永代橋・中央大橋
隅田川の最上流:岩淵水門から数えて、36番目の橋梁は永代橋、37番目は中央大橋、今日の散歩はこの2橋と霊岸島(中央区新川)を辺りをぶらついてきた。 1万4千歩、10km。
●昭和23年の「国土地理院の空中写真」では、清洲橋と永代橋が隅田川に架かっているが、隅田川大橋と中央大橋は架かってない。 霊岸島には島の中央付近に亀島川 と隅田川を結ぶ運河:「新川」が写っている。 地名「新川」の由来となった運河。
①湊橋・・・・・・・・・・・・中央区新川と日本橋箱崎町を結び、日本橋川に架かる湊橋(みなとばし)。 この辺りは、江戸時代には「江戸湊」と呼ばれ、江戸と地方を結ぶ水運の中心地で、まさに港であった! とくに、塩、酒、醤油などの生活必需品運搬の中心地となっていたので、現在でも橋の北詰には、海運業・酒問屋・醤油問屋などの会社が多い。・・・・・・・・・・・現在の橋は、関東大震災復興事業の一環で昭和3年(1928)に架けられた、鉄筋コンクリート3連アーチ橋である。 総工費は、ナント!、208,000円なり。 平成元年(1989)に改装され、チョイとモダンな外観となった。
②豊海橋・・・・・・・・・・・湊橋の下流、日本橋川が隅田川に合流する地点に豊海橋(とよみばし)が架かる。 こちらも、昭和2年(1927)に震災復興橋として架設された。 この橋は、永代橋を意識し、梯子を横にしたような重量感あるデザインで設計された。 丈夫な鉄骨をガッチリと鋲止した橋。 橋長約46m、設計は福田武雄、施工は横河橋梁製作所。
③IBM箱崎ビル(三井倉庫箱崎ビル)・・・・・・・・・・・豊海橋の箱崎寄りには、IBM箱崎ビルがある。 地上25階建て、高さ:108.32m、約135,000㎡の延床面積を有し、設計・施工は竹中工務店、オナーは三井倉庫の建物だ。 平成元年(1989)竣工。
・・・・・・・・・・・・・・・高尾稲荷神社・・・・・・・・・・IBMの前にある神社。 万冶2年(1659)、江戸の花街:吉原の遊女高尾太夫が仙台藩主伊達綱宗候に寵愛され見請けされたが、彼女にはすでに意中の人あり、操を立てて候に従わなかったため切り殺された。 隅田川に捨てられたその遺体が引き揚げられた北新堀河岸(現:日本橋箱崎町)に、彼女の神霊高尾大明神を祀ったのを起源としている。 現在、神社には、稲荷社としては全国でも非常に珍しく、実体の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神として安置している。・・・・・・・・・高尾太夫の頭蓋骨?チョイと気味が悪いね!
④茅場町タワービル・・・・・・・・・豊海橋の新川寄りには、平成9年(1997)突然廃業した旧山一証券の本社ビルがある。 倒産当時は連日このビルが象徴的にテレビに映し出されていた。 ビルは倒産前年の平成8年(1996)に竣工した、地上21階、高さ99.9mの規模を有する大きなビルだ。
⑤永代橋・・・・・・・・・・・元禄11年(1698)に初代永代橋が架けられた。 隅田川で4番目の架橋である。 当時としては最大規模の橋であったが、木造で維持管理が大変だったようだ。 文化4年(1807)の深川富岡八幡宮の祭礼日には、詰め掛けた群衆の重みに耐え切れず、1400名以上の犠牲者を出す落橋事故が起きた。 大田南畝の狂歌には、、、、“永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼”とある。・・・・・・・・・現:永代橋は、関東大震災復興橋の一つで、橋長185m、3径間(中央はスチールアーチ橋、両側は鋼桁橋)の橋。 設計は田中豊原案、竹中喜忠設計(意匠面では山田守、山口文象もの関与)、橋桁製作は神戸川崎造船所、下部工の太丸組は間組の施工で、大正15年(1926)12月20日に完成した。 震災で疲れた東京市民への、年末のクリスマスプレゼント!
・・・・・・・・・・・・・・・・永代橋から眺めた佃島。 隅田川はここで右:隅田川と左:隅田川派川に分岐する。
⑥新川の跡・・・・・・・・・・永代橋際の新川公園には、地名の由来となった運河の「新川」跡に碑が立っている。 新川は万治3年(1660)、政商であった河村瑞賢の開削と伝えられている運河。 河村瑞賢の屋敷は新川にあり、諸国から運ばれてくる荷の陸揚げを容易にするため、運河を開削したそうだ。 運河は昭和23年(1948)から、戦後の残土処理のために埋め立てが始まり、翌昭和24年には完全に消滅した。
⑦霊岸島(新川)の神社・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・新川大神宮・・・・・・・・・・・・中央区新川のビルの谷間にある神社。 新川大神宮は、慶光院周清上人が寛永2年(1625)に代官町に屋敷を賜り、邸内に伊勢両宮の遥拝所を設けたことが始まり。 その後、明暦3年(1657)の大火で類焼したので、霊岸島に替地を賜り、万治元年(1659)勧請したといわれている。 酒問屋の信仰が篤く、第二次世界大戦で罹災後も、昭和27年(1952)に全国の酒問屋からの協賛を得て再建した。・・・・・・・・・・河村瑞賢の屋敷跡に近い神社。
・・・・・・・・・・・・・・新川金刀比羅神社・・・・・・・・・・神社は、天保年間(1830-1844)武蔵国山岡吉右衛門邸に創建、明治8年当地に遷座したといいます。 歴史を感じられない、何もない神社。 せめて、道路側に神社名を表示してほしいね!
・・・・・・・・・・・・・・於岩稲荷田宮神社・・・・・・・・・四代目鶴屋南北の「東海道四谷怪談」(1825年初演)の主人公お岩の伝承をもつ神社。 御祭神は豊売比売大神、田宮於岩命。 明治の初め、歌舞伎役者や崇敬者の願いを受けて芝居小屋に近く便の良い当地に創建され、江戸の寛永時代から田宮家於岩様(1636年没)を祀る四谷左門町の「四谷於岩稲荷田宮神社」とともに参詣されている。 明治12年に神域が手ぜまになったので、現在地に移座し、四谷の神社は飛地境内神社とした。
⑧中央大橋・・・・・・・・・・・・・・・・平成5年(1993)に竣工した、橋長215mの鋼斜張ハープ橋。 中央区新川と中央区佃を結んでいる。 佃の超高層マンション群とはよく似合い、いいデザインだ!
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