンピックで予想される客の需要に応える。 鹿島建設の設計・施工。・・・・・・・・連日、ツリーの前には見納めに、スマホを構える人でいっぱい! (写真は、11月22日撮影)

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・・・・・・・・・・・・ついでに、思い出した! ミキモトの正面、三越の隣りあたりに、昭和50年頃まで、「金太郎」玩具店があった。 私が5歳くらいの頃、ここでブリキ製の40㎝程の船のおもちゃを買ってもらい嬉しかったこと。 家に持ち帰り、浮かべて遊ぼうとしたら、母に「高いおもちゃだから飾っておきな」と言われガッカリしたこと。 2階の窓から落としてしまい、怒られたこと。、、、、、思い出のおもちゃやは今はない! (写真もない!)



●5丁目・
・・・・・・・・・中央通りと晴海通りの交差点は、昔は尾張町交差点といった。 5丁目は交差点の南西側!

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・・・・・・・・・・・・・サッポロ銀座ビル・・・・・・・・・・ア・レ・レ、尾張町交差点の一角、和光の斜め前に、あった「日産ギャラリー」・「ビヤホールライオン」などが入居していた「サッポロ銀座ビル 」がなくなった! 既に建物は取り壊され、平成28年(2016)夏の、地上12階建て新ビルの竣工を目指し、工事が進んでいる。

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●6丁目・・・・・・・・・・5丁目の次! 松坂屋の跡地再開発中。 跡地には、地上13階、地下6階、高さ約66m、敷地面積約9000㎡の複合ビルが、平成28年(2016)に完成する予定。 施工は鹿島建設、総事業費約758億円のビックプロジェクトである。 

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・・・・・・・・・・・・一橋大学の発祥地・・・・・・・・・工事中の松坂屋跡地は、かつて一橋大学の前身である商法講習所が明治8年(1875)に開設された地である。 翌年木挽町10丁目の外務省跡地へ移転し、10年間使用した。 さらに、その後東京外国語学校と合併し、神田区一ツ橋通へ移転した。 松坂屋前には発祥地である碑が建てられている。

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・・・・・・・・・・・・・都電のレール・・・・・・・・・・・銀座6丁目の黒沢ビルは昭和55年(1980)に建て変えられたが、その前の建物は明治45年(1912)に建てられた。 その時基礎工事の補強材として使用されたレールが、現在の建物の外壁にプレートとして嵌め込まれ残されている。・・・・・・・・粋なことする、ビルのオーナーの心遣い、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・・ついでに、銀座通りの歩道の敷石は都電の軌道に敷かれていた石の再利用だ。 落ちついた色合いの御影石が銀座通りの歩道を演出している。

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●7丁目・・・・・・・・・・8丁目の手前!

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・・・・・・・・・・・・・ライオン銀座七丁目ビル・・・・・・・・・ 「銀座ライオン」と言うビアホールで、日本で一番古いと言われている。 この建物は、昭和8年(1933)に、菅原営蔵の設計、竹中工務店の施工で建てられた。 ここまで古いと壊さずに保存かな!

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・・・・・・・・・・・・・・銀座ACB・・・・・・・・・思い出した! ヤマハ銀座ビルがあるこの付近のビルの地下に銀座ACB(アシベ)が、昭和50年頃まであった。 柳家金語楼の息子:山下敬二郎のロカビリー、ミッキーカーチス、弘田三枝子などが歌っていたジャズ喫茶。 高校生の私も聞きに行っては、当時としてはカッコいいコカ・コーラを飲んでいた。 ちなみに、山下敬二郎は、私の高校の先輩であった。

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●8丁目・・・・・・・・・・銀座の終点。 昭和33年(1958)、神戸一郎が「銀座9丁目は水の上」と歌っている。、、、、、“銀座”はここまで!

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・・・・・・・・・・・・・銀座の端は“新橋”。 端はガラガラ、、、、、、

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2014年11月28日 (金)

尾竹橋・京成本線隅田川橋梁

昨日に続き、隅田川の橋梁めぐり。 今日は日暮里・舎人ライナー足立小台駅から、11番目の尾竹橋と12番目の京成本線隅田川橋梁を周り、京成本線町屋駅まで歩いてきた。 1万1千歩、8km。


①足立区小台1丁目
・・・・・・・・・・・北側に荒川、南側に隅田川が流れ、両川の間にできた中州のような細長い町である。 狭いところでは、荒川と隅田川の川べり間で180m程しかない。 町の中央には荒川の土手を都道が走り、その北側は河川敷の球戯場、南側:隅田川沿いに民間の工場が一列に並んでいるだけである。 住民も少なく、コンビニなどは無し!・・・・・・・・・・足立小台駅で下車し、隅田川の川面を見ながら、川沿いに歩くつもりでいたが、北側(荒川側)は土手、南側(隅田川側)は工場で、眺望はよくなかった。

・・・・・・・・・・・・・・小台1丁目のマンションの裏から隅田川上流(日暮里・舎人ライナー方向)を望む

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・・・・・・・・・・・・・左側は荒川土手、土手下には都道が走り、その下に生活道路が走り、右側(隅田川側)には工場が並ぶ。 

