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2015年4月

2015年4月30日 (木)

浅草橋~日暮里

我が家(浅草橋)から日暮里駅まで、1万3千歩、10㎞の散歩です。



①マロニエ
・・・・・・・・・・私が住む台東区浅草橋の街路樹はマロニエの木である。 南北方向の通りに赤い花のマロニエ、東西方向に白い花のマロニエが街路樹として植えられて、約10年程経過したと思う。 それ以前は、「柳橋」、「向柳原」などの地名、私の母校「柳北小学校」などに絡み“柳”が街路樹であった。 その「柳北小学校」が平成13年(2001)に閉校となり、空いた校舎にフランス人学校が入居した。 この時、フランスからマロニエが贈られたと聞いた。 以来、地元浅草橋(台東区柳橋・浅草橋・鳥越・蔵前の地区)では、毎年、「浅草橋 紅白マロニエまつり」(5月9日・10日)が開かれ、今年は8回目となる。・・・・・・・・・まだ、知名度は低く、わざわざ遠くから足を運んで来てくれる人は貴重な方で、主催者側は下町のイベントの一つとして定着させたいと努力しているそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・赤いマロニエは咲いている。 浅草橋の「シャンゼリゼ通り」となるか?

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・・・・・・・・・・・・・・・白いマロニエはこれからか? 花を探すのがチョイと大変。 提灯は「マロニエまつり」用で、準備万端、ガソリン満タン、ノンたん雲に乗る!

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・・・・・・・・・・・・・・旧柳北小学校・・・・・・・・・・明治9年(1876)の創立、平成13年(2001)統合により閉校。 現在は、フランス人学校も移り、保育園・福祉センターなどが使用している。 震災復興小学校の一つ。

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②大使館
・・・・・・・・・・・大使館の多くは港区に集中し、港区以外では新宿区・渋谷区・世田谷区など山手にあるのが普通だ。 下町:浅草橋に、“何を間違えたか”、大使館がある。 本物の大使館で、、、、、、浅草橋5丁目にある「コンゴ民主共和国大使館」。 人の噂では、山手は家賃が高いので、比較的家賃が安く、交通の便が良い、浅草橋に移ったそうだ。
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③台東小島アパート
・・・・・・・・・・・大江戸線新御徒町駅近くの都営アパートです。 昭和39年(1964)に竣工、間取りは全て2DKで168戸、11階建て。 高度成長時代に建てられた団地・アパートの多くが、住民も、建物も、高齢化しヤバイ事態となっている。ここも同じ!・・・・・・・・アパートがが建つ前は「三味線掘公設市場」があった。 その名残で、アパートが建てられた当時は、1階にマーケットがあり、近くの“佐竹商店街”と同様に、多くの客でにぎわっていたが、今や、マーケットはなくなり寂れた。

・・・・・・・・・・・・・・外観は無機質なオブジェのようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・内部中央は吹き抜けで、“ロ”字型になっている。 なんとなく刑務所の房を連想してしまった。
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・・・・・・・・・・・・・・・個別の細部は他の都営アパートと変わりなし。

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④看板建築の3軒長屋
・・・・・・・・・・・・・東上野3丁目にある、モルタル系の3軒長屋で、屋根の部位分には花のレリーフで飾られている。 この夏からマンション工事に着手するようだ。
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⑤いよいよ、お祭りだ!
・・・・・・・・・・5月8日・9日・10日は下谷神社の御祭礼。これが済むと、翌週は浅草三社祭、5月29日からは浅草橋の神社が複数で祭り、6月5日からは鳥越神社の祭り、台東区では毎週のように祭りが続く5月・6月、、、、、忙しいね!

・・・・・・・・・・・・・天平2年(730)創建の下谷神社はお祭りの仕度中、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・コチラ小野照崎神社は5月14日・15日・16日がお祭り。

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⑥台東区役所・・・・・・・・・・・設計:久米設計で、昭和48年(1973)に竣工した区役所であるが、築40年を過ぎ、経年劣化の進行により改修工事が進んでいる。 綺麗になった!

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⑦旧下谷小学校
・・・・・・・・・・台東区役所の北側裏に、昭和3年(1928)に安藤組により竣工した復興小学校の一つ、旧下谷小学校がある。 見ると、汚い外観に驚くが、ツタが絡まっているのだ。 夏はツタが茂り、建物が見えず、冬は葉が枯れ落ち、幹だけが残りチョイと皺くちゃな外観だ。  

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・・・・・・・・・・・・・・・玄関にはアールデコ風の装飾が見える。

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⑧ビルの下から地下鉄が
・・・・・・・・・・・・旧下谷小学校の北側には、東京地下鉄のビルがある。このビルの下に、銀座線の引き込み線が走り、ビルの裏で地上に顔を出し車庫へと通じている。 度々テレビなどで紹介される、銀座線の踏切があるのは、この部分である。・・・・・・・・・・地下から出てくる地下鉄を見てるとワクワク、ドキドキするのは、私だけか? 変な親爺かな、、、、、、
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⑨金閣寺?
・・・・・・・・・・・東上野に建つ木造住宅。黒いのは塗装ではなく、銅板が黒ずんだのだ。 外壁に銅板を貼ったので、当初は銅板の輝きで金閣寺のように見えたかも?

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⑩時間が止まった根岸の建物
・・・・・・・・・・・・・柳通りの根岸4丁目交差点角に、2軒の建物が取り壊されず残されている。 角の蕎麦屋(?)と隣の床屋。 もちろん、空き家だが、外部足場が組まれて5年程経過した。 床屋さんは大正13年(1925)創業の老舗的な店であった。

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・・・・・・・・・・・・・・5年前の2軒、、、、、時間が止まっていた!

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2015年4月29日 (水)

蘆花恒春園

昼から妻を伴い、世田谷区の蘆花恒春園へ行ってきた。 9千歩、7㎞。



①芦花公園駅
・・・・・・・・・・・大正2年(1913)、京王電気軌道の笹塚~調布間が開通し、同時に上高井戸駅が開業した。 上高井戸駅は昭和12年(1937)に芦花公園(ろかこうえん)駅と改称。 開業時の駅所在地は豊多摩郡高井戸村上高井戸で、駅名は「上高井戸」とした。 しかし、のちに徳富蘆花の住居である蘆花恒春園が近くにあることから「芦花公園」と改称した。

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②つつじの盛り合わせ
・・・・・・・・・芦花公園駅近くの医院の花壇。 小さなスペースに、各種のつつじが競って開花していた。 色もとりどり、まさに“つつじの盛り合わせ”、お見事!

