佃大橋・勝鬨橋・築地大橋
隅田川の橋梁めぐりも、いよいよ大詰め、38番目の佃大橋、39番目の勝鬨橋と見て、40番目の築地大橋で、〆て完結しました。 1万4千歩、10㎞。
①中央区佃・・・・・・・・・・・・隅田川下流にて、隅田川と隅田川派川が分岐する位置にある佃島 。 今は月島・晴海などの地区とつながり、島のおもかげは薄れてしまった。 かつては、隅田川の対岸から渡し船で渡ったもので、遠い昔の話となった。 私は、昭和35年頃、渡し船で佃島へ行った思い出がある。 当時は、都の運営によるポンポン船の渡し船で、乗船料はタダであったと記憶している。
・・・・・・・・・・・・佃3丁目・・・・・・・・・明治29年(1896)に佃3丁目(旧:新佃島)埋め立てが完了した。
・・・・・・・・・・・・佃3丁目の路地裏の民家
・・・・・・・・・・・・・・海水館の碑・・・・・・・・・・海水館は明治30年代(1900前後)の終り頃、新佃島(現:佃3丁目)にあった旅館です。 当時、この辺は房総を一望できた景色のよい、閑静な場所で、この地を愛した島崎藤村、小山内薫、木下杢太郎、市川左団次、三木露風、吉井勇、久保田万太郎、竹久夢二、日夏耿之助らの文人がしばしば集い、滞在したと言われている。 現在は、旅館もなく、房総を一望できず、ただ碑があるのみ。 碑の前には、高い護岸が連なり見えるのは、ご近所の植木鉢ばかりなり。
・・・・・・・・・・・・・佃1丁目・・・・・・・・・・徳川家康の時代にできた、最も古い埋立地。
・・・・・・・・・・・・・住吉神社・・・・・・・・・佃1丁目のシンボル的な神社。 大正5年(1916)に造られた赤煉瓦の神輿庫は、拝殿の脇にチョイと恥ずかしげに建っている。
・・・・・・・・・・・・・佃小橋・・・・・・・・・・・・住吉神社とならび、佃のシンボル。 朱塗りの欄干が特徴的で、佃の写真にはたびたび登場する。 橋長12.5m、鉄筋コンクリート造、昭和59年(1984)の架橋。
・・・・・・・・・・・・・・佃島渡船場跡・・・・・・・・・・佃大橋の際の公園にある、佃島渡船場の跡地の碑。 明治9年(1876)に、渡し賃一人5厘で始まった渡し船。 大正15年(1926)には、東京市の運営となり、翌昭和2年には無賃の曳船渡船となった。 昭和39年(1964)に、隅田川を跨ぐ佃大橋の完成によって300年の歴史を持つ佃島渡船は廃止された。
②佃大橋・・・・・・・・・・・・隅田川の上流から数えて、38番目の橋梁は佃大橋。 上流側の永代橋と下流の勝鬨橋の間に、昭和39年(1964)、東京オリンピック開催に備え架けられた。 飾りのない、味気ない、素っ気ない、3径間連続鋼床鈑箱桁橋で、見る人を楽しませてくれない橋だ! 橋桁の製作は、地元の石川島播磨重工業(現:IHI)佃島工場である。
③聖路加ガーデン・・・・・・・・・・・・隅田川の右岸(中央区明石町)にカッコよくそびえ建つ「聖路加タワー」と「聖路加レジデンス」。 共に平成6年(1994)に竣工した建物、大きな方が聖路加タワーで、地上48階(約221m)建て、オフィスと商業施設で使用。 小ぶりな方は、地上38階(約141m)建ての聖路加レジデンス。 1階から31階までは、高齢者向けの賃貸マンション。 32階から38階までは、阪急ホテル。 両ビルは上層部の連絡橋で結ばれている。・・・・・・・・・・“聖路加”は、“せいろか”と読まずに、正しくは“せいるか”だ! 私は、四の五の言わずに、江戸訛りで“せいろか”と発音しているのだが、、、、キリスト教の聖人ルカさまに失礼しました、ゴメン!
④旧月島警察署西仲通交番・・・・・・・・・・月島もんじゃストリートの中程に、現存する最古の交番建築がある。 現在は地域安全センターと称して使用している、大正15年(1926)の建物。・・・・・・・・・・警棒を持った制服のお巡りさんが、交番の前に立っている光景を想像してしまうね!
⑤月島川水門・・・・・・・・・・・佃島の南側に明治時代に造成された埋立地である月島と勝どきの間を流れる長さ500m程の短い運河が月島川。 隅田川と運河の接続部に月島川水門はある。 昭和39年(1964)に設置された水門で、幅員11mのローラーゲート式。
⑥勝鬨橋・・・・・・・・・・・・・39番目の橋は、国の重要文化財である、御存じ「勝鬨橋」。 築地と対岸の月島を結ぶ橋の架橋は悲願であったが、明治38年(1905)の日露戦争で旅順陥落祝勝記念として、とりあえず「かちどきの渡し」が設置された。 その後、昭和4年(1929)に架橋が計画され、昭和15年(1940)に竣工した。 開閉式の橋として、昭和45年(1970)11月29日まで開いていたが、以後は一度も開いていない。・・・・・・・現在、開けるとなると、機械の整備から始めるため、10億円程かかるそうだ。 現実的には、もう、開けるのは無理だろうね!
・・・・・・・・・・・・・橋の袂には「かちどきのわたし」の碑がある。
⑦築地大橋・・・・・・・・・・・・40番目の橋梁は、ただいま開通に向け整備中の「築地大橋」。 都は、赤坂見附 → 虎ノ門 → 新橋 → 築地 → 勝どき → 晴海 → 豊洲 → 有明と東京オリンピック競技場・選手村へのメインアクセスとなるであろう環状2号線の道路整備を実施している。 その一環として、これまで、隅田川の最下流に架かる橋は勝鬨橋であったが、さらに下流の築地市場のある築地5丁目と勝どき5丁目を結ぶ、築地大橋の架設工事が昨年完了した。 橋長245m、鋼3径間連続中路式アーチ橋。 まだ、工事中につき渡れず、遠くからチラリとみて、パチリとしてきた。
●・・・・・・・・・・・・・昨年の8月9日から、隅田川に架かる全橋梁を見てきました。 途中、8月13日から大動脈解離を患い、11月まで入院生活。 退院後に、続きを再開し、本日めでたく最下流の築地大橋で終了します。
●2014年8月9日・・・・・・・1番目:岩淵水門~3番目:新神谷橋
●2014年8月11日・・・・・・4番目:新田橋~6番目:豊島橋
●2014年11月27日・・・・・7番目:首都高隅田川橋梁~10番目:舎人ライナー隅田川橋梁
●2014年11月28日・・・・・11番目:尾竹橋~12番目:京成本線隅田川橋梁
●2014年12月2日・・・・・・13番目:東京電力送電橋~20番目:水神大橋
●2014年12月6日・・・・・・21番目:白鬚橋~22番目:桜橋
●2014年12月13日・・・・・23番目:言問橋~25番目:吾妻橋
●2014年12月22日・・・・・26番目:駒形橋~29番目:蔵前専用橋
●2014年12月30日・・・・・30番目:総武線隅田川橋梁~35番目:隅田川大橋
●2015年1月10日・・・・・・36番目:永代橋~37番目:中央大橋
●2015年1月14日・・・・・・38番目:佃大橋~40番目:築地大橋
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