浅草
今朝の寒さは身に染みて堪える! 夜中の寒さのせいか冬眠状態となり、深夜のトイレに呼ばれることもなく熟睡、気がついてみたら夜が明けていた。 朝食後、『散歩に行くの?』と妻の問い。 『寒くて! からだを壊すと良くないので、今日はパス!』が、私の応え。、、、、、、でも、午後の太陽を見ると、身体がムズムズ、気持ちはヨレヨレ、、、、、、ついに、『お茶を飲んだら、チョイと浅草へ行って塩昆布買ってくる』と言ってしまった。 9千歩、7㎞。
●・・・・・・・・・・・地下鉄田原町駅の方から浅草六区に向かうと、雷門通りに面して旧安井商店の建物がある。 建物は鉄筋コンクリート造3階建て、大正12年(1923)の建築らしい、今は「タイガー餃子会館」が使用中である。 外観は大正時代の雰囲気が残っている。、、、、飲食店になってから、建物の中に入ったことがなく、内部は不明なり。 たまには、餃子を食べないと情報が古くなるね!
●・・・・・・・・・・・旧安井商店前から見るスカイツリー
●・・・・・・・・・・・「すしや通り」の裏手、狭い路地に入ると、江戸時代から続く銭湯の老舗:蛇骨湯(じゃこつゆ)がある。 ここは、黒湯と呼ばれる温泉で、入浴後は体の芯までポッカポカに温まるそうだ。 “蛇”と“ビビンバ、クッパ”は嫌いなので、銭湯には興味あるが、入ったことはない。 ちなみに好きなのは、“美人”と“コロッケ、イカフライ”。
●・・・・・・・・・・・浅草六区 は、只今工事中、映画館は一軒もありません!
●・・・・・・・・・・・六区と言問通りを結ぶ全長180mの「ひさご通り」。 関東大震災後の大正13年(1924)に区画整理が行われ、沿道商店の自已資金により道路整備が行われた。 大正14年(1925)に浅草公園ひょうたん池にちなみ、「ひさご通り」と命名した。 浅草寺の裏手で観光客も少なく、両側には地域のお年寄りや労務者を客とする、アウトレット商品の店、安売りの店が並んでいる。 私には、その昔は浅草寺から吉原遊郭に向かう“お遊びの道”であり、現代は旧山谷地区から場外馬券売り場へ向かう“勝負の道”と思える。
●・・・・・・・・・・・・ひさご通りの中程に、台東区の施設で平成9年(1997)にオープンした「江戸下町伝統工芸館」がある。 こちらでは、江戸時代から下町の職人が伝えてきた、江戸指物、江戸鼈甲、江戸すだれ、江戸漆器などの伝統産業を紹介している。 日によっては、職人による実演や手づくり教室なども開催されている。 平日は無料にもかかわらず、客の入りが少なく、チョイと寂しいね。
●・・・・・・・・・・・・六区の北端と浅草寺を結ぶ、「花やしき通り」。 嘉永6年(1853)に開園した、日本最古の遊園地「花やしき」のある通り。 私が記憶しているのは、戦後の「花やしき」で、昭和30年頃はまだビックハウス、豆汽車の時代であったが、花やしきにはジェットコースターが既にあった。 私の娘が小さい頃はまでは入園料は無料であったが、今は1000円以上するので、今日も入園せずに前を素通り。 “あったり前田のクラッカー”ならぬ、“あったり前田の入園料”。
●・・・・・・・・・・・・六区の中程(場外馬券売り場横)と浅草寺を結ぶ全長150m程の商店街が「西参道」。 昭和29年(1954)、戦後の雑然とした浅草公園ひょうたん池跡地と奥山の周辺を整備し商店街が発足した。 呉服屋、観光土産屋が多い。 昨年、リニューアルして歩きやすく明るい商店街に変わったが、まだまだ客は少ない。 浅草のド真ん中にある陸の孤島という感じ。
●・・・・・・・・・・・・ブツブツああだこうだ一人で自分に言い聞かせ、キョロキョロ怪しい目つきで、ウロウロ宛てもなく歩き、美人の後姿を追って、着いたところは毎度おなじみ浅草寺。 今日も合掌。
●・・・・・・・・・・・・・派手な衣装の御一行。 東南アジアはどこぞの国からおこしかな? “Welcome Asakusa!”
●・・・・・・・・・・・・仲見世の裏を抜けて行く、、、、、裏道にも店はある
●・・・・・・・・・・・・伝法院通り東側には歌舞伎でもおなじみの「白波五人男」という盗賊たちが、商店会の屋根などに潜み、道行く人を見下ろしている。 作者の河竹黙阿弥が商店会の近くに住んでいたことから、町の歴史を伝えるべく人形を作った。 五人の頭目、日本駄右衛門は、荷車の上で見えを切り、残る弁天小僧菊之助ら4人は商店会の上から眺めてる。 五人男も雨ざらしで疲れも出たようだ、そろそろ手入れしないと色落ちしてしまうぞ!
●・・・・・・・・・・・・さて、目的の塩昆布を買ったら。 チョイと松屋の屋上からスカイツリーをパチリ!
●・・・・・・・・・・・・大正ロマンの香り漂う「神谷バー」(大正10年(1921)築)を振り返り、、、、、、江戸通りを真っ直ぐ浅草橋へ向かう、、、、、、