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2015年3月25日 (水)

千石~大塚

昨日、外出先から帰り洗面台にて顔を洗うとき、突然、私の愛するスマホが手から滑り落ち、水深10㎝程の深みにジャボン! 私は、急遽、洗うのをやめ救出したが、遅かりし、スマホは電源も絶え、画面はマックロケノケ! 急ぎ、auショップへ搬送し、可愛いい店員さんに診察してもらったが、時すでに遅し、スマホはSDカードとICカードを残し、息絶えた。 惜しいことをした、“南無阿弥陀仏のオダブツ”、“アーメン・ソーメン・ラーメン”。 懇ろに弔った後、スマホの後妻を娶るため、可愛い店員さんに教えてもらった、「au 安心ケータイサポートプラス」なるサポートセンターへ連絡したところ、2日以内に、同色の同機種が我が家に送られてくるそうだ。 保証期間・ポイントの積み立てなどもあり、ナント!、約600円程で交換機が手に入る、ユーザには嬉しいサービスである。 、、、、、本日の午前中に、交換機が御到着し、昼からは再設定に作業に大忙し。 やっとこさで、19時に回復した。・・・・・・・・・日本流のサービスに感心したね。 ついでに、“女房”にもこういうサービスがあり、老いて使用不能になったら、若いピチピチの女房が2日以内に送られてくると嬉しいね!(これは、内緒の話で、冗談です。 チョイと口が滑っただけ!) 

・・・・・・・・・・・・・と言うわけで、今日午前中の、都営三田線千石駅 からJR大塚駅までの散歩は、スマホを持たずチョイと不安であった。


①巣鴨大鳥神社
子育稲荷神社・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・千石駅前の千石一丁目交差点から、店の数も少なく寂れた、「千石本町通り商店街」を北西に向かっう、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の先に「巣鴨大鳥神社」と「子育稲荷神社」がある。 巣鴨大鳥神社は、貞享5年(1687)に稲荷社として創建され、嘉永2年(1849)に子育稲荷社と改称した。 元治元年(1864)には境内社の大鳥神社にて「酉の市」が始まったといわれ、巣鴨大鳥神社と呼ばれている。、、、、、なんだか、“神社”とは呼べないような粗末な神社だ。

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②童心社・・・・・・・・・・・・千石3丁目と4丁目の境となる裏通りに面し、児童書籍の出版元「童心社」がある。 昭和32年(1957)に、紙芝居出版社として童心社が創立された。 現在は、紙芝居、絵本の出版元として、営業している。 おそらく、戦後に子供を育てた親たちは、こちらの絵本を読み聞かせたことがあるに違いない。 私も、飾られていた絵本の表紙を見て、懐かしく感じた一人だ!・・・・・・・・平成18年(2006)に、地上4階建ての、近代的な現社屋を建設し移転した。

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③千石の長屋・・・・・・・・・千石3丁目と4丁目の境の裏通りには、長屋も残っている。 それぞれ木造2階建ての4軒長屋である。 

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④伊勢五
・・・・・・・・・・・長屋の並ぶ通りには、江戸時代から続く米屋さんがある。 建物は、明治初頭の建築で、往時の町家の姿をよく留めていることで、国の登録文化財に指定されている。 

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⑤IT邸
・・・・・・・・・・・こちらは千石3丁目の住宅。  昭和5年(1930)建築であるが、チョット見では、昭和初期の建物と思えないほど手入れも良く、古さを感じさせない。 タイル貼りの門柱もいいね!

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⑥天理教本羽分教会教職舎・・・・・・・・・・・・千石3丁目の天理教分教会に、大正3年(1914)建築の洋館がある。 この建物の由緒は不明だが、外観は大きな改造なされていないようで、建設時の姿が残っている建物のようだ。

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⑦丸山町南住宅
・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・千石3丁目(旧丸山町)を東側から歩いてくると、猫又坂の北側に大きなマンションがある。

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・・・・・・・・・・・・・・大きなマンションの先は谷となり、階段で下ることになる。 上からは、池袋の高層ビルも見える。、、、、、、、この階段の左側に2棟の古いマンションがある。

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・・・・・・・・・・・・・・・「古いマンション」とはチョイと失礼なので、「昭和の香り漂うマンション」がある。 「丸山南住宅」と称し、2棟残っている。 昭和30年(1955)、高度経済成長期のスタート時期に、鉄筋コンクリート造4階建て(全32戸)建てられた。 建設当時は、弁護士、官僚などが住んだ高級マンションだったそうだ。

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⑧猫又坂・・・・・・・・・・千石2丁目と3丁目の間で、不忍通りが千石1丁目交差点から千石3丁目交差点に向かう、170m程の下り坂である。 坂の由来は、坂下を流れていた千川に架かる橋が、狸橋/猫貍橋/猫又橋などと呼ばれていたことにちなむそうだ。

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⑨日本基督教団 巣鴨教会
・・・・・・・・・・・・・南大塚1丁目、巣鴨教会は明治9年(1876)に設立された、歴史はチョウ古い教会である。 ただし、現建物は昭和48年(1973)の完成である。

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・・・・・・・・・・・教会の庭には山田耕作の「からたちの花」の碑がある。 なんで?、、、、、山田耕作は10歳の時、キリスト教の伝道活動をしていた実父を亡くした。 耕作は父の死後、遺言に従い巣鴨宮下(現南大塚)にあった自営館という施設に入館する。 この自営館こそ、今の巣鴨教会の前身で、苦学生に仕事を与え、自活させながら学校へ通わせるための施設であった。 耕作は13歳まで、自営館の活版工場で働き、過ごした。 この時の耕作の思い出を北原白秋が作詞したのが「からたちの花」である。   ♪♪ からたちの花が咲いたよ 白い白い 花が咲いたよ  からたちのとげはいたいよ ~~~ ♪♪

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