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③蘆花恒春園
・・・・・・・・・・・・・・徳冨蘆花(明治元年(1868)~昭和2年(1927))は、御存じ「不如帰」を書いた小説家だが、キリスト教の影響を受けトルストイに傾倒したり、私にはチョイとなじみにくい作家。 兄は徳富蘇峰で、旧宅「山王草堂 」は大田区にある。・・・・・・・・蘆花恒春園は、世田谷区粕谷にあった蘆花の旧宅(恒春園)を中心に、周辺の土地を含めて整備した都立公園。 蘆花の旧宅は、蘆花の没後、昭和12年(1937)に夫人が土地・建物などの一切を東京市に寄付したことにより実現した。

・・・・・・・・・・・・・母屋・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・梅花書屋・・・・・・・・・・この建物は、蘆花が明治42年(1909)に松沢町北沢(現:世田谷区)の売家を手に入れ移築した。 梅花書屋の名称は、この家に掲げられてある薩摩の書家鮫島白鶴翁の筆になる横額によるものであり、この額は蘆花の父徳富一敬から譲られたものである。

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・・・・・・・・・・・・・秋水書院・・・・・・・・・・・・・明治維新前の建物で、明治44年(1911)、蘆花が烏山に在った古屋を買い取り移築した。 この建物の建前の日は、ちょうど、世間を騒がせていた大逆事件の犯人とされた幸徳秋水以下12名の死刑執行の日であった。 蘆花夫婦はこの建物を「秋水書院」と名付けた。

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・・・・・・・・・・・・・・廊下・・・・・・・・・・・現在ある梅花書屋、 秋水書院、 母屋は廊下でつながっている。 廊下は秋水書院完成後に造られた。
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・・・・・・・・・・・・・・竹林・・・・・・・・・・・・竹の子も出てきた! 
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・・・・・・・・・・・・・・・蘆花記念館・・・・・・・・・・昭和36年(1961)に建てられた記念館には、蘆花の作品、原稿、遺品などが展示されている。

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・・・・・・・・・・・・・・徳富蘆花夫妻の墓所・・・・・・・・・・母屋の東側の園内にある徳富蘆花夫妻の墓所。

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④粕谷八幡神社
・・・・・・・・・・・蘆花恒春園の北側の一画にある八幡神社。 創建年代は不詳。 別当寺であった東覚院の創建が室町時代とも鎌倉時代とも言われ、粕谷村が開村してよりの鎮守社。 昭和34年(1959)、神社は放火により全焼したが、氏子、崇敬者の努力により、同年の年末に鉄筋コンクリート造の現社殿が完成した。 境内の古木は、盧花の作品「みみずのたはごと」に出てくる「別れの杉」として名高い。

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⑤八幡山駅
・・・・・・・・・・芦花公園駅の5年後、大正7年(1918)に京王電気軌道の松沢駅として開業した。 昭和12年(1937)八幡山駅に改称。 両外側に通過線(本線)を持つ、島式ホーム1面4線の高架駅、改札は高架下にある。・・・・・・・・八幡山とは、蘆花恒春園の八幡神社のある周辺のようだ、神社近くの地名は世田谷区八幡山である。 八幡山駅の住所は杉並区上高井戸なり。

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2015年4月27日 (月)

川口~川口元郷

京浜東北線に乗って、『どこで下車しようか?』、車中で考えている間に電車は王子を過ぎた、『ヨシ、久しぶりに川口で降りてみよう』。 イメージは鋳物の街、キューポラのある街、吉永小百合と浜田光男のいる街、チョイと探訪してみよう。 JR川口駅から右へ行ったり、左へ行ったり、埼玉高速鉄道川口元郷駅まで、1万1千歩、8kmの散歩。



①川口駅
・・・・・・・・・・・・明治16年(1883)、東北本線の前身、日本鉄道の上野~熊谷間が開通。 この時点では川口駅はまだ営業していない。 その後、国有化されて、明治43年(1910)に川口町駅(かわぐちまちえき)として開業した。 昭和9年(1934)には市制施行により川口駅に改称した。 駅は島式ホーム1面2線を持つ地上駅で、東西を結ぶ自由通路がある橋上駅舎となっている。・・・・・・・・10数年前に、年に数回駅近くの地元ゼネコンを訪問した記憶があるが、場所も、建物も、おぼろげだ。 昼食は駅前で鰻重を食し、帰りに、甘納豆を買って帰ったことは、鮮明に記憶している。、、、、、私の若い頃(?)の話。

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②毎日の通勤、ご苦労様です
・・・・・・・・・・私は毎日が日曜日で“通勤”を忘れました! 駅前も、裏通りも、駅へ向かう人・人・人、、、、、、逆らって反対方向に歩くのは、暇な人。

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③川口市民会館
・・・・・・・・・・幸町1丁目に建ち、1000人以上収容できるホールを有する市民会館。 東日本大地震後、耐震性能に問題があり、現在は閉鎖されている。 昭和41年(1966)に完成した建物だが、どうやら取り壊されるようだ。 設計は日建設計。

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④川口市庁舎
・・・・・・・・・・・市民会館の斜め前に建つ庁舎。 こちらも日建設計の設計により、昭和36年(1961)に建てられた。 当初、庁舎に消防署が併設されており、屋上には望楼があったが、東日本大震災で損傷し撤去されたそうだ。、、、、、、この建物も耐震性能を満たさず、どうやら、市庁舎をこの地と向かいの市民会館の跡地に新築するようだ。 駅からはチョイと離れているが、この地に新庁舎を建設することが総合的にグッドな案と、市長は判断したらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・・・市庁舎で小用を済ますつもりで立ち寄り、帰りに観光案内を頂戴し、拝見したら近くに国指定登録有形文化財「旧田中家住宅」があるのを知り、寄ってみることにした。



⑤青木橋
・・・・・・・・・荒川の支流:芝川(しばかわ)に架かる橋。 この辺り、川幅はさほど広くはないが、菜の花か、雑草か、ぺんぺん草か判らんが、緑豊かで癒しの川となっている。 水質もよく、いずれ鯉が泳ぐ姿も見られるかも。・・・・・・・・親柱もシャレた造りでいいね!

