西新井~舎人公園
どこへ行くあてもなく東武線に乗り、いつものように可愛い娘につられ、西新井駅で下車。 駅前で、“右に行こうか左に行こうか”、“西に行こうか東に行こうか”、“いっそ、天国に行こうか地獄はイヤだ”と迷い、行くへ定まらず。 交番のお巡りさんが東を見ている、『ヨシ西へ歩こう』と決めたが、グニャグニャ曲がる裏道を成り行き任せで着いたところは舎人公園。 1万1千歩、8kmの散歩となった。
①西新井駅前・・・・・・・・・・・・朝、店は開いておらず、通勤、通学の人ばかり、『さて、どちらに向かって歩こうか?』
●・・・・・・・・・・・・・「グリーンロード」と称する商店のほとんどない、商店街を行くと、「環七通り」に出た。
②満願寺・・・・・・・・・・・真言宗豊山派寺院の満願寺は、創建年代不詳であるが、もと西新井大師 の末寺であった。 この辺りは足立区栗原という地名だが、もとは栗原村と称していた。 その頃、栗原村は3地区に分かれて、その一つの地区は「満願寺」と呼ばれていたそうだ。 つまりは、その頃(具体的には?)から存在していた寺である。・・・・・・・・【満願】とは、“願望が満たされること”。 懇ろに手を合わせ、『宝くじが当たりますように!』
③栗原立体交差・・・・・・・足立区栗原では、南北に走る「尾竹橋通り」と、並行して走る東武線により、東西の交通が遮断されてきた。 足立区では昭和60年(1985)から平成3年(1991)にかけ、総延長380m、トンネル部160m、総工費36億円で尾竹橋通りと東武線の下を抜けるトンネルを造り、東西をつないだ。 これが栗原立体交差である。
・・・・・・・・・・・・・・・車道の出入口・・・・・・・・手前側が尾竹橋通り
・・・・・・・・・・・・・・トンネルは東武線の下を抜けて行く。・・・・・・・・・線路の向こう側にかまぼこ型の覆いがあるのは、人・自転車の出入口。
④源正寺・・・・・・・・・・足立区伊興2丁目、源正寺の開山は、遠く鎌倉時代、後醍醐天皇の御代で、当時は玄性寺と称した。 天文20年(1551)には、寄進された阿弥陀如来像を本尊として、本堂も改築し、宗派を真言宗に改宗し、名称も玄性寺を源正寺と改字した。 名も、宗派も、本堂も、そして本尊も、、、、なんたるコッチャ全て変えて、寺の大革命だ、『この罰あたりが』!・・・・・・・・現本堂は昭和50年(1975)の改築で、鉄筋コンクリート造。
・・・・・・・・・・・・・・ウメも満開
⑤舎人公園・・・・・・・・・・・・舎人(とねり)公園は、足立区舎人公園、西伊興、古千谷などの町に広がる都立公園。 もとは、戦時に空襲による被害を軽減するための、防災緑地として整備された約100haの広大な土地である。 戦後になり、昭和56年(1981)に公園として整備され開園した。 公園は池を中心とした散策などができる広場と、陸上競技、テニスコート、野球場などがある。 また、地下には日暮里・舎人ライナーの地下車庫が造られている。 さらには、現在工事中の部分もあり、まだ広くなる予定である。
・・・・・・・・・・・・・舎人公園駅からの眺め
・・・・・・・・・・・・・・そろそろ木々も芽吹き、色付いてきた、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・ネコヤナギにも春が来た、、、、、ここいらで、キャンディーズの「春一番」、♪♪雪がとけて川になって 流れて行きます つくしの子が恥ずかしげに 顔を出します もうすぐ春ですねえ ~~~~~ 日た゜まりには雀たちが 楽しそうです 雪をはねて猫柳が 顔を出します もうすぐ春ですねえ ちょっと気どってみませんか ~~♪♪
⑥舎人公園駅・・・・・・・・・平成20年(2008)3月、日暮里・舎人ライナーの開業と同時に駅も開業した。 島式ホーム2面3線の高架駅で、舎人公園の中央に位置する。・・・・・・・・ここから日暮里まで、先頭車両の一番前に座り、60過ぎの親爺が運転手気分で楽しんできた。
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