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・・・・・・・・・・・・・・都道には歩道のスペースがなく、歩くにはチト怖いので工場の前をブラブラ散歩。

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・・・・・・・・・・・・・・アスファルトの製造プラントが稼働中であった。

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・・・・・・・・・・・・・・尾竹橋に近づくと、昭和56年(1981)に完成したURのリバーサイド桜木団地がある。 

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②尾竹橋
・・・・・・・・・・・・右岸(南側)の荒川区町屋と、左岸(北側)足立区千住桜木を結ぶ尾竹橋(おたけばし)。 初代の尾竹橋は昭和9年(1934)に架けられたが、老朽化により平成4年(1992)に現在の尾竹橋に架け替えられた。 現橋は橋長130m程で、アーチ部材と補強材によるローゼ桁橋。 シンプルなデザインだ!・・・・・・・・・“知る人ぞ知る”、かの有名な「お化け煙突」は、この橋の東側(足立区千住桜木1)にあり、昭和39年(1964)3月に撤去された。 常磐線の車窓からも見え、煙突の本数が変化するのを、ジーッと見ていたね!

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・・・・・・・・・・・・・・今は、お化け煙突のあった近くに、新たなシンボルとして帝京科学大学 千住キャンパスが、平成22年(2010)に開設された。

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③町屋の下町の町や!
・・・・・・・・・地図を見ると一目瞭然だが、隅田川は小台橋の上流から尾竹橋にかけ、東の方角に流れているが、尾竹橋からは大きく蛇行し南に流れる。 この蛇行する部分に荒川区町屋の7丁目・8丁目・1丁目があり、家内工場などもある下町の雰囲気が残されている。

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④隅田川を横切る千代田線
・・・・・・・・・・東京メトロ千代田線は北千住~町屋間で隅田川鵜を横切る。 しかし、その場所は隅田川の川底で地下だ!(地下鉄だから、あたり前田のクラッカー)・・・・・・・・・私の推定では、その場所がココらしい! 

・・・・・・・・・・・・・・・シュロの木の後ろは隅田川の堤防。 地図によると、シュロの木の真下あたりに千代田線上りのトンネルがあるようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・正面にシュロの木がある、行き止まりのこの道の下を走って、手前の町屋駅方面に向かうようだ!(下り線のトンネルは左側工場の下あたり?)

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⑤京成本線隅田川橋梁・・・・・・・・・・三河島水再生センターの北側で隅田川を超える京成本線。 この橋梁付近では近づくことができず、撮影に苦労した橋だ! 撮影に苦労しただけではなく、このブログを書くにあたり、橋梁の情報がナイ、ない、無い! しょうがないので、写真だけでも!

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・・・・・・・・・・・・隅田川橋梁を渡った、京成本線上り線は高架橋で町屋駅に向かう。

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⑥京成町屋駅・・・・・・・・・・昭和6年(1931)町屋駅が開業。 1面2線の高架駅。 ホーム下で都電荒川線と交差している。 小さな下町の駅である。

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2014年11月27日 (木)

首都高中央環状線橋梁・小台橋・尾久橋・舎人ライナー橋梁

8月13日は、大動脈解離を発した日である。 隅田川に架かる橋を上流から見て歩き(8月9日:岩淵水門・新神谷橋、8月11日:新田橋・新豊橋・豊島橋)、この日は午前中に、王子の首都高中央環状線橋梁、小台橋、尾久橋の3橋を見て帰った。 その午後、大動脈が破壊し緊急入院をしたため、3橋の散歩のブログはない。 

今朝の天気予報では“小春日和”になると聞き、8月13日とほぼ同じコースで歩いてきた。 1万2千歩、9kmの散歩となった。

①首都高速道路中央環状線隅田川橋梁・・・・・・・・・・隅田川の上流から7番目に架かる橋は、「首都高速道路中央環状線隅田川橋梁」である。 隅田川右岸の北区堀船と左岸の足立区宮城との間に架かり、平成14年(2002)に首都高中央環状線王子線(板橋JCT~江北JCT間)が開通した。・・・・・・・・・隅田川の上を、上下2層の連続トラス橋で越え、“橋梁”と言うより、“高架橋”と言う感じである。 

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②白山神社
・・・・・・・・・・地元:梶原の鎮守として敬われた神社らしいが、神仏分離の際、古文書がことごとく紛失したため詳細は不明。 現在の社殿は昭和47年(1972)に再建されたらしい。

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③T邸・・・・・・・・・・・・明治、大正期には、水運を活かし現隅田川沿いに(北区・荒川区)、いくつもの煉瓦工場があった。 その一つの工場主の邸宅には、煉瓦造りの塀・蔵が残されている。 塀も蔵も、しっかりと綺麗に保存されている。

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④船方神社の神輿庫・・・・・・・・・・・T邸から200m程東に寄った船方神社(北区堀船4)の境内には、煉瓦造りの神輿庫がある。 この神輿庫には、奉納者の広岡幾次郎(広岡工場の工場主:1859(安政)~1932(大正))の名が埋め込まれている。

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⑤あらかわ遊園・・・・・・・・・・・この敷地は、関東大震災にて操業を停止した煉瓦工場の一つ“広岡工場”の跡地で、工場主が私設の「荒川遊園」を開園した。 当時は遊園地と言うより、温泉大浴場・演芸場・料亭などの施設がそろった大人の喜びそうな処であった。 戦中は、陸軍の高射砲陣地となり事実上閉園状態になり、昭和25年(1950)に荒川区の区営遊園地となる。・・・・・・・・・大人向けの公営遊園地として残していたら、今頃はどうなっていたことやら??

