池袋~十条
池袋駅から十条駅まで、埼京線沿いに歩いてきた。 1万1千歩、8km
①池袋駅・・・・・・・・・・JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン)、東京メトロ(丸ノ内線、有楽町線、副都心線)、西武鉄道(池袋線)、東武鉄道(東上線)の、4社8線が乗り入れる、ご存じ、巨大ターミナル。 全乗降客数は一日あたり258万人、年間9億5000万人。・・・・・・・・明治36年(1903)の駅開業時は、“池袋村”に設置された農村の駅で、周囲にはキャバクラ、ストリップ、風俗店などは一切無く、いたって健全な駅であった。 でも、楽しくない人もいたと思うよ!
・・・・・・・・・・・・・今日は、通勤客も少なく、ホームはガラガラ、電車もガラガラ、、、、、駅前もガラガラ。
・・・・・・・・・・・・・・・開業時(明治時代)の池袋駅。 今は信じられない、駅前で大根でも収穫できそうな駅だった。
②豊島区役所・・・・・・・・・・・昭和36年(1961)に完成した現庁舎は、総工費4億3289万円 総面積13000㎡ 地下1階地上4階の鉄筋コンクリート造で、完成当時は千代田、文京と並ぶ都内最大級の総合庁舎だった。 しかし、現在は老朽化と手狭となり、平成27年(2015)5月7日の新庁舎移転を目指し、現在、南池袋に建設中である。 現庁舎は、平成27年5月1日(金)17時15分をもって閉庁となる。・・・・・・・・・・新庁舎は地上49階建ての超高層ビルで、庁舎は1階から9階まで、11階以上は住宅。 施工は大成建設。
③埼京線・・・・・・・・・・池袋駅の北側で、川越街道跨線橋から埼京線赤羽方を眺める。 写真中央は埼京線。 その右側に山手線の池袋検車区。左側2線は東武東上線。
④北池袋駅・・・・・・・・・・・東武東上線で、池袋の次の駅。 隣に併走するJR埼京線の池袋~板橋間に位置する。 池袋を出た東武東上線は、当駅を過ぎるとJRと離れ、北西にカーブし下板橋駅に向かう。 昭和20年(1945)には空襲で被災し休止する。 昭和26年(1951)北池袋駅として営業を再開する。
・・・・・・・・・・・・・・駅前のこちらの踏切は、「あかずの踏切」として有名らしい。 なにせ、写真手前の東上線だけでなく、隣(写真奥)の埼京線の踏切と一体で、踏切の警報音がたえず鳴っている。 ご近所迷惑な踏切だ!
⑤板橋駅 ・・・・・・・・・明治18年(1885)、日本鉄道の駅として開業、池袋駅よりも古い老舗の駅だ。
⑥埼京線・・・・・・・・・・・板橋駅を過ぎ、北区十条台では切通しを通過する。
⑦東京家政大学・・・・・・・・・明治14年(1881)、創立者:渡辺辰五郎は「女性に技を身につけ、その技を通して社会的自立を計り、時代の動向を見通していく創造性に富む女性を育てる」ことを目的として裁縫私塾「和洋裁縫伝習所」を本郷に開設した。 明治25年(1892)には、「東京裁縫女学校」と改称。 さらに、昭和に入ると「渡辺女学校」に改称、昭和21年(1946)に東京大空襲で校舎を焼失し、新校地(現:板橋校舎)へ移転した。 昭和24年(1949)には「東京家政大学」と再び改称した。・・・・・・・・・女子に学問は不要と言われていた明治時代に、女子の教育の場を創った渡辺君は偉い! 親しみを感じるね。・・・・・・・・ただし、女学校は散歩で構内には入りにくいところで、カメラを持った助平爺は、守衛さんに必ずマークされる。 今日は年末で学校も休み、守衛さんも怖そうなので、パスすることにした。
⑧十条駅・・・・・・・・・・明治38年(1905)、日本鉄道の十条駅として開業。 最初は貨物駅として開業し、東京砲兵工廠に発着する貨物を取り扱っていた。 明治43年(1910)には、旅客営業の十条駅が開業した。 駅の改札は、駅前ロータリーのある北口(表玄関)と、路地裏の南口(勝手口)がある。 本日は勝手口から入場することにした。
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