荒川ロックゲート
東大島駅から、2月7日 に寄ることのできなかった「荒川ロックゲート」を見てきた。 その足で、江東区東砂をブラブラし、1万2千歩、9kmの散歩です。
①旧小松川閘門・・・・・・・・・・まず「閘門(こうもん)」とは、、、、水位の異なる2つの水面を調節して船を通行させる特殊な水門のこと。 けして、「黄門」、「肛門」とは書かないように。・・・・・・・・・・江戸時代から終戦直後にかけ、水運は重要な物資輸送手段であった。 しかし、旧中川と荒川の合流する地点を中心とする地域は度々の水害に悩ませられてきた。 明治44年(1911)に荒川の改修工事に着手し防災対策は進んだが、その結果、荒川と旧中川に水位差が生じ、閘門の設置が必要となった。・・・・・・・・・昭和5年(1930)、工費約101万円にて小松川閘門が完成した。 昭和51年(1976)には、閘門の必要性もなくなり撤去された。 撤去後は閘門の一つがそのまま土に埋められ、現在は、公園の中央で頭を出して残されている。
・・・・・・・・・・・・・・小名木川に架かる番所橋 から見ると、中央を流れる小名木川が旧中川にぶつかり、その先に小高い公園が見える。 公園の右側に階段がありその頂部に閘門の頭が見える。
・・・・・・・・・・・・・・・下半身を埋められ、頭だけ出した閘門。 『陸に上がったカッパ』状態。 なんとか掘り返して全身を見てみたいね!
・・・・・・・・・・・・・・昭和6年の小松川閘門。 土木画報より
②荒川ロックゲート・・・・・・・・・「ロックゲート」と、カッコつけた名前だが閘門のことである。 災害時の水運利用による防災機能強化のために、荒川と小名木川・旧中川の水上交通路を確保するため、旧小松川閘門の下流側に復活建設された。 高さ29.5mの扉室と長さ65.0mの閘門で、総工費75億円、戸田建設の施工による。・・・・・・・・船が閘門に入り、水位が制御されるのを見たかったが、只今、設備修繕工事中につきゲートは閉鎖されていた。 残念!
・・・・・・・・・・・荒川よりゲート
③お地蔵さん・・・・・・・・・東砂2丁目のマンション裏手で、こちらはお地蔵さんが埋まっていた。 名前も、由緒も、一切わからないお地蔵さんだが、、、、、地蔵さんには“明暦元年”(1655)と、並んでいる墓石には“明和9年”(1772)と彫られている。 どうして、こんな姿で祀られてんの?
④上妙寺・・・・・・・・・・東砂1丁目の日蓮宗上妙寺は、寛永2年(1625)に創建された。(本堂は昭和35年(1960)に再建) かつて大津波にあい堂宇が大破した時、境内の椎の古枝に鬼子母神の像が係留していた。 以後、海中出現子育鬼子母神と尊称し、毎月八の日に開帳している。 鬼子母神で有名な寺らしい。 門前には文化10年(1813)に建てられた「鬼子母神道道標」がある。 道標には、神田小柳町(現:千代田区)の世話人3名が記されており、鬼子母神信仰が遠く神田にまでおよんでいたことが判る。
⑤生田稲荷神社・・・・・・・・・・・東砂3丁目にある生田稲荷神社。 境内の石碑では、『慶安年中(1648~1651)当地開発のさい、土地の鎮守とす。元禄初年(1688~1703)疫病のさい、里民当社に祈願し安全を得、特に産婦の安全を守護し、神徳を崇め遠近より参詣が多い。』と記されている。 つまりは、安産に御利益があるのか? 私が手を合わせたのは、まずかったかな?
⑥奉仕ストアー・・・・・・・・・東砂4丁目の末広通り商店街にあるストアー。 ≪肉のサカエヤ≫、≪鮮魚部・おさしみ屋≫≪洋品部・まるみ洋品店≫≪青果部・八百友≫と4店が営業していたそうだが、中を覗いたら、一部店舗は閉鎖したようだ。 戦後のバラックに闇市の時代を連想させる、名前がいいね。
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