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・・・・・・・・・・・・・・遊園地の脇に、雨ざらしでボロボロ状態にて保存されている、前照灯が一つの「一球さん」。昭和24年(1949)製造の都電6000系車両。

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・・・・・・・・・・・・・・遊園地と近隣住宅を大きく囲う“煉瓦塀”。 広岡幾次郎は荒川遊園を整備するとき、遊園と同時に煉瓦塀を造ったそうだ。 ところどころ、壊されているが、残してほしい歴史遺産である。

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⑥小台橋・・・・・・・・・・・・あらから遊園の東側で、荒川区西尾久と足立区小台を結ぶ橋。 この付近には、江戸時代から西新井・草加へ続く交通の要所として「小台の渡し」があった。 閑東大震災後の昭和8年(1933年)に最初の小台橋が架けられたが、平成4年(1992)に現橋に架け替えられた。 大きなアーチ状の部材と斜めに張られた補強材から成る「ニールセンローゼ桁橋」の、スッキリしたシルエットの小台橋。

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⑦尾久橋・舎人ライナー隅田川橋梁・・・・・・・・・・全長176.0m、昭和43年(1968)完成の尾久橋(おぐばし)は、右岸の荒川区東尾久と、左岸の足立区小台を結び、尾久橋通りが通っている。 初代の橋は、昭和7年(1932)の荒川放水路の開削時に創架されたが、老朽化により昭和43年(1968)に現橋に架け替えられた。・・・・・・・・尾久橋と並行して下流側に、日暮里・舎人ライナー隅田川橋梁が架かっている。 開通は平成20年(2008)である。・・・・・・・・この付近は、隅田川と荒川が接近しており、尾久橋は荒川に架かる扇大橋と連続しており、通行する人には一つの橋のように思われる。 また、舎人ライナーは一体構造のように見える。

・・・・・・・・・・・・・・手前(上流側)が尾久橋、奥に日暮里・舎人ライナー隅田川橋梁

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・・・・・・・・・・・・・・荒川には扇大橋と日暮里・舎人ライナー荒川橋梁が架かる。

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⑧足立小台駅・・・・・・・・・・・隅田川と荒川に挟まれた狭い位置に、日暮里・舎人ライナーの足立小台駅がある。 平成20年(2008)開業。 一日平均乗降人員は2,500人程で、日暮里・舎人ライナー13駅中最下位だ。 ・・・・・・・・・ 散歩はここまで!

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2014年11月24日 (月)

成田山新勝寺

一昨日は成田山新勝寺の東京別院:深川不動堂に参拝したが、今日は大本山である「新勝寺」に参拝してきた。 秋でもあり、病が癒えたことにかこつけ、母と妻を伴い『うな重』を食し、『羊羹』を買いに行ってきた。 6千歩、5㎞のミニ散歩だが、90歳を超えた母には限界に近い距離である。(杖も持たずスタコラ歩いており、いずれ、どこぞの寺の階段で、ころげ落ちるかも・・・・・・乞う、ご期待?・・・・・・私の方が先に逝きそうだ!)

●・・・・・・・・・・・・浅草橋から、都営浅草線・京成線で、ラクラク1時間チョイトで到着。

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●・・・・・・・・・・・・表参道の入口近くに、昭和レトロな医院があった。 院名(渡辺医院)に親しみを感じ、診療科目(産科・婦人科)に恥ずかしさを感じ、建物(木造板張り)には懐かしさを感じ、、、、、、“興味津々”となる医院だが、チョイト、1枚パチリとしておいた!

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●・・・・・・・・・・・・成田詣での“表参道”、路の両側には、国登録有形文化財の建物もある、古い街並に、新しく改装した店舗が続く!・・・・・・・・・連休の最終日、人でも多いね!

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●・・・・・・・・・・・参拝前に、腹ごしら! ここまで来たら、“うなぎ”だ!

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●・・・・・・・・・・・・さすが大本山、山内には建物が多く、興味はあるが、、、、、母と妻がチョコマカして、迷子にならないか心配だ! 建物の写真を撮る余裕がない!!

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●・・・・・・・・・・・本堂で手を合わせたら、裏の成田山公園で“紅葉狩り”。 曇り空の下、チョイト残念だね! 