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⑥薬林寺
・・・・・・・・・・・青木橋の東際の奥に、真言宗智山派寺院の薬林寺がある。 薬林寺は、文明18年(1486)頃、芝川付近に創建されたが、天正年間(1573-1592)岩槻城が落城した際には村民に破壊された。 その後、現在地へ移り再興した。

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・・・・・・・・・・・・・・・薬師堂に祀られている薬師如来は、岡の薬師と言われている。 堂は天文8年(1539)の造立。

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⑦旧田中家住宅
・・・・・・・・・・・・岩槻街道に面して、木造煉瓦造3階建ての洋館が見える。 材木商:四代目田中徳兵衛が、大正10年(1921)から大正12年(1923)にかけて、18万円(現在価値:約2億5千万円)の建築費用をかけて建てた洋館住宅。 オーナーが材木商であり、建材にはうるさかったと思われる。 贅を尽くした建築であろう、、、、、、、現在は市の所有となり、公開されている。 今日は月曜日で休館日、改めて内部を見にこよう、ガッカリ!

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⑧元郷氷川神社
・・・・・・・・・・・室町時代の創建。創建当時は、荒川の堤の側に建てられていたが、度重なる水難を避けるため、元和8年(1622)に現社地へ移された。 社殿はコンクリート造にて建て替えられた。 主祭神は素盞嗚尊で、相殿神はその娘:市杵島姫命が祀られており、父娘神であることから、子宝成就・子孫繁栄の神様として崇敬を集めている。 境内には、妊婦の姿が目立つそうだ、今日は私がいたので、恥ずかしくて隠れていたかも、、、、、、、、

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⑨川口元郷駅
・・・・・・・・・・・・・JR川口駅からは東へ1.5㎞程のところに、埼玉高速鉄道の川口元郷(かわぐちもとごう)駅がある。 平成13年(2001)開業の地下駅。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は、鋳物の街、キューポラのある街、吉永小百合と浜田光男のいる街、、、、とは、ほど遠かったが、旧田中家の内部を拝見する機会をつくり、また来よう!

2015年4月26日 (日)

藤まつり

散歩日和。 夫婦で亀戸天神の「藤まつり」を見て、その足で本所にオープンした「たばこと塩の博物館」も見て、さらにその足でスカイツリー下のスカイツリータウンに寄ってきた。 7千歩、5㎞の散歩。



①藤まつり
・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・賑わいをみせる亀戸天神。 みやげの「くず餅」が品切れになるかも! 

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、白い藤がお出迎え!

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・・・・・・・・・・・・・・・太鼓橋から拝殿を見れば、藤棚の下には人・人・人、、、、、
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・・・・・・・・・・・・・人の多さにカメラも圧倒され、フラフラ、、、、、ついつい傾き、目はクラクラ

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・・・・・・・・・・・・・・綺麗に咲き始めた藤の花

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・・・・・・・・・・・・・・拝殿前には列ができていた、、、、、、可愛いい藤娘との出会いを期待して賽銭も奮発、私100円、妻200円。

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・・・・・・・・・・・・・・じっくり花を見てみよう、、、、、、「藤むすめ 探すまなこは キョロキョロと 妻の目と会い 藤を見る」

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②スカイツリー
・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・墨田区と江東区の境、栗原橋から眺める、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・電線を撤去したタワービュー通りから眺める、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・JT(日本たばこ産業)前から眺める、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・足元の東武橋から眺める、、、、、、

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③たばこと塩の博物館
・・・・・・・・・・名が示すように、旧日本専売公社時代の昭和53年(1978)に、渋谷で開館した博物館。 たばこと塩に関する多くの資料が展示され、子供でも楽しめる博物館である。 煙草に興味を持つ優秀な子供が出てくるかも、、、、・・・・・・・・渋谷の博物館は平成25年(2013)に閉鎖され、昨日、墨田区横川に移転しリニューアルオープンした。 昨日と今日は、“招待日”として無料で見学できた。ラッキー!・・・・・・・・建物は日本たばこ産業の敷地にある倉庫を、安井建築設計事務所の設計、大成建設の施工で改装した。 5階建てで、喫煙室も用意されている。

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2015年4月25日 (土)

堀切菖蒲園~四ツ木

京成本線堀切菖蒲園駅から、京成押上線四ツ木駅まで、1万1千歩、9kmの散歩です。



①堀切菖蒲園駅
・・・・・・・・・・昭和6年(1931)、京成本線(上野線)の日暮里~青砥間開業時に合わせて堀切菖蒲園駅が開業した。 相対式ホーム2面2線の高架駅。・・・・・・・・・・・地名の「堀切」と堀切菖蒲園駅は荒川の東側(左岸)葛飾区にある。 東武伊勢崎線の「堀切」駅は西側(右岸)の足立区にある。 これは、大正12年(1923)の荒川放水路掘削にともない、東武伊勢崎線のルートと堀切駅を足立区側に寄せたためである。・・・・・・・・・・・6月、菖蒲の時期には堀切菖蒲園 の最寄駅として活気づく。

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②旧堀切文化映画劇場
・・・・・・・・・戦後の最盛期(昭和30年代)、堀切には堀切文化映画劇場、堀切映画劇場、堀切世界館、堀切日本館、堀切シネマ、堀切名画座と映画館が6館もあった。 もちろん、現在営業中の映画館は1軒もない。・・・・・・・・現在、堀切駅の南側一帯は「クローバー商店街」と称しているが、飲み屋が並ぶその一画に、堀切文化映画劇場があった。 昭和50年前後に閉館したらしいが、映画館の建物は残り、外壁にはかすかに「文映」の文字が読める。

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・・・・・・・・・・・・・・・映画館があった周辺は、静かに飲み屋が並んでいる。

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③天祖神社
・・・・・・・・・・旧堀切文化映画劇場の建物の裏手には、永禄3年(1560)に勧請した、旧堀切村の鎮守さま天祖神社がある。 現社殿は昭和41年(1966)の造営。

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④チョイと洋風の部屋を増築しました
・・・・・・・・堀切3丁目にて御対面! 戦前の造りかな?

