神田明神・湯島天神
クリスマス・イブで、のんびりしたいところだが、そうは問屋が卸さない。 我が家は、そろそろ正月の準備で、出がけに『散歩に行ったら、帰り松坂屋で「御年賀」を買ってきて!』の一言。 『あいよ!』の一言で返す。・・・・・・・・今日の散歩は、我が家(浅草橋)から神田明神、妻恋神社、湯島天神と、初詣での受け入れ態勢を視察してまわり、松坂屋で終わる。 1万1千歩、8km。
①カトリック浅草教会 ・・・・・・・・・・今宵は静かに、降誕祭のミサが行われるでしょう。 早朝の教会は、まだ明りも消えたまま。 現在の教会は、平成元年(1989)頃に建て替えられたもので、建物は台東区建築景観賞を受賞した。 小さいながらも周囲に緑を配し落ち着いた雰囲気を感じさせる。・・・・・・・私の幼き頃、我が家に近いこの教会には、広い敷地に“パウロ幼稚園”が併設されていた。 同級生の3割程は、この幼稚園の卒園者だった。 園児であった友達同士が、楽しそうに話しているのを見て、子供ながら私もこの幼稚園に行きたかった!
②増子事務所・・・・・・・・・・・・台東1丁目の旧法務局前に建つ、木造モルタル系の看板建築。 外壁に飾りが少なく地味な建物である。 私の記憶では戦前の建物である。
③私の育った町・・・・・・・・・・・・現在の外神田4丁目、その昔は神田松富町。 末広町交差点の南東側の一角である。 さらに言うと、かつての神田青果市場の北側。 ここには私の祖父母が住み、小学生になるまでは、日中はここ、夜は現在の浅草橋で育ってきた。・・・・・・・・・・戦後の数年間、遊んだ裏通りの町並みは、だいぶ変化したが、祖父母の家の前にあった、旅館、質屋の建物は当時のまま残っている。 懐かしい一角だ!
④千代田区立外神田住宅・・・・・・・・・・神田明神下に建つ、昭和46年(1971)に建てられた、地上7階建て、鉄筋コンクリート造の区営住宅である。 この建物は、築後40年以上経過し劣化してきたようだ。 “区営住宅”でもあり、そろそろ耐震補強工事をするか、取り壊して新たに何か造るか? 考え時ですね!
⑤神田明神・・・・・・・・・新年を迎える準備はよろしきや? 神田明神・妻恋神社・湯島天神の3社を歩いてきた。 まずは、神田明神、、、、、
・・・・・・・・・・・・・病み上がりにはチョイとつらい明神男坂の階段を上る
・・・・・・・・・・・・・社殿は掃除も終わり、飾り付けも終わったようだ、、、、、
・・・・・・・・・・・・・境内脇の小唄塚・小唄作詞塚・・・・・・・・・神田明神の祭礼(神田祭)は江戸っ子自慢で、小唄の中に多く取り入れられ、“粋”と“いなせ”の象徴である。 この情景を小唄の作曲に取り込んだ大正・昭和の吉田草紙庵(本名:吉田金太郎)を顕彰し、昭和31年(1956)に小唄塚が建立された。 その後昭和62年(1987)に、小唄塚の隣りに、小唄作詞塚が建立され、曲と詩の両方を顕彰するようになった。・・・・・・・いまどき、小唄をやる人も少なくなり、、、、、若い人は、“小唄” って何?、、、、、チョイと悲しいね!
・・・・・・・・・・・・・・天野屋・・・・・・・・・・・ご存じ、明神様の鳥居脇の甘酒:天野屋。 建物の地下には、非公開の糀室があり、ここで糀を熟成させは、「明神甘酒」として提供してくれる天然の甘味である。 甘酒以外にも、神田明神名物「芝崎納豆」、「江戸味噌」なども扱っている。
⑥妻恋神社・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・神田明神から湯島天神に向かう清水坂、、、、、、歩道に出ている石柱?、、、、、明暦3年(1657)の大火で、この地一帯の所有者であった霊山寺が浅草へ移転した。その跡地の一角を旗本:島田弾正が屋敷とした。 その後明治時代に、敷地は清水精機会社の所有となった。 会社は大正時代に、湯島天神へ行く人のために、土地の一部を提供して、坂道を整備した。 この徳をたたえるため「清水坂」と命名し、石柱を建てた。 その石柱が今も残っている。
・・・・・・・・・・・・・・・石柱の先を右に折れると、正面、右隣にラブホテルがある妻恋神社。 清水坂の上は、ラブホテルが並ぶ、縁結びのメッカかな? 創建年代不詳。 社殿は鉄筋コンクリート造。 門松・注連縄も用意され、正月を待つばかり。
・・・・・・・・・・・・・受験シーズンを向かえ、これから商売繁盛の天神様。 境内の屋台は準備OK、早いね!
・・・・・・・・・・・・・おや? こちらには「小唄顕彰碑」。 湯島も小唄には縁ある地で、昭和34年(1959)に建立された、小唄功労者の顕彰を記念した碑、粋な計らいだ。・・・・・・・・東京音頭を歌う小唄勝太郎も顕彰されたのかな?
・・・・・・・・・・・・・湯島と言えば、「湯島の白梅」。 この歌詞中に、“♪♪ 青い瓦斯燈 境内を 出れば本郷 ~~♪♪”と歌われている。 湯島天神境内のガス灯は5基あったそうだ、いっときすべて無くなった。 昭和56年(1981)に、東京ガスの協力をえて、1基のガス灯が設置された。・・・・・・・ガス灯の下で、忍び逢う男女の恋。 いいね、今から実践できるものなら、やってみたいね!
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・このあとは、上野松坂屋 でお買い物、、、、、
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