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●・・・・・・・・・・・・帰りの参道では、母も疲れたようだ! チョイト、甘味でひと休み。

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2014年11月22日 (土)

病気平癒のお礼参り

大動脈解離の手術に先立ち、娘から深川:富岡八幡宮の『病気平癒』のお守りをもらった。 御利益があったようで、無事退院でき、既に一か月以上経過した。 まだ一部、手術の影響が残っているが、妻と神社へお礼参りに行ってきた。 7千歩、5㎞のミニ散歩。

お守り・・・・・・・・・・8月13日の足の動脈のバイパス手術を行い、腹部の大動脈解離の手術は9月22日、この間に神社に行きお守りをいただいてきたようだ。 お守りは、私と共に病室に鎮座していた。・・・・・・・・今日は神社へ返しに行った!

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富岡八幡宮 ・・・・・・・・・・寛永4年(1627)の創建 。 社殿は、天和3年(1683)に焼失し、元禄16年には地震により損壊し、大正12年(1923)の関東大震災でも損壊し、さらに空襲で被害を受け、私の身体と同様でメタメタに傷ついていた。 そこで、外科的修復として、昭和31年(1956)に、現在の鉄筋コンクリート造、「重層型準八幡造り」の社殿に建て替えられた。・・・・・・・・・・・・今日は、「七五三」、「酉の市」で参拝客も多く、『商売繁盛で熊手もってこい!』と言いたくなるね。

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・・・・・・・・・・・・・・古いお守りを返す処は神社の裏手で、神職がお祓いして受け取ってくれた。 神職の前には、しっかりと賽銭箱が置かれ、何がしか入れないと気まずい雰囲気である。 病気も治ったことであり、気前よく! 紙のピン札を入れてきた!


●深川不動尊
・・・・・・・・・・八幡宮を詣でたら、お隣の不動尊にも立ち寄らないと、失礼かも! 元禄16年(1703)に始まった成田山新勝寺の出開帳が深川不動の起こりで、明治14年に不動堂が完成した。

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・・・・・・・・・・・・・不動尊の境内には、大きな“わらじ”がある。 足の悪い人は、ミニわらじを買い願い事を書いて、ここにぶら下げると御利益があるそうだ。 私も、左足の腫れが一刻でも早く治るよう、ぶら下げてきた。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・お礼参りが終われば、銀座に出て買い物とひと休み! 

2014年11月20日 (木)

青砥~綾瀬

京成線の青砥駅から常磐線の綾瀬駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。 退院後、1万歩を超したのは今日が初めて! 

①青砥駅・・・・・・・・・・京成線は大正元年(1912)に押上~市川(現:江戸川)間が開通した。 この時点では、立石~高砂間には(青砥)駅は設置されていなかった。 昭和になると、現本線の上野~青砥間を開通させるべく、昭和3年(1928)に現本線と現押上線の分岐駅として青砥駅が開業した。 昭和6年(1931)に現本線の日暮里~青砥間が開業。 昭和61年(1986)には、現在の3階建ての立体交差駅が竣工した。・・・・・・・・・・一日4.5万人以上が乗り降りする京成線の主要駅である。 駅前には店も多く、下町らしさを感じるね。

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②青戸第一団地・・・・・・・・・・青砥駅の西側に、20棟:総戸数1000戸程のUR青戸第一団地がある。 平成5年~14年(1992~2002)に全棟が建て変えられた、比較的新しい建物だ!・・・・・・・・・・青砥駅周辺は戦後に発展し、旧:青戸第一団地は日本住宅公団により昭和31年(1956)から入居が開始された。 建物は新しくなったが、歴史ある古い団地だ。

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③江東堂高橋製作所
・・・・・・・・・・大正11年(1922)創業、茶筒・海苔缶など缶の製造販売する老舗。現在は工場も千葉に移ったようだが、青戸には戦前に建てられたと思われる木造の工場建物が残されている。

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④上千葉砂原公園
・・・・・・・・・・・葛飾区西亀有1に、昭和43年(1968)に開園した交通公園とミニ動物公園がある区立公園。

・・・・・・・・・・・・D51502・・・・・・・・・・公園にはD51が静態保存されていた。 このD51502は、昭和16年(1941)に国鉄鷹取工場で製造され、奈良・広島第一・小郡・新鶴見・新津・直江津と各機関区を走り、最後は昭和47年(1972)に酒田機関区で廃車となった。 チョイト、動輪を触ってみたくなるね!

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・・・・・・・・・・・・・・ポニーの前には保育園児が集まっていた。

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⑤都立農産高等学校・・・・・・・・・・上千葉砂原公園の隣には、昭和23年(1948)に創立し、60年以上の歴史を有する、生徒数約400名の都立の農業高校がある。 さすが都立!、広い農場、ビニールハウスが校舎の周囲に広がり、教育環境バツグン!!