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⑤妙源寺
・・・・・・・・・・・堀切3丁目、日蓮宗の正覚山妙源寺。 妙源寺は、嘉元2年(1304)、または建武年中(1334-36)に、創建されたと伝えられている。 関東大震災後の大正15年(1926)、墨田区本所の地から、現在地へ移転した。、、、、、、かつては、大名・儒者・歌舞伎役者の菩提寺として栄えたらしい。 広い墓地には、幕府昌平坂学問所の教官安積艮斎・東条一堂・大名六郷家・歌舞伎役者森田勘弥・河原崎権十郎歴代等の墓がある。

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⑥極楽寺
・・・・・・・・・・堀切2丁目の真言宗豊山派の寺。 極楽寺は、医王山薬王院と号し、宝徳元年(1449)の創建である。 本堂・薬師堂は、素朴な感じで建っているが、チョイと劣化してきたようだ、そろそろ補修を検討しては、、、、、、

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・・・・・・・・・堀切菖蒲園近くにあり、門前の疣取り(いぼとり)地蔵は有名で、今日も若い女性が地蔵さまを擦り、手を合わせていた。 擦られすぎて、どこが顔やら、手足やら! 話をきいたら、イボだけでなく、皮膚病、アトピーにも御利益が期待できるそうだ!

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●・・・・・・・・・・・・・・この後、葛飾区四つ木の四つ木白髭神社」、「西光寺に立ち寄り、四ツ木駅へ



⑦四つ木の灸
・・・・・・・・・・・・四ツ木駅の北側に、お灸では超有名な「四つ木の灸」がある。 昭和6年(1931)より家傅のツボを用い昔からの打膿灸をはじめ、温灸、小灸、鍼の治療をしている。 木造のそれらしき格調ある建物だ!・・・・・・・・・打膿灸(だのうきゅう)とは、艾(もぐさ)でツボを焼き膏薬で患部を化膿させ膿とともに体内の毒素を排出させる治療で、うち終えた後は火傷のヒリヒリ感と、心地よい眠気が生じ、気持ちがいいものらしい。 落語の「我慢灸」を実践するのだ! 今の時代、打膿灸をやる鍼灸院は少ないらしい。 私は、灸も鍼も経験したことはなく、一度試してみたいものだが、どちらも実践するには勇気がいるね!

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⑧オヤ、西武鉄道の車両か?
・・・・・・・・・・・京成線を走るのは、京成の車両か、北総鉄道の車両か、都営地下鉄の車両か、そして「赤い電車」でおなじみの京浜急行電鉄の車両のいずれかである。 四ツ木駅で、1000形電車の特別塗装車両「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN(京急イエローハッピートレイン)」に遭遇した。 1編成だけの、「幸せの黄色い電車」と言われ、塗装は黄色一色。 昨年5月1日より3年間運行される予定のです。 何回か、遭遇し乗車したが、写真に収めたのは今日が最初!、、、、、、チョイと見には、西武鉄道の黄色の車両のようだ、、、、、乗車したら、内部の広告は西武沿線のPRだたけ。、、、、、、「京急に 乗って行先 秩父かな?」

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・・・・・・・・・・・・・・・・参考に、本来の赤い1000形電車

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2015年4月23日 (木)

小岩~篠崎

総武線小岩駅から南に歩き、都営地下鉄新宿線篠崎駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。



①小岩駅南口商店街
・・・・・・・・・・小岩駅南口のロータリーから放射状に4本の商店街が伸びている。 まだ早朝のため、各店はシャッターが下りているので、商店街の入り口だけ撮影してきた。、、、、、、、駅出入口からみて右端にある商店街から順に、、、、、

・・・・・・・・・・・・・まずは、「フラワーロード」・・・・・・・・バスが通り、歩道上にはアーケードがあり、金融機関も並ぶ、駅前のメインの商店街。 名の通り、歩道には季節の花が植えられている。 昭和2年(1927)に20数店舗で結成・発足した商店街は、現在200店舗以上となり、正式名称は「小岩駅前通り美観商店街」である。 戦後は、江戸川区初のアーケードを全長約800m(両側で1778m)の商店街に設置した。

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・・・・・・・・・・・・・・次は、「昭和通り商店街」・・・・・・・・600m程の商店街に、激安衣料品店・総菜屋・中華料理店などが並び、、、、、庶民的、中国的、下町風など、昭和レトロな香りも残る商店街。

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・・・・・・・・・・・・・次は、「サンロード」・・・・・・・・・・・小岩駅南口から柴又街道に向かう、二車線のバス通り。 約150店舗ががんばっている。 建物はあたらしくなり、古い味のある建物は消えたようだ。 商店街の特徴がつかめないのは、私だけか?

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・・・・・・・・・・・・・さて、どん尻は「小岩地蔵通り」・・・・・・・・・・サンロードの北側、JR高架沿いに飲み屋が並ぶ、“商店街”ではなく“飲食街”。 長さも短く100m程の駅前歓楽街。

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②足は南へ、目はキョロキョロ
・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・今日は「フラワーロード」を抜けて南へ歩くことにした、、、、

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・・・・・・・・・・・・・商店がを抜け、千葉街道を横断し、南小岩小学校の校舎の角に「青面金剛」の庚申塔が祀られている、、、、、、学校とはどうゆう関係?、、、、“無関係”という関係!

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・・・・・・・・・・・・・・小学校の南には、「中曽根天祖神社」がある。 創建年代不詳だが、天保年間(1830~1844)に改修した記録がある。 コケの生えた古い神社、、、、、

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③緑道
・・・・・・・・・・・江戸川区は、昭和48年(1973)、日本で最初に“親水”という概念で緑道を整備したそうだ。 今では、江戸川区内をチョイト歩くと、いずれかの親水緑道にぶつかるほど、区内には親水緑道が整備された。 親水緑道は、昔からの農業用水路が元で、戦後の宅地化により農業用水路が生活排水路に変化し、いわゆるドブ川となり、さらに上下水道が整備されるとドブ川も不要となり親水緑道となったのであろう。、、、、、いずれにせよ、環境が良くなり、町も綺麗になれば、コリャ嬉し!・・・・・・・・・・・鹿骨4丁目から、鹿本親水緑道(約670m)と鹿骨親水緑道(約1290m)を歩いてきた。

