市ヶ谷~牛込柳町
JR市ヶ谷駅から都営地下鉄大江戸線牛込柳町駅まで、両駅間は直線で2kmである。 この間を、1万2千歩、9kmで散歩した。
①市谷亀岡八幡宮 ・・・・・・・・・・市谷八幡町の高台に、防衛省と地続きで神社はある。 文明11年(1479)に、太田道灌が江戸城西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まり。 “鶴岡”に対し“亀岡”と命名した。 実在のニッカウヰスキー創業者:竹鶴正孝が、朝ドラの「マッサン」では亀山政春として登場しているように、元は鶴で、マネするのは亀かな!
・・・・・・・・・・・・・急な階段を上り、文化元年(1804)建立の銅鳥居をくぐると社殿。
・・・・・・・・・・・・・・社殿の右横から“裏参道”と称する細い路地に入る。
・・・・・・・・・・・・・・参道の北側(上の写真では左側)は防衛省である。 この地には、戦前は陸軍士官学校、近衛師団駐屯地があり、戦中は陸軍参謀本部があった。 参道の際に、境界石を発見! 一つには「陸軍用地」、もう一つには「陸軍省所轄」の文字が彫られている。 これも、都心に残る戦争遺跡の一つかな? 私はこの裏参道を、度々利用していたが、以前には細い道の中央に大木が4本並び、つい邪魔な大木に気を取られ気付かなかった。 大木は1本を残し(写真奥に写っている)、切り取られたようだ。
②一瀬邸・・・・・・・・・・・・・昭和5年(1930)に建てられた昭和初期の住宅。 木造2階建て、瓦葺、建築面積158㎡の建物で、国の登録有形文化財である。 下見板張りの外壁も綺麗な状態で使われており、古さは感じられない。
③大日本印刷 市谷工場・・・・・・・・・・防衛省北側の市谷加賀町周辺には、大日本印刷の関連施設が密集している。 会社では平成21年(2009)から平成29年(2017)の完成を目標に、本社機能の集約、環境に優しい印刷工場の整備など、再開発に取り組んでいる。 中央部には約125m(地上25階建て)の高層事務所なども工事中である。・・・・・・・・・・工事現場の片隅に時計台のある、昭和の工場が見えた。 とりあえず、写真を撮り調べてみたら、、、、、やっぱり! 古い工場で、大正12年(1923)の建築、設計は宮内初太郎(聖母病院を施工)、土井某の2名、施工は宮内建築事務所。 この工場、取り壊さずに残してほしいね!
・・・・・・・・・・・・・ついでに、工場前の道の両側では、大日本印刷の再開発が進んでいる。 そして、前の道は中央部がへこんだ坂で、中根坂と呼ばれている。 『昔、この坂道の西側に幕府の旗本中根家の屋敷があったので、人々がいつの間にか中根坂と呼ぶようになった。』と、坂の案内板に表示されていた。
④へんてこな形のへんな家・・・・・・・・・・・防衛省と大日本印刷の北側の二十騎町に、かなり、へんてこな形の家がある。 誰の家かと、キョロキョロしたが表札がない。 気になるので調べてみたら、「アド街」にレギュラー出演している方の豪邸(5億円)らしい。 義父がいたら、『へんてこな家で、どうもすみません!』てな、話だろう。
⑤N邸・・・・・・・・・・市谷甲良町の大正8年(1919)の建物。 元は耳鼻咽喉科の医院、現在は閉院し住宅となっている。 チョイとメルヘンチックな建物で、子供が喜びそうだね!
⑥レストラン「かがり火」・・・・・・・・・・・牛込柳町の交差点近くに建つレストラン。 鉄筋コンクリート造、2階建て。 この建物は、大正14年(1925)第一信用金庫本店として建ち、戦後は柳町病院として、平成元年(1989)からはレストラン「浪漫亭」となり、現在は「かがり火」として使用されている。 私が来るたびに、店の名が変わったり、外装が変わったり、落ち着かない建物だ。