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⑥綾瀬駅
・・・・・・・・・・・JR常磐線と東京メトロ千代田線の停車駅。 駅の歴史は、昭和18年(1943)に国有鉄道(鉄道省)常磐線の駅として開業した。 昭和46年(1971)に営団地下鉄千代田線の駅が開業し、駅管轄権が帝都高速度交通営団に移管された。 都内にあるJR駅では唯一、他社に営業を委託している駅である。・・・・・・・・・北綾瀬駅に向かう千代田線が発着する0番線ホーム がある。

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2014年11月17日 (月)

大崎~中延

山手線の大崎駅から、都営浅草線の中延駅まで、9千歩、7㎞の散歩です。

①大崎駅・・・・・・・・・・JR東日本の山手線、埼京線、湘南新宿ラインの各線と東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れている。 明治34年(1901)、日本鉄道品川線の駅として開業し、平成14年(2002)には、りんかい線が大崎駅まで延伸開業し埼京線との直通運転を開始した。 また、湘南新宿ラインの停車駅となる。・・・・・・・・・・駅前はSONYをはじめ多くの企業による、大規模再開発が進み、朝の通勤客の数は凄い!

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②百反隧道・百反歩道橋・・・・・・・・・・・大崎駅から品川に200m程寄った位置に、山手線の下をくぐる「百反隧道」がある。 大崎駅の東西(大崎1丁目と2丁目)を結ぶ架道橋だ。・・・・・・・・・その隧道の100m程先には、新幹線の高架橋と並行して「百反歩道橋」が山手線・りんかい線を跨ぐように架けられている。・・・・・・・・「百反(ひゃくたん)」とは、大崎から戸越の方に上る坂の名前。

・・・・・・・・・・・・百反隧道・・・・・・・・・・このトンネルは、かつては車の交互通行が可能であったが、人道がなくチョイト危険な道であった。 現在は、一方通行となり、来年度からは、人道を整備し安全に利用できるようになる。

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・・・・・・・・・・・・・・百反歩道橋 ・・・・・・・・・・・大崎駅で下車した時、すぐ頭に浮かんだのは、『百反歩道橋に行ってみよう!』であった。 今日、歩道橋に来てみると架け替え工事も終わりに近づき、新歩道橋は通行可能となっていた。・・・・・・・・・さっそく歩道橋にあがると、『残念、ガッカリ、コンチクショウ!』と言いたくなった。 旧橋よりも、新幹線の高架橋に近くなり、いいアングルで新幹線が撮れない! しかも、アクリル板で覆われ、写真も撮りにくい!、、、、、私の撮影ポイントの一つがなくなった!!
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・・・・・・・・・・・・・・・階段部分で撮った新幹線

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東急池上線・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・百反通りを行くと、第二京浜国道の交差点で東急池上線にぶつかる。 五反田と蒲田間を、切土区間で国道の下を抜けて行く。

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・・・・・・・・・・・・・・戸越銀座駅・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅。改札は、上下方面別にある。 木造の駅舎・ホーム上屋、なんとも言えない昭和レトロな駅である。 駅前の商店街は世に名だたる「戸越銀座商店街」。

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・・・・・・・・・・・・・・荏原中延駅・・・・・・・・・・・こちらも昭和2年(1927)開業。 平成元年(1989)には、地上駅から地下駅に変わった。・・・・・・・・駅前には、東急大井町線・都営浅草線「中延」駅に伸びる約330m程の地域密着型の中延商店街が続く。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・足の血栓の手術後1ヶ月程経過したが、まだ足の腫れは癒えず、本調子の散歩にはほど遠い! 早く、治ってチョウダイ!!

2014年11月15日 (土)

六郷土手~糀谷

京浜急行の六郷土手駅から、多摩川を下り六郷水門を見て、京急羽田線の糀谷駅まで、9千歩、7㎞の散歩です。

六郷土手駅 ・・・・・・・・・・ホームが多摩川の土手にかぶさる23区最南端の駅。 明治39年(1906)に京浜電気鉄道の六郷堤駅として開業した。 昭和47年(1972)頃に高架駅となった。 小さな地味な駅だが、ラブストーリーの舞台となりそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・ホームの“端”には、京急六郷川橋梁の“橋”がある。

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②旧六郷橋の橋門と親柱
・・・・・・・・・・・・六郷川(多摩川)には、江戸時代初期:家康が架橋を命じた「六郷大橋」があった。橋の長さは200m程あり、まさに大橋であったが、貞享5年(1688)の大洪水で橋が流失してからは、幕府も再架橋を断念していた。 明治期には木造の左内橋が架けられた。 その後、近代化が求められ、大正9年(1920)に着工し、大正14年(1925)にタイドアーチ式の旧六郷橋が完成した。 昭和60年(1985)、旧六郷橋は現六郷橋に架け替えられたが、大田区側の宮本台緑地公園(現六郷橋際)に旧橋の橋門と親柱が当時のまま保存されている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昭和50年代の旧六郷橋、川崎側から奥の大田区側を望む。(平成15年10月17日 国土交通省川崎国道事務所:発行のパンフレット「旧六郷橋 親柱物語」より) 

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・・・・・・・・・・・・・・保存されている橋門と親柱

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・・・・・・・・・・・・・・現在の六郷橋。 大田区側から撮影。 長さ443.7mで、国道15号(第一京浜国道)が走る橋である。 

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六郷水門
・・・・・・・・・・六郷地区(大田区)では、昭和初期になると住宅化が進み、生活用水が増し大雨時には、多摩川に自然排水できず、浸水する事態が起こった。 そこで六郷水門が昭和6年(1931)に造られた。昭和47年(1972)、新たにポンプによって強制的に排水できる施設(六郷ポンプ所排水樋管)が設置され、六郷水門はその役目を終えた。

・・・・・・・・・・・・・多摩川の土手を下ると、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・水門が静かにお出迎え、、、、、

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・・・・・・・・・・・・水門には、中央に“郷”の字を配し、9個の“口”の字が囲む六郷町の町章がデザインされている、、、、、六郷町は昭和3年(1928)に六郷村から“町”となった。 昭和7年(1932)、六郷町は蒲田区に編入され廃された。 短命な“町”であったね!

