上野・谷中
平成24年(2012)から耐震補強工事のため閉館していた上野の「黒田記念館」が、この1月からリニューアルオープンしたので、夫婦で見に行ってきた。 その後、芸大音楽学部、谷中をぶらつき日暮里まで、9千歩、7㎞の散歩です。
①黒田記念館・・・・・・・・・・・・洋画の巨匠:黒田清輝は大正13年(1924)に没したが、“遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう”に遺言を残した。 その言葉を受けて、昭和3年(1928)に「黒田記念館」が竣工した。 昭和5年(1930)には、美術に関する学術的調査研究と研究資料の収集を目的として、現在の東京文化財研究所の前身である美術研究所が設置され、平成12年(2000)の新庁舎移転まで、記念館で研究所業務が続けられた。 研究所移転後、黒田記念館は東京国立博物館に移管され、黒田清輝の油彩画126点、デッサン170点のほか写生帖、書簡などを所蔵・公開している。・・・・・・・・・建物は岡田信一郎の設計、竹中工務店の施工により、昭和3年(1928)に竣工した。 鉄筋コンクリート造2階建、半地下階付、外壁はスクラッチタイル張りで、玄関、階段、天井などの細かなデザインも素晴らしい。 私には黒田清輝の裸婦の絵も素晴らしく感じたね。
②東京藝術大学音楽学部・・・・・・・・・・「音楽学部」となると、私には縁遠いね。 でも、音楽学部に“演歌科”とか、“小唄科”、“都都逸科”(これは、文学部か?)などができたら身近に感じるかも、、、、、
・・・・・・・・・・・・・正門
・・・・・・・・・・・・・・赤レンガ1号館・・・・・・・・・明治13年(1880)竣工、設計は林忠恕。この建物は明治10年(1877)に上野に創設された教育博物館の書籍閲覧所書籍庫であった。書籍庫として耐火を重視したのか、全ての開口部に鉄扉が付けれれている。 都内最古の煉瓦建築。
・・・・・・・・・・・・・赤レンガ2号館・・・・・・・・・1号館に隣り合わせで建つ赤レンガ2号館。こちらは明治19年(1886)の竣工、設計は小島憲之、地上2階建だが3層構造になっている。 この建物は旧東京図書館書籍閲覧所の書庫であった。 “緑の中の赤レンガ”と言う感じだが、空調の屋外機が邪魔だ、どかしてくれ!
③円珠院・・・・・・・・・・・・東叡山寛永寺の子院で、天台宗の円珠院(えんじゅいん)。 寛永寺が徳川家によって創建されると、 有力大名は寛永寺近くに子院を建て、将軍家の法要参列のための装束の着替所とした。 円珠院は長州(萩) 藩が建てた、その内のひとつ。 創建は承応元年(1652)である。 芸大音楽学部の裏通りに面して建ち、よく手入れされた境内が美しく、チョイとお立ち寄り。
④S邸・・・・・・・・・・大正10年(1921)に建てられた、上野桜木の和洋折衷の住宅。左側の洋館部分の屋根下コーナーに飾りが見える。
⑤旧吉田屋酒店・・・・・・・・・・・・明治43年(1910)に建てられ、昭和61年(1986)まで谷中で営業していた「吉田屋酒店」。 上野桜木の交差点角に移築し、台東区の展示施設として公開されている。 出桁造りの重厚な佇まい、前土間、揚戸の出入り口など江戸商家の建築様式を伝える貴重な建物で、内部には、酒・砂糖などを量り売りしていた頃の貴重な資料が残されている。
⑥岡埜栄泉・・・・・・・・・・・「岡埜栄泉」と言えば、『ああ豆大福の、虎ノ門にある・・・』、『いやいや、上野の・・・』、『違うよ、上板橋の・・・』てなぐあいで、「岡埜栄泉」を名乗る和菓子屋さんは都内だけでも30店舗程あるそうだ。 どこが本家か?元祖か?総本店か?はっきりしてほしいね!・・・・・・・・・・その内の一つが、旧吉田屋酒店横を入った谷中6丁目にある、創業明治33年(1900)の谷中の「岡埜栄泉」。 こちらも、名物は豆大福、、、、食べたくなったね!
⑦観音寺築地塀 ・・・・・・・・・・谷中5丁目の観音寺横の通りに面して築地塀が38m程の長さで伸びている。 観音寺は明和9年(1772)の火災で灰燼に帰し、文政年間(1818~1831)頃に再興した寺である。 築地塀は、瓦と粘土を交互に積み重ねて造り、江戸寺町の面影を残している。 塀を見てたら、なぜか、嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」を思い出した、、、、つづいて、杉作役の美空ひばり、、、、なんだか歳を感じるね!
⑧錻力店吉川・・・・・・・・・・・玄関のガラスに書かれた“錻力店”、漢字検定に出てきそうな単語? 答えは、“ブリキ店”である、“ブリキ”これまた何ぞや? 答えは、雨どい、屋根貼りなど、スズをめっきした銅板のこと。 懐かしい商売で私が幼き頃は、ブリキ屋さんがブリキ挟みで切った後に丸まった破片が残り、拾って遊んだ記憶が残っている。 江戸っ子職人の、味のある、いい店構えだ!
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