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2014年12月 8日 (月)

小石川

水道橋駅から、後楽園遊園地の北側“小石川1丁目・2丁目”付近をぶらつき飯田橋駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①春日町交差点・・・・・・・・・・・・・・文京シビックセンターの建つ交差点。 この交差点は、昭和30年代には、私の中高校生時代の通学経路であった。 当時は都電が縦横に通り、交差点から北に向かった指ケ谷町(現:白山)に学校があり、南の水道橋・神保町は浅草橋方面への乗換停留所である。 東に向かうと、本郷3丁目・御徒町を抜け厩橋へ、ここで乗り換えても浅草橋に着く。 つまりは、春日町を通れば、我が家に帰れる交差点だった。

・・・・・・・・・・・・・文京シビックセンター・・・・・・・・・・春日町交差点の南西の角に建つ、高さ142mの超高層ビル。 地上28階建の文京区役所本庁舎と、1800の客席を有する公会堂:シビックホールで構成される。 建物は文京公会堂の跡地に平成11年(1999)に竣工した。 総工費816億円で、現都庁の約半額のお値段である。(チョイと豪華すぎて、金の使いすぎだね!)

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・・・・・・・・・・・・・都営文京真砂アパート・・・・・・・・・・・・春日町交差点北東の角には、都営文京真砂アパートがある。 この建物は、私にとっては忘れられない建物である。 昭和44年(1969)、ゼネコンに建築技術者の卵として入社した私は、新人研修の場としてこの建物の工事現場に見学に行かされた。 その縁で、現場所長と懇意となり退職するまで世話になることとなった。・・・・・・・・・・12階建て、1階~4階までは文京区民センター、5階から上が都営住宅、昭和44年(1969)竣工。・・・・・・・・・この建物の1階には、旧東京市の時代に、現23区内に14か所の公設小売市場が開設され、その一つ真砂(まさご)市場がある。 開設後95年を経た今年、都内最後の市場として残っていた真砂市場も閉じられることとなった。

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・・・・・・・・・・・・・・まだ「真砂市場」の看板は出ているが、かつては17区画に店舗が並んでいたが、現在は2店舗だけとなった。 

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②照井医院
・・・・・・・・・・・・小石川1丁目に建つ、大正初期の歯医者さん。 正面はモルタル塗り、側面は下見板張りで、縦長の古い窓と木造のドアが、レトロな感じを演出している、かわいい建物だ。

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・・・・・・・・・・・・医院の隣りには銅板建築の佐藤紙工、こちらも古そう!

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③遠州屋・イーグル文京・・・・・・・・・・昭和3年(1928)の建築と言う話もある、古そうな銅板建築。

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④大亜堂書店
・・・・・・・・・・大正末期に創業し、昭和7年(1932)より現在の小石川2丁目こんにゃくえんま前交差点にて営業している書店。 建物は、震災後の看板建築で壁のスクラッチタイルと左書きのブリキ看板が特徴である。・・・・・・・・・ブックオフのような新しき古本屋に押され、少なくなってきた昔ながらの古本屋さんは、店主が高齢化し商売も難しくなってきたようだ。 

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⑤源覚寺
・・・・・・・・・・小石川2丁目の浄土宗の寺。 通称『こんにゃく閻魔』で知られている。 寛永元年(1624) に創建され、本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩)である。 現在の本堂は昭和54年(1979)に再建された鉄筋コンクリート造で、境内正面には平成15年(2003)に再建された木造の閻魔堂がある。・・・・・・・・こんにゃく閻魔は「身代わり閻魔」として人々の信仰を集め、眼病に御利益があるそうだ。 

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⑥小石川2丁目の路地裏・・・・・・・・・・・大亜堂書店の北側から上富坂教会の前に出る、ひそやかな坂道がある。階段状の細い坂道でクルマは入れず、周囲の高層ビルから見下ろされる位置に、数軒の民家がひそりと軒を並べている。 家の前では、ベーゴマ、縄跳び、メンコなどで、ワンパクが遊んでいたと思われる。 懐かしい光景が想像される、私好みの路地だ。 いつまで続く、この景色!

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⑦日本基督教団上富坂教会
・・・・・・・・・・明治24年(1891)に文京区富坂(現:小石川2)に新教神学校が建てられ以来、教会、幼稚園などが周辺に整備されてきた。 現在の教会の建物は戦災を免れたが、関東大震災には遭遇したようで、煉瓦造りの部分もあり、かなり古そう! 平日は門も閉じられている、日曜礼拝の時などに内部を見ることができるので、一度拝見してみたいものだ!

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⑧善光寺
・・・・・・・・小石川3丁目に、慶長7年(1602)に創建された、伝通院の塔頭で、かつて縁受院と称した寺がある。 明治17年(1884)に寺は善光寺と改称し、信州の善光寺の分院と なった。 この寺の前にある坂を「善光寺坂」と呼び、この界隈には幸田露伴・徳田秋声や島木赤彦・古泉千樫ら文人、歌人が住み活躍した。 このへんも、文士村の一つかも。

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⑨澤蔵司稲荷
・・・・・・・・・・・善光寺の隣りには、澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)の慈眼院がある。 浄土宗の慈眼院の創建年代は不詳である。 元和6年(1620)に沢蔵司稲荷の別当を慈眼院としたのが伝通院中興開山廓山上人ということから、その頃には慈眼院が創建していたと推定できる。 なお、沢蔵司稲荷の沢蔵司は、僅か三年で浄土宗の奥義を極めたという秀才で、「澤蔵司てんぷらそばがお気に入り」と川柳に読まれた僧だった。 ・・・・・・・・・・“天ぷら蕎麦”は私も好きだが、大きな衣に小さなエビの天ぷらは、好きになれないね!

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・・・・・・・・・・・・・ムクノキ・・・・・・・・・・江戸時代にも傳通院本坊から澤蔵司稲荷へ続く参道(善光寺坂)の途中に存在していた「椋の木」が現存している。 明治20年頃、道路拡張工事が行われ、現在のように道路の真ん中に出てしまった。 昭和20年(1945)の空襲では、火災により木の上部が焼け、昭和30年代に幹の上部が伐採された。  さすが、幹の周囲は5m程ある、樹齢400年を誇る古木だ!

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⑩傳通院
・・・・・・・・・・・・・・・傳通院は、正式には無量山傳通院寿経寺という。 応永22年(1415)の創建。 慶長7年(1602)に徳川家康の生母於大の方が京都伏見城で亡くなり、翌年、家康は母の遺骨を現在の墓地(傳通院に在る)に埋葬し、寿経寺を現在地に移転して堂宇を建て、母の法名「傳通院殿」にちなんで院号を傳通院とした。 昭和20年(1945年)の空襲では、傳通院も江戸時代からの山門や当時の本堂などが全て焼失した。 現在の本堂は、昭和63年(1988)に戦後2度目に再建されたものである。 山門は平成24年(2012)に再建された。 広い境内だが、歴史ある建物は残っておらず、チョイと残念だ。

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