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・・・・・・・・・・・・・・水門の脇には、煉瓦造の小屋が、、、、、絵になるね!

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④七辻・・・・・・・・・・・・大田区南六郷1と南蒲田2が接する位置に、7本の道路が交差する「七辻」と呼ばれる交差点がある。 交差する道路の道幅はさほど広くはないが、それなりに交通量は多いようだ。 しかし信号機はない! ドライバーの譲り合いの精神により信号機は不要なのかも?

・・・・・・・・・・・・・・Googleマップによる上空からの写真

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・・・・・・・・・・・・・・反時計まわりに7本の道路を撮影してみたが、全容は表現できないね!

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⑤糀谷駅・・・・・・・・・明治35年(1902)、羽田支線(京急空港線)として蒲田から羽田方面に支線が開通した時、糀谷駅も同時に開業した。・・・・・・・・・ホームは上下線とも高架化が完了したが、駅は高架下に只今整備中である。 

・・・・・・・・・・・・・改札を通ると高架下をチョイト歩かされるね!

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・・・・・・・・・・・・・・ホームは特徴のない、普通の駅だ!

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2014年11月14日 (金)

四ツ木~京成立石

左足の腫れは、いまだ、癒えず! 今日の散歩もハーフサイズ! 四ツ木駅から、荒川土手に出て夕日をパチリ。 その後、京成立石までブラブラ歩き。 9千歩、7㎞。

①荒川の夕日・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・東四つ木避難橋・・・・・・・・・災害時、四つ木の住民が荒川土手に避難するため、荒川に並行して流れる綾瀬川に架かる人道橋。 昭和62年(1987)架橋。・・・・・・・・橋の正面にスカイツリーを眺める印象的な橋。

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・・・・・・・・・・・・・東四つ木避難橋の架かる綾瀬川の下流には「かつしかハープ橋」が見える。 写真右側は荒川土手、左側は葛飾区。

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・・・・・・・・・・・・・荒川土手から見る夕日・・・・・・・・・・今日は晴れて、夕日の沈む位置に富士山が見える。 土手にはアマチュアカメラマンがかまえていた!

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・・・・・・・・・・・・・土手にはアマチュアカメラマンがかまえていた!

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②渋江商店街
・・・・・・・・・・・四ツ木駅の南側に伸びる寂れた商店街。 ところどころに営業中の店の明りが灯っているが、歩く人もまばらで、活気を感じられない!

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③まいろーど四つ木商店街
・・・・・・・・・・・・四ツ木駅の北側に並ぶ、昭和レトロが寂れた空気を漂わせる商店街。 商店街の道筋は長いが、営業中の店舗は半数ぐらいか? まもなく歳の瀬を迎えるのに、静かだ! こちらも活気がないね!!

・・・・・・・・・・・・・・街路灯が続く商店街

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・・・・・・・・・・・・・・もちろん、営業している店もある!

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・・・・・・・・・・・・・・・商店街の東端には、なぜか親しみを感じる医院があった。

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④呑んべ横丁
・・・・・・・・・・・京成立石駅の東側にある「呑んべ横丁」。駅前再開発地域に含まれ、ここに来るたびに『そろそろ取り壊しが始まっているかな?』と思い寄ってみると、今日も営業中だ!・・・・・・・・・・・呑んべ横丁は昭和28年(1953)に作られ、当初は「立石デパート」と称して、雑貨、飲食店が並んでいたそうだ。 時間と共に飲み屋街に変身したとのこと。

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⑤立石仲見世
・・・・・・・・・・・・駅の北東に呑んべ横丁、南側には立石仲見世が 、ともに立石のお立ち寄り処である。・・・・・・・・・夜の仲見世は、元気なようだ!

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⑥京成立石駅
・・・・・・・・・・・・“京成立石”が正式な駅名で、大正元年(1912)に開業した。・・・・・・・・・・今日はここまで、帰宅することに!

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2014年11月10日 (月)

酉の市

今日は酉の市、母と妻と私の3人で台東区千束の鷲神社へ、5千歩、4㎞の散歩です。

・・・・・・・・・・・・・まずは、並んで神社に詣で、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・続いて、かわいい巫女さんから、ミニ熊手を買って、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・大きな熊手をチラリと眺め、ついでに粋な姐さんをじっくり眺め、お酉さまって、いいな~~

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・・・・・・・・・・・・・・おや、こちらでは熊手が売れました。 威勢よく手締めです。 

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・・・・・・・・・・・・・・酉の市発祥の神社“鷲神社”、その隣には酉の市発祥の寺“長國寺”がある。 酉の市の元祖と本家である。、、、、、、長國寺にもお参りを・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・神社の周りに、延々と続く屋台、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰りは、90歳を過ぎた母も雷門まで歩き、食事して帰宅。 疲れた、疲れた!!!