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④鹿島神社・鹿見塚神社
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・鹿骨鹿島神社・・・・・・・・・・鹿骨(ししぼね)4丁目にある、創建年代不詳だが、鹿骨村の鎮守であった鹿島神社。 昔は五社明神社といわれ、鹿骨村の草分けとなった石井長勝、田島、中代、牧野、別系の石井姓の5氏が村に住み着いた時にそれぞれが奉祀していた氏神を合祀したところからそう名付けたと言われている。 また、常陸国鹿島神宮の鹿島大神が大和国奈良の春日大社へ移るとき、この地を通り、大神の杖となっていた神鹿が病気でたおれた、里人はこれを奇縁として一社を建て「鹿島神社」と名付けたともいわれている。 たおれた鹿は、鹿見塚神社のある地に葬られた。・・・・・・・・・鹿島神社の社殿は寛文6年(1666)に改築された。 また社殿を囲む石の柵は、昭和4年(1929)の竣工で、、社司と氏子8名の寄進による。

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・・・・・・・・・・・・・・鹿見塚神社・・・・・・・・・・鹿骨3丁目にある、地名「鹿骨」の由来となる話の鹿見塚神社。 昭和42年(1967)には、境内に小さな「鹿骨発祥の地・鹿見塚」の碑が建てられた。

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2015年4月22日 (水)

井荻~荻窪

西武新宿線の井荻駅から中央線荻窪駅まで、9千歩、6㎞の散歩です。 途中で、杉並区郷土博物館分館があり、そこでは懐かしの映画ポスターを中心とした、企画展「杉並にあった映画館」が開かれていた。 迷わず立ち寄り、散歩の足も止まってしまった。



①井荻駅
・・・・・・・・・・杉並区の北部、西武新宿線の上井草駅と下井草駅の間にある駅。 昭和2年(1927)4月16日の、西武新宿線高田馬場駅~東村山駅間の開業と同時に、3駅とも同時開業した。・・・・・・・・「井荻」という駅名については、「井草」と「荻窪」をたして2で割った命名で、以前から予想していた通りだ。 しかし、現在の地図には「井荻」と称する地名が無いので、戦後、上井草と下井草の間に駅を造り、新駅に「井荻」と命名したと思い込んでいた。 改めて調べてみると、、、、、、明治22年(1889)に、上井草村、下井草村、上荻窪村、下荻窪村が合併し東多摩郡井荻村(いおぎむら)が発足した。 しかし、昭和7年(1932)に杉並区の一部として東京市に編入され「井荻」の名は消滅した。 駅名は、村であった時代の貴重な名残りである。

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②中瀬天祖神社
・・・・・・・・・・井荻駅からは、南へ歩き早稲田通りを横切ると清水3丁目、ここに中瀬天祖神社がある。 創建年代不詳だが、近くの妙正寺が十羅刹堂として創建したらしい。 十羅刹(じゅうらせつ)とは、もと人を食う悪鬼であったが、後に法華経を守る守護神となった10人の羅刹女のこと。 現代のマンガなどでは、般若のような顔で、エロティックな衣装で、猛々しい女性のイメージで描かれているようだ。、、、、、一度、機会があれば、会ってみたいものだが。

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③妙正寺公園
・・・・・・・・・・・・清水3丁目の町中にある、妙正寺川の水源になる妙正寺池を中心とした公園。 公園としては、昭和38年(1963)に開園した。 妙正寺池は古来より武蔵野台地の湧水池のひとつで、文和元年(1352)に池のほとりに妙正寺が建てられ、池の名はそれに因んでいる。 湧水の量が減り、最近は人工的に揚水しているそうだ。 

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④落合橋
・・・・・・・・・・・水源:妙正寺池から流れ出た川は、公園の下で暗渠となり井草川と地下で落ち合う。 そして、公園に接して造られている落合橋から、地上に川の姿を現している。 つまり、妙正寺川(神田川の支流)の最上流に架かる橋が落合橋である。・・・・・・・・ちなみに、「落合」と言う言葉は、合流点のこと。

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・・・・・・・・・・・・・落合橋から下流を眺めると、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)、同じ場所から眺めると、、、、(橋横の案内板より)

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⑤妙正寺橋
・・・・・・・・・・・ついでに、落合橋の下流に架かる妙正寺橋も見てみた。 昭和50年(1975)完成のコンクリート橋。 チョイと桜と山吹が邪魔だ!、、、、、、「散った葉桜 誘うは山吹 二人が迫り 先見えぬ」 

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⑥杉並区立科学館
・・・・・・・・・・・妙正寺川の近くに建つ区立の児童生徒の教育を中心とした施設。 プラネタリウム、天体望遠鏡、実験室等を備えているが、施設の老朽化、耐震化工事未着手などで、来年3月に閉館となる。 昭和44年(1969)にオープンした建物だ、この年は私が社会人となった年でもある、それから46年経ち、人も建物も老朽化したね、納得!

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⑦妙正寺
・・・・・・・・・・妙正寺公園の南側にある、日蓮宗の寺で法光山妙正寺。 十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られている。  文和元年(1352、=南北朝時代の初期)の創建。 本堂は天保3年(1832)に再建され、昭和6年(1931)に改築された。・・・・・・・・・・静かな、落ち着いた寺で、境内も良く手入れされている。

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⑧六叉路
・・・・・・・・・杉並区清水1丁目と本天沼3丁目の境、交通量の少ない落ち着いた住宅地に、視界を邪魔する広告などのない、素敵な六叉路があった。 交差点の中央から360度グルリとパノラマ写真を写してみたが、写真が大きすぎ連続できず、3分割してみた。、、、、、古い住宅地に、こんな六叉路があり、何か嬉しくなった!

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⑨メゾン田中
・・・・・・・・・・・・天沼3丁目、田中豊作の建築による、築後80年になる木造2階建てアパート。 太宰治も住んでいたとか、、、、、取り壊すようだ!

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⑩企画展「杉並にあった映画館」
・・・・・・・・・杉並区立郷土博物館分館にて開かれていた。 前を通り、案内を見て、「無料」の文字を見て、足がフラフラと館内へ向かい、展示を拝見。・・・・・・・・・・オ~~、鰐淵晴子の「のんちゃん雲に乗る」、ザ・ピーナッツの「モスラ」、岸恵子の「雪国」、上原謙・高峰三枝子の「妻」、高嶺秀子は「浮雲」、、、、などなど、、、ポスター、プログラム、映画館の建物写真、所在地情報など、、、、懐かしい、思い出す、知ってる・知ってる、泣けてくる情報・資料が、数多く展示されていた。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・展示を見た後は、嬉しくなって、博物館発行の展示図録を購入してしまった。 


⑪JR荻窪駅・・・・・・・・・・明治24年(1891)に甲武鉄道の駅として開業。 北口のロータリーは、そこそこの広さがあるが、駅出入口はチョイと小さく貧弱だ!

