平井~東大島
久しぶりの散歩日和。 総武線平井駅から、都営新宿線東大島駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
●・・・・・・・・・・『午前中は晴れ、最高気温11℃、風速0.5m』、、、、、寒くなさそうなので、『荒川の水門(ロックゲート)でも見てくるか』と家を出た。
●・・・・・・・・・・途中で欲が出て、『どうせ行くなら上流側の平井駅付近から荒川土手にのぼり、春を感じながら歩こう』と亀戸駅下車の予定を、平井駅下車に変更。
●・・・・・・・・・・JR総武線荒川橋梁寄りの土手は只今工事中、土手にはのぼれず、ついてない! 「橋梁渡る 電車を撮ろう 勇んできたが 徒労なり」
●・・・・・・・・・・『土手上がダメなら、土手下の道を歩いて寺にでも寄って行こう』と、またまた予定変更。
●・・・・・・・・・・この近く(平井1丁目)に、最勝寺、成就寺、大法寺、善通寺の4ヵ寺が並んでいるので、まとめてお立ち寄り。 先の3寺は墨田区本所から、善通寺は近くの東小松川村から、それぞれ大正から昭和初期にかけて現在地に移転してきた。
・・・・・・・・・・・・土手側から、最初は、、、、、、貞観2年(860)創建、天台宗の「牛宝山明王院最勝寺」である。 この寺は“五色不動 ”の一つ「目黄不動尊」で知られている。 不動尊とのご対面を期待したが、堂の柱に「大護摩修行中」なる札が建ち、内部は見えない。 「目黄不動尊」は身持ちが良いようで、私との御対面が、いまだ実現していない。 会えないと、いっそう愛おしさがつのり、会いたくなるものだ!
・・・・・・・・・・・・お隣は、嘉祥元年(848)に開山した、天台宗の嘉桂山西光院成就寺。
・・・・・・・・・・・・そのお隣は日蓮宗の宝聚山大法寺。 大法寺は、現:墨田区太平の法恩寺 第八世大権院日巧上人(千葉常明の子)が大永2年(1522)に創建したといわれてる。
・・・・・・・・・・・・さて、どん尻にしかえしは、浄土真宗本願寺派の真光山明証院善通寺なり。 康正年間(1455~1457)に創建したと伝えられている。 境内には、弘化3年(1846)に日本最初の精神病院(江戸小松川)を設立した奈良林一徳(奈良林家)と、その子の元春の墓がある。 元春は、明治6年(1873)に病院を引き継ぎ、明治11年(1879)に病床40余の病院に改築し、明治13年(1880)には「小松川癲狂院」と改称した。 病院は、明治41年(1908)に南葛飾郡亀戸村に移転し「加命堂脳病院」と改称、その後、昭和19年(1944)に廃止された。
●・・・・・・・・・・4ヵ寺に手を合わせ、身も心も清くなったつもりだが、元々穢れた身のせいか、清くならず。 路辺の花壇に足を取られ、犬の糞を踏んだように、泥まみれの足となった。 まったく、ついていないね、私は落ち込んだ! 『こうなりゃ、ヤケの勘八、ヤケ珈琲でも飲むか!』 京葉道路を横断し、小松川の商店街へ、喫茶店はまだ開店前。 またもやガッカリ! ますます落ちんだ。
●・・・・・・・・・・暖かい珈琲にも見離され、落ち込んだ男一人どこに行く! 靴の泥を道にこすり付け、草で拭き、見苦しい歩き格好で、荒川土手に上がってみた。 景色は『まだ冬です、春はもうしばらくお待ちください!』
●・・・・・・・・・・努力の甲斐があり、泥も落ち、見た目には誰も気が付かないだろう! 土手に続く、広大な(約24万㎡)「大島小松川公園」に行くと、犬を連れた中高年が多い。 足の汚れには気づかないようだ、シメシメ!・・・・・・・・・・ここは、災害時には防災拠点としても活用されるよう、物資の備蓄倉庫と防災設備も整っているそうだ。 約20万人を収容することを想定している。
●・・・・・・・・・・『今日は、ついてない! この大事な我が身に傷がついては一大事、老いのロマンスが実現できなくなるかも? 怪我せぬうちに帰ろう!』 荒川ロックゲートへ行くのはまたの機会とし、東大島駅から帰ることにした。 東大島駅は江東区大島と江戸川区小松川に出入口があり、ホームは旧中川の真上にある珍しい駅である。
・・・・・・・・・・・・江戸川区側の出入口(小松川口)。
・・・・・・・・・・・・・区境である旧中川の上にはホームがある。
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