2014年11月 7日 (金)

浅草橋~錦糸町

我が家から蔵前橋を渡り、途中、病院で皮膚科の定期検診を受け。 その後、裏通りを歩いて錦糸町へ、1万歩、7㎞の散歩です。

①横網町公園・・・・・・・・・・「横網町公園」(よこあみちょうこうえん)の場所は、元々陸軍被服廠があったところで、被服廠は大正11年(1922)に赤羽に移転した。 移転後の跡地は、大正12年(1923)7月、東京市が買収し公園として整備を開始したが、直後の9月1日に関東大震災が発生し、近隣の住民は工事中の広い公園を絶好の避難場所として、逃げ集まってきた。 当日の午後4時頃に発生した火災は、公園に逃げ込んだ3万8000名の犠牲者を炎の中に巻き込むことになった。・・・・・・・・・昭和5年(1930)、震災の死者5万8000名の遺骨を納める慰霊堂と、公園自体が開園した。

・・・・・・・・・・・・・黄葉に変わるイチョウ

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・・・・・・・・・・・・・耐震補強工事中の慰霊堂

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報恩寺橋 ・・・・・・・・・・スカイツリーからほぼ南の東京湾に向け流れていた運河:大横川に架かる報恩寺橋。 この橋が初めて架けられたのは、大横川が掘られた万治2年(1659=江戸時代初期)と言われている。 近くの報恩寺が移転してきたのは元禄元年(1688)であり、移転までは橋名も別の名であったらしい。・・・・・・・・・現在の橋は、震災後の大正13年(1924)に造られた、両岸のどっしりとした石積みの部分と、昭和57年(1982)に架け替えられた鋼製の中央部分から成る。 橋の架かる大横川は平成5年(1993)に親水公園として整備された。

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③邪魔な電線・・・・・・・・・・・・錦糸町駅前の錦糸小学校前の通りは、スカイツリーを正面に眺める通りだが、写真を撮るにはチョイトうるさい電線・電柱、、、、、邪魔だ! 

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・・・・・・・・・・・・この通りをスカイツリーの方向に600mほど歩き、春日通りをこえるとタワービュー通りと命名した電線・電柱を地中化した、スッキリした通りとなる。(2014/5/24撮影)、、、、、早く、錦糸町の駅まで地中化して欲しいね!

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2014年11月 5日 (水)

浜町公園

午前中にブラブラと浜町公園を抜け人形町へ・・・・・・・・人形町では、稲荷ずし、玉子焼き、人形焼を買ったら、ズッシリとした重さとなり帰りは地下鉄を利用した。 7千歩、5㎞。

①隅田川・・・・・・・・・・・・曇り空で、肌寒い日である。

・・・・・・・・・・・・・両国橋・・・・・・・・・下流の浜町から眺める・・・・・・・昭和7年(1932)に開通した震災復興橋。

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・・・・・・・・・・・・・首都高・・・・・・・・・・・浜町公園から対岸の両国に向かい隅田川をまたぐ首都高。

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・・・・・・・・・・・・・・新大橋・・・・・・・・・・・・浜町公園から眺める下流の新大橋・・・・・・・・・・・・現在の橋は昭和52年(1977)に完成した。・・・・・・・・・最初に新大橋が架橋されたのは、元禄6年(1694)である、忠臣蔵の時代だ!

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②浜町公園・・・・・・・・・・関東大震災後の復興事業の一環として、隅田公園(台東区、墨田区)、錦糸公園(墨田区)とともに計画され造られた。 当地は江戸時代に熊本藩主・細川家の下屋敷があり、明治時代には細川家の邸宅があった。 その名残で、園内には加藤清正を祀る清正公がある。 

・・・・・・・・・・・・・・公園入口・・・・・・・・・後ろのビルは明治座

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・・・・・・・・・・・・・清正公・・・・・・・・・公園の一角に建つ、現在の堂は昭和34年(1959)に再建されたもの。 20141105_034_683x1024

③浜町隧道・・・・・・・・・・・浜町公園の河岸に造られた、中央区内で唯一の隧道。 隧道の上は隅田川沿いの護岸上で、公園の遊歩道があり、さらに頭上には首都高が走る。 昭和55年(1980)に完成し、その後平成11年(1999)に改修された。

・・・・・・・・・・・・・隧道出口・・・・・・・・・一方通行である

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・・・・・・・・・・・・・・隧道の上部は公園の遊歩道
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④水天宮・・・・・・・・・現在、新しい社を建築中のため、明治座前に仮の社が建っている。 チョイト、手を合わせていくことに。 もう、安産の御利益をいただく歳ではないね!

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2014年11月 4日 (火)

八広~牛田

京成押上線の八広駅から歩き始め、東武スカイツリーラインの牛田駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。 まだ、足の具合が本調子でなく、牛田駅から先の北千住駅までは、歩くことが無理そうなので、あきらめた!