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2015年4月20日 (月)

大岡山~長原

『午前中は曇り、午後からパラツキ、夜は大雨』と、お天気おねえさんが予報していた。 可愛いおねえさんの言葉を信じ、朝から散歩に出たが、、、、、、『信じる者は馬鹿をみる』、昼前から降りだし、途中で散歩は中止、、、、、『美女の尻目遣い』に弱いのだ!    東急目黒線大岡山駅から東急池上線長原駅まで、9千歩、7㎞の散歩。 



①大岡山駅
・・・・・・・・・・大正12年(1923)に、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)の駅として開業した。 昭和2年(1927)には、目黒蒲田電鉄大井町線も開業した。 平成9年(1997)に、駅の地下化が完成し、ホームは地下にもぐり、地上の改札の頭上は、「東急病院」が開設している。 東急病院は地上5階建ての鉄骨造で、平成19年(2007)完成。・・・・・・・・・・駅の前が東京工業大学で、頭の良さそうな学生が校門を入っていく。 頭が悪くなると、駅上の病院かな?

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②北千束・南千束
・・・・・・・・・今日は東京工業大学にはよらず、駅の南側:北千束・南千束を歩いてきた。

・・・・・・・・・・・・・超大金持ちの住宅はみわたらず、そこそこの金持ちの住宅が並ぶ町。

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・・・・・・・・・・・・・・住宅設計の教科書に出てきたような三角屋根の家。 空き家となったようだ。

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③洗足池
・・・・・・・・・・・・洗足池は南千束2丁目にある大きな池。

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・・・・・・・・・・・・・「千束」と「洗足」・・・・・・・・・ここで、地名は大田区では「千束」と表し、隣の目黒区では「洗足」と書く。 池に最も近い東急池上線の駅名は「洗足池」、次に近い東急大井町線の駅名は「北千束」、さらに隣の目黒区にある東急目黒線の駅名は「洗足」。 「千束」、「洗足」、どっちがどっち!・・・・・・・・・・ もともとの表記は「千束」である。 その由来は、①仏教用語の千僧供料の寺領の免田であって、千束の稲が貢租から免除されていたとする説。 ②「大池」(洗足池の別称)を水源として灌漑に利用されたので稲千束分の税が免ぜられていたとする説。 2説あり、好きな方をどうぞ!  「洗足」は、日蓮上人がここの大池で足を洗ったという伝承で、後の時代になって池の名を「洗足池」と表すようになった。昭和になって、その名を地名にも流用した。 どうでもいいが、ややっこしい話だ!、、、、、、、、そこで、「昔“千束” さらに“洗足” いっそ合わせて “二千足”」に統一したら!

・・・・・・・・・・・・・千束八幡神社・・・・・・・洗足池の周りにある寺社、その一・・・・・・・・貞観2年(860)に創建。

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・・・・・・・・・・・・・千束八幡神社・・・・・・・洗足池の周りにある寺社、その二・・・・・・・・創建年代不詳

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・・・・・・・・・・・・・妙福寺祖師堂・・・・・・・洗足池の周りにある寺社、その三・・・・・・・・池の東にある寺。 日蓮聖人が池畔の松に袈裟を掛けて、手足を洗い休憩した霊場。 この堂は、天保4年(1833)に再建され、昭和に入り増築されたが、国の登録有形文化財に指定されている。

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・・・・・・・・・・・・・勝海舟夫妻墓所・・・・・・・洗足池の東池畔に位置する公園に墓所が  ある。 かつて、池のほとりに勝海舟の邸宅があったが戦災で焼失し、現在は勝夫妻の墓が残っている。

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・・・・・・・・・・・・・西郷隆盛留魂碑・・・・・・・勝夫婦の墓の隣りに、西郷隆盛留魂碑が建っている。 晩年、勝が住んだこの地に、西郷が訪ねて勝と歓談したと言われている。 その西郷が西南役に倒れた後、当時の東京府南葛飾郡の浄光院境内に勝が自費で建てた西郷隆盛留魂碑である。 大正12年(1913)に荒川放水路開削工事に伴い、当地に移された。

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④鳳凰閣(旧清明文庫)
・・・・・・・・・・清明会は、大正9年(1920)、仏教と儒教の精神をもととする東洋文明に対する敬蒙活動を目的に活動を開始した団体。 その清明会が、昭和8年(1933年)、洗足池の東側に文庫兼講堂として建てた建物で、正面玄関から立ち上がる4本のネオゴシックスタイルの柱型などに特徴がある。 鉄筋コンクリート造3階建て。 現在、建物は大田区が所有し、国登録文化財にも指定されている。 平成26年度(2014)、大田区は鳳凰閣を勝海舟記念館として整備することになった。 チョイとボロボロになった建物に光が射したようだ、よかった!

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⑤洗足池駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、池上電気鉄道洗足池駅として開業した。 ホームは高架相対式2面2線構造で、駅の規模は小さく、ホーム上屋は木造、高架下通路は狭く、昭和の匂いプンプンの駅だ!

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⑥発見! 桁下1mほど
・・・・・・・・・・・洗足駅から東に50m程いくと、駐車場の後ろに小さなガードがある。 桁下は、なんと、私の肩の高さ(約1.3mぐらい)しかなく、車はもちろん、自転車も通れないガードだ! ガード名、桁下の高さなど調べてみたが、結果は不明?
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東急池上線
・・・・・・・・・・洗足池~長原間でパチリ

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この辺りで、ポツリポツリ降ってきた。 空の色も濃い灰色に変化し、傘は持っていない、『コリャ、帰ろ!』

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⑧長原駅
・・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、池上電気鉄道の長原駅として開業した。 昭和48年(1973)に地下駅が竣工した。

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2015年4月18日 (土)

扇大橋~大師前

昨日は、扇大橋から梅島まで歩いた。 今日は扇大橋から大師前まで、1万2千歩、9kmの散歩です。



①扇一丁目第二アパート
・・・・・・・・昭和60年(1985)に建てられた、全4棟、総戸数115戸の都営住宅。 この辺りは都営住宅の聖地なのか、扇1丁目の地区内だけでも都営住宅は、4ヵ所ある。 

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②蔵のある住宅
・・・・・・・・・・足立区興野(おきの)2丁目、周辺はゴク普通の住宅地であるが、オヤ!と目に入ってきた蔵。

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③興野神社
・・・・・・・・・興野2丁目に、左右で一対をなす、大きな大イチョウを御神木とする興野神社(おきのじんじゃ)がある。 創建年代は不詳であるが、イチョウの大きさから推定すると、、、、、『古そうだ!』 

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④善応寺
・・・・・・・・・・・興野神社の北に、真言宗豊山派の善応寺がある。 創建は、後村上天皇の貞治2年(1363)と伝えられている。 もと吉祥院(昨日参拝)末だったが、昭和14年(1939)に長谷寺の直末となった。 現本堂は、昭和40年(1965)に鉄筋コンクリート造りにより建て替えられた。

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⑤興野1丁目の路地
・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・路地の正面には外灯がある、政治家のポスターもある、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・右に折れると、さらに路地は続く、、、、、、この路地は、女より男の方が、痴漢と間違えられそうで、歩くのが怖いかも?

