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2015年1月 5日 (月)

小岩~柴又

JR総武線小岩駅から、北へ歩きはじめたが、途中で女狐に惑わされ、行き着いたところは、四日前に来た柴又。 これも何かの縁と思い、閉店前の帝釈天に手を合わせて帰る。 9千歩、7㎞。 


①JR小岩駅北口
・・・・・・・・・・・・明治32年(1899)、私鉄:総武鉄道の駅として開業し。 明治40年(1907)に、国有化される。 駅前のバスターミナル、賑やかな商店街などがあるのは南口。 駅裏の駐輪場、寂しい商店街などがあるのは北口。

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②中島商店
・・・・・・・・・・・・北口の商店街にある、線香、香、蝋燭の専門店。 看板の「好文木(こうぶんぼく)」とは店名ではなく、大阪で300年の歴史を誇る「梅栄堂」の線香のブランド名。 線香の好文木は、中国の故事による「文を好む平和の花」として梅の美称を頂戴し、白檀、桂皮などの天然香料をふんだんに使用した線香の逸品。・・・・・・・・建物は昭和10年頃の建築らしい。

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③吉野湯
・・・・・・・・・・・・昭和27年(1952)に開業した西小岩の銭湯。 戦後の建物だが、瓦葺きの堂々とした建物である。 私は利用したことがないが、話ではかなり熱めの湯で、頑固親爺向けの銭湯らしい。

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④小岩用水
・・・・・・・・・・・・小岩駅北口から駅前の通りを真っ直ぐ歩いてきたが、葛飾区鎌倉1丁目に入ると、道もチョイと曲がり、鎌倉2丁目で京成線とぶつかった。 “オヤ!行き止まりだ!”

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・・・・・・・・・・・・・・道の中央に、何やら案内板が、、、、、「小岩用水の沿革」である。・・・・・・・・超要約すると、ここには、現在の水元公園 から引かれた小岩用水が、昭和40年頃まで流れていた。 この用水は江戸時代中期に、現在の葛飾区・江戸川区の農業用水として整備されたものである。 戦後になると、用水の役割はなくなり、家庭排水が流れるようになった。 区では用水を緑道として整備した。

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・・・・・・・・・・・・・・線路とは反対側を眺めると、広い道が整備されている。 この道は江戸川区の中央付近まで続いている。 かつて、小松菜などの野菜作りに整備した小岩用水の跡だ!

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・・・・・・・・・・・・・・踏切を渡り小岩用水の跡には、寛文3年(1663)に建立された地蔵菩薩と、安永6年(1777)に建立された青面金剛立像が祀られている。

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⑤鎌倉八幡神社
・・・・・・・・・・地蔵菩薩のところで、女狐に出会い、私の足はついフラフラと女狐の方角に向かい、いつのまにか鎌倉3丁目の迷路のような裏道に、我に目覚めたのは鎌倉八幡神社の前だった。・・・・・・・・・『寛永年間(1624-44)相模鎌倉郡の人、源右衛門が当地開発に際し、鎌倉八幡宮を勧請して氏神としたもので、地名の鎌倉もこれに由来するという。』と、葛飾区教育委員会では説明している。

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⑥新柴又駅
・・・・・・・・・・・・途中、元旦に“柴又七福神めぐり”で歩いた新柴又駅を通り、鎌倉八幡神社からは柴又街道を柴又へ向かう。 

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⑦帝釈天
・・・・・・・・・・・・・柴又へ来てしまったので、日も暮れたが、一応、帝釈天に御挨拶して帰ることにした。 参道の店は、そろそろ閉店です。

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⑧柴又駅・・・・・・・・・・・・・寅さんに別れを告げ、二人が語らうホームに立つと、男一人は寒いね!

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