①八広駅・・・・・・・・・・荒川を挟み右岸(墨田区)に八広駅、左岸(葛飾区)に四ツ木駅がある。 八広駅は大正12年(1923)、「荒川」駅として開業した歴史ある駅だが、駅前商店街などはなく、高架下に出入り口があるのみ。 飲み屋、コンビニもない寂しい駅だ!

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②曳舟川通り・・・・・・・・・・・スカイツリーと新四ツ木橋を結び、水戸街道に並行するバイパス的な道路。・・・・・・・・・道路の原形は江戸時代に造られ、昭和初期に現在の水戸街道が造られるまでは、曳舟川通りが水戸街道と呼ばれていたそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・八広6丁目の交差点から、スカイツリー方向を望む

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・・・・・・・・・・・・・・新四ツ木橋方向を望む

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③隅田稲荷神社・・・・・・・・・・・墨田4丁目の路の入り組んだ、ゴチャゴチャした町中に、天文年間(1532-1553)に伏見稲荷を勧請し祀った隅田稲荷神社がある。 ・・・・・・・・現社殿は昭和18年(1943)に改築された。

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・・・・・・・・・・・・神社周辺の路。 どの路も“行き止まり”ではない、チャント、通り抜けできる!

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④鐘ヶ淵駅前踏切・・・・・・・・・・・・忘れもしない去年の6月23日、踏切で転び、右肩脱臼。 散々な目にあった処だが、鉄道好きの私には愛着ある踏切だ!・・・・・・・・今日も来てしまった!

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⑤土手沿いを走る・・・・・・・・・荒川土手下を走る東武スカイツリーライン

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・・・・・・・・・・・・・・堀切駅 を通過するスペーシア

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⑥牛田駅・・・・・・・・・・・京成本線の京成関屋駅と至近の位置で、道路を挟んで向い対している。・・・・・・・・・牛田は、むかし牛田圦(うしだいり)と呼ばれた農業用水路が近くにあったことに由来しているそうだ。 関谷は、葛飾北斎の浮世絵「関屋の里」が描かれているように、この地はむかし関谷と呼ばれていたそうだ。 どちらの地名も今は無くなり、両駅とも足立区千住曙町にある。 両駅とも、駅名を「曙町」に変えてはいかが?

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここらで、私の足が疲れてきたので帰宅することに!

2014年11月 2日 (日)

浅草橋~押上

まだ、足の腫れがの残っており完全に回復していないが、散歩の練習のつもりで、我が家(浅草橋)から押上まで歩いてきた。 1万歩、7km。

①須賀神社・・・・・・・・・江戸通りに面し(浅草橋2丁目)鎮座する、推古天皇の御代(西暦600年)に創建された神社。 我が家からは徒歩3分ほどで、病気平癒の御利益もあり、今日は御礼の気持ちで手を合わせててきた。・・・・・・・・社殿は戦災で焼失し、昭和36年(1961)建築の鉄筋コンクリート造。

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②隅田川・・・・・・・・・蔵前橋を渡り墨田区へ・・・・・・・穏やかな川面、チョイト霞むスカイツリー、秋晴れの隅田川だ!

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③割烹吉葉・・・・・・・・・・・昭和29年(1954)から昭和33年(1958)まで、第43代横綱であった吉葉山が起こした宮城野部屋の建物を、そのまま、ちゃんこ料理屋として使用している。 中には土俵も残されている。・・・・・・・・・吉葉山の前には鏡里・千代の山・東富士、後には栃錦・若乃花、懐かしき名横綱のオンパレード。 “メンコ”にはこれらの横綱の写真が印刷されてたね!

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④旧厩橋交番・・・・・・・・・・・墨田区本所1丁目の交差点角にある小さな交番。昭和3年(1928)に交番として建てられ、平成19年(2007)からは本所警察署厩橋地域安全センターとなった。 大通り交差点の土地に合わせ、薄っぺらい三角形の平面に、石造りを模したコンクリートの装飾が特徴的だ。・・・・・・・・・交番当時は、警視庁のマークが飾られ、軒下には赤いライトが灯り、印象的であったであろう。

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⑤本所からスカイツリー・・・・・・・・

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⑥小梅橋と北十間川樋門・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・小梅橋・・・・・・・・とうきょうスカイツリー駅(旧:業平橋駅)の西側、北十間川に架かる裏道の小さな橋です。 元は、昭和4年(1929)に架けられた復興橋であるが、昭和28年(1953)に架け替えられた。 この辺りは、小梅瓦町、小梅村と呼ばれていた所で、江戸時代の旗本の隠居所や富商の妾宅、そして料亭があった、チョイト、小粋な処であった。

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・・・・・・・・・・・・北十間川樋門・・・・・・・・・・小梅橋の東側に樋門があり、スカイツリーの前を流れる北十間川はこの水門で区切られています。 この樋門は、水位を調整するとともに、水質の浄化も行っている。 昭和53年度(1979)完成。

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⑦スカイツリー前でパチリ!・・・・・・・・・・・

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