白鬚橋・桜橋
かつてのスラム“山谷”地区のバス停:清川2丁目で下車し、白鬚橋を渡り墨田区へ入る。 東向島の裏通りをぶらつき、墨堤通りを歩いて桜橋へ、橋を渡ると再び台東区に入り、浅草でチョイと用を足し帰宅する。 隅田川橋梁の21番目・22番目をめぐる、1万2千歩、9kmの散歩です。
①清川2丁目の古い建物・・・・・・・・・・・裏通りには山谷の面影が残っている
・・・・・・・・・・・・1階はスナック、2階は理髪店。 昭和初期の建物と思われるが詳細不明?
・・・・・・・・・・・・・アサヒ商店街の7軒長屋。 木造モルタル塗の長屋、こちらも年代不詳。
②おばけ地蔵・・・・・・・・・・・・台東区橋場2に、高さ3m余りの大きな地蔵さんが立っている。 この辺りは、室町時代以来、禅宗の名刺総泉寺の境内地であった。 門前一帯は浅茅ケ原といい、松並木があり、その傍らに享保6年(1721)建立の大きな石地蔵が残されてきた。 この地蔵は、関東大震災で二つに折れたが、補修し現在に至っている。 総泉寺は、昭和4年板橋区へ移転した。 地蔵さんを置いて、坊さんは行っちゃった!
③白鬚橋・・・・・・・・・・・・・右岸は荒川区南千住と台東区橋場、左岸は墨田区堤通で、橋上には「明治通り」を通す。 白鬚橋(しらひげばし)の名は、近くの「白鬚神社」に因む。・・・・・・・・初代の白鬚橋は、近隣住民が資金をだし、大正3年(1914)に架けられた木造橋であった。 しかも、有料で、橋の上に小屋を建て大人一人1銭の通行料を取ったらしい。・・・・・・・・・現在の白鬚橋は、昭和6年(1931)に竣工した震災復興橋である。 設計は「千住大橋」を設計した増田淳、施工は大林組、橋桁製作は川崎造船所により架橋された。 橋長は約169mほどある、鋼橋で横長の骨太な感じは永代橋と似通っていて重量感があるタイドアーチ橋。・・・・・・・・・・・・『白鬚』と聞くと、私は「白鬚橋病院」を反射的に思い出す人間となってしまった。 事の顛末はこちら! と こちら!
④白鬚ビル・・・・・・・・・・・・東向島3、明治通りに面した共同住宅ビル。 年代不詳だが、かなり古そうな建物だ。 かつて、1階の商店の人に聞いてみたが、耐震的には危険な状態らしい。 2階では理髪店が営業中。 危険を感じたか、その他の部屋は空き部屋となったようだ! 写真ではわからないが、正面から見ると、チョイと左側に傾いているようだ、壊れる前に壊すかな?
⑤白鬚神社・・・・・・・・・・・天暦5年(951=平安時代初期)に近江の白鬚大明神の分霊をこの地(旧寺島村)に祀った。 商売繁盛、方災除け、厄除けの神として多くの人々の崇敬を受けている。 ・・・・・・・・・隅田川七福神の寿老神としても崇められている。 神社に寿老神が祀られているのは、文化の頃(江戸時代)、向島に七福神をそろえたいと考えた時に、どうしても寿老人だけが見当たらなかった。 そこで、白鬚大明神はその名から、白い鬚の老人の神様だろうから、寿老人うってつけと、江戸人らしい機智を働かせて、この神を寿老人と考え、めでたく隅田川七福神がそろったといわれている。 江戸時代から、七福神詣でで稼ごうとした神社のこじつけだな。 だまされた私が悪いのか、だました神社が悪いのか、昔のことだ、だまされたままでいよう!
⑥桜橋・・・・・・・・・・・・・墨田区と台東区の両岸に広がる隅田公園を結ぶ歩行者専用橋。昭和60年(1985)、両区の折半で総工費28億3000万円かけ完成した。 X形の曲線平面をした箱桁橋で、橋長約169mの立派な専用橋である。・・・・・・・・・花見の時は、橋の両岸で賑わう。 とくに、墨田区側では向島の芸者も総出の“お・も・て・な・し”は嬉しいね!
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