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・・・・・・・・・・・・・こんどは左に折れて、道幅もチョイト広くなった、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・抜けると、「興野銀座会」と名付けられた道路に出る。
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⑥興野町住宅
・・・・・・・・・・西新井本町4丁目に、27棟(全761戸)の規模で並び立つ都住宅供給公社の住宅。 昭和34年(1959)の建設で、そろそろ建て替えかな?

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⑦西新井氷川神社
・・・・・・・・・・・環七通りに面し、西新井本町に鎮座する氷川神社。 寛永3年(1626)に武蔵国一宮氷川神社(現さいたま市、旧大宮市)から素盞嗚尊を勧請して創建した。 江戸時代には、西新井村の鎮守となり、明治期には村社となった。・・・・・・・・・今日は社務所の方が拝殿にあげてくれた。 拝殿内には絵馬がズラリ並んでいて、近くの絵馬屋さんが毎年1枚ずつ描き、奉納するそうだ。 古い絵馬は社務所に保管しているらしい。 

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西新井大師
・・・・・・・・・・・ここまで来たら、チョイと手を合わせて行こう。

・・・・・・・・・・・・・・昼前の参道、そろそろお客も来るころだ!

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・・・・・・・・・・・・・まずは、本堂へ

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・・・・・・・・・・・・・・次は、花まつり、、、、、、「コイコイと 牡丹に誘われ カメラでパチリ 写りはカスで しょう(蝶)がない」

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2015年4月17日 (金)

扇大橋~梅島

昨日は北綾瀬近辺を歩いてきたが、帰宅後、足立区の地図を見ていると、興野・本木・扇地区の迷路状に入り組んだ道が目に止まり、歩いてみたくなった。

早速、今日は日暮里舎人ライナー扇大橋駅から、扇・興野地区をぶらつき西新井大師に抜けるつもりでスタートしたが、扇地区で迷路に嵌り、道を間違え、東武伊勢崎線の梅島駅までの散歩となった。 1万2千歩、9km。


①扇大橋駅
・・・・・・・・・・駅名どおり荒川に架かる扇大橋(橋上は尾久橋通り)の北側に位置する駅。 だが、橋の南側の足立小台駅 の方が、扇大橋により近い位置にある。・・・・・・・・・平成20年(2008)、ライナーの開業と同時に駅も開業した。

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②扇1丁目の
曲がりくねった道・・・・・・・・・・・一歩通行の曲がりくねった道路ばかり、十字路もない、迷路のようだ。 

・・・・・・・・・・・・・道の先には何があるのか、何か期待したくなるね!

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・・・・・・・・・・・・・道を曲がると、竣工したばかりの白い建物は「扇こころ保育園」、若い保育士さんが子供を待っていた。、、、、、、、“おはよう”の 声にドッキリ 振りむけば 鼻たれ小僧 笑顔で迎える 可愛い娘。 

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・・・・・・・・・・・・・次に曲がると、休耕田か? マンションでも建てるのか?、、、、、、昔は、腰まげて 苗植えて 秋に収穫 食い代だ。今は、腰据えて 土地売って 空き地なくなり 食いつぶす。

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・・・・・・・・・・・・・道の傍らに、馬頭観音が祀られていた。 きっと、昔は、田畑の脇に祀られ農作業の見守ってきた観音さまだろう!

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・・・・・・・・・・・・・春の陽気に、花も咲き誇る、、、、

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③吉祥院
・・・・・・・・・・・・扇1丁目から東隣の本木西町に入ると大きな寺がある。 正応元年(1288)に開山した、真言宗豊山派の吉祥院で、渕江山星谷寺と号す。 名刹、古刹で、将軍家の鷹狩では御膳所ともなった。 寺の歴史は古いが建物は老朽化し、戦後になり、本堂・山門などの建て替えが進んだ。 本堂は昭和57年(1982)に再建した、入母屋造りの重厚な建物。 鐘楼堂は天明3年(1783)に建立されたが、昭和35年(1960)に改築した。 山門は、平成16年(2004)に改築。、、、、、、境内は広く、手入れもよく、落ち着いて手を合わせられる寺だ!

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④本木氷川神社
・・・・・・・・・・・・・本木西町にある、素盞嗚尊を祭神とする神社。 享徳3年(1454)に創建された。 本木村全体の鎮守さまで、境内には神輿庫が複数並んでいる。

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⑤ひらさわ呉服店
・・・・・・・・・・・・・尾竹橋通りを横断し、関原銀座商店街の中程の「ひらさわ呉服店 」前に出てきた。 この店の看板は形がライオンのタテガミの面構えに似ていることから、“ライオン看板”と称され、戦後多く見られた看板だが、現在は少なくなった。

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梅島駅
・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線に大正13年(1924)に開業した。 現在の駅は、島式ホーム1面2線の高架駅であるが、敷地が狭いため、浅草寄りに上りホーム、草加寄りに下りホームが直列的に配され、珍しく、細長い~~ホームの駅である。

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2015年4月16日 (木)

六町~亀有

つくばエクスプレスの六町駅から常磐線亀有駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。


①六町駅
・・・・・・・・・・つくばエクスプレス六町(ろくちょう)駅は、平成17年(2005)に開業した。 既に開業から10年経過したが、「六町駅」と聞いてもピンとくる人は少ないと思う、おそらく駅のある足立区の住人ぐらいがピンとくるのであろう。 駅は都内最北の地下駅で、地上に出ても、話の種となるような建物、商店、施設など、なにもない。 畑がいつの間にか新興住宅となり、チョイと面白みに欠け、味気ない町である。・・・・・・・六町駅は戸田建設の施工により、開削工事で造られた地下3階建ての駅。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の周辺には、農家の名残りであろう建物が散見できる。

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②六町加平橋
・・・・・・・・・・・足立区の東部を流れる綾瀬川に六町加平橋は架かっている。 頭上には首都高6号三郷線が走る。 この橋は綾瀬川の東:加平2丁目と西:六町1丁目を結ぶ橋だが、橋上の道路は足立区の東端:大谷田5丁目と西端:鹿浜5丁目を結ぶ約8.3kmの都市計画道路である。 ところが、六町1丁目では住宅の移築が進んでいないため、六町側の道路工事ができず、橋は歩道のみ通行可能となっている。、、、、当分の間、車道は閉鎖、残念ですね!

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・・・・・・・・・・・・・・六町側では、車道がバッサリ切られたような状態で、歩道に接続する階段だけがある。

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・・・・・・・・・・・・・・加平側では、都市計画道路は完成し、供用されていたが、橋の取り付け部分で通行止めとなっている。

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③ポケモン・バス
・・・・・・・・幼稚園の送迎バス。 園児も楽しそうに乗っていた。、、、、、老人用に、胸がときめき、乗るとワクワクするような、艶っぽい、デイサービス送迎バスはないものか、、、、、お年寄りが若返り、喜ばれるかも?

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東京地下鉄 綾瀬車両基地
・・・・・・・・・・・千代田線北綾瀬駅の北に広がる、東京地下鉄の綾瀬車両基地。 ここには千代田線の車両が留置されているのだが、時刻は9時過ぎ、只今ほとんどの車両が稼ぎに出て、基地は閑散としている。・・・・・・・「見わたせど見わたせど 車両は見えず 見えるはただただ線路だけ」

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⑤都営 辰沼町アパート・
・・・・・・・綾瀬車両基地の東側に建つ、総戸数646戸(14棟)の都営住宅。 昭和44年(1969)から昭和47年(1972)にかけて建設された団地。

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・・・・・・・・・・・・今日は5月中旬の気温でポカポカ・ポッカレモンの暖かさ。 アパートのベランダには、布団、布団、布団と、布団がズラリ! 地図を描いた布団もあるかも?

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⑥足立区立郷土博物館
・・・・・・・・・・辰沼町アパートから東へ行くと、大谷田5丁目に、大きな蔵のような造りの区立郷土博物館がある。 入館料は200円で、『チョイと入ってみるか』。 農村としての足立区の歴史、近代産業を支える足立区、下町としての足立区の生活などが、丁寧に説明されていた。

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・・・・・・・・・・・・・・・明るい内部には、解りやすい資料で展示されていた。

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・・・・・・・・・・・・・・博物館に併設されていた、回遊式日本庭園の「東渕江庭園」。造園家:小形研三の設計による、常緑樹の多い、野趣味が豊かな庭園。

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⑦葛西用水親水水路
・・・・・・・・・・・博物館前には葛西用水親水水路があり、水路沿いに南へ行くと亀有駅に達する。 水路には約290本のソメイヨシノが植えられ、もう少し早く来れば満開の桜並木を見ることができたはず、残念!・・・・・・・・・葛西用水とは、万治3年(1660)に郡代:伊奈忠克によって開発された歴史ある用水路で、古利根川及び荒川の水脈を利用して葛飾区までの長さ3kmに及ぶ。、、、、、、現在は、綺麗に整備され気持ち良く歩ける散策路。

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2015年4月15日 (水)

水道橋~飯田橋

朝の天気予報では、連日の雨の続きで今日も天気が悪そうだと言ってた。 散歩をあきらめていたが、午後になっても降らない、『天気予報に騙された!』と思い、15時に、水道橋駅から九段下経由で飯田橋駅まで、7千歩、5㎞のプチ散歩をしてきた。



①三崎町の六叉路
・・・・・・・・・・水道橋駅の南側に、都内でも珍しい六叉路がある。 この六叉路がある一画は、三菱財閥が明治23年(1890)に練兵場跡の払い下げを受け、開発した。 六叉路は開発の目玉として造られた街路らしい。 その後、この地は繁華街として栄えたそうだ。・・・・・・・・練兵場があった明治初期には、まだ水道橋駅も鉄道も無く、神田川の北側(現:後楽園遊園地)は砲兵工廠であった。 さすが“三菱”、先見の明がある、この土地を手に入れ、しこたま儲けたことであろう。

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②研数学館
・・・・・・・・・・・白山通り三崎町交差点近くにある研数学館は、明治30年(1897)に数学の私塾として開校し、戦後まで理数系の専門学校であった。 この間、震災で建物は壊滅し、昭和4年(1929)にスクラッチタイル貼りの現:本館(写真:右側の茶色の建物)と、塔のある別館(写真:左側の白っぽい建物)が建てられた。 戦後は、昭和30年から平成12年(2000)まで大学予備校として経営した。 昭和39年頃は、私も通った予備校であった。 現在は、本館・別館とも貸しビルとなり、研数学館は理数教育の支援を行う法人となっている。・・・・・・・・私が通った頃は、本館の隣りにも校舎があり、終日、学生で賑やかな校舎であった。、、、、、当時は、研数学館前の白山通りに都電が走り、通りの向かいには、日大の旧校舎と塔のある三崎町教会(現:建て替えてビルの中の教会)があった、懐かしいい風景を思い出すね。

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③東方学会
・・・・・・・・・・・西神田2丁目にある、装飾の少ない白い箱型の4階建てのビル。 玄関はアーチ形の小さな入り口で、私が知るかなり以前から脇にはソテツが一本、守衛さんのように植えられている。 大正15年(1926)完成の鉄筋コンクリート造、3階建て(4階部分は後の増築)。 当初は「上野塾」と称する学校(現:世田谷区に移転した東京高等学校)の校舎として建てられたようだ。・・・・・・・・昭和22年(1947)、外務省所管で、日本の東方文化の学術的研究の発展、東方諸国の文化の進展および国際文化の交流を目的として「東方学会」が設立された。 現在は、その拠点となっている。

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④昭和館
・・・・・・・・・・・・九段下交差点に建つ、戦中、戦後の国民生活を中心とした資料を展示している厚労省所管の博物館。 平成11年(1999)に開館。 地上7階/地下2階建、鉄骨造で、菊竹清訓の設計、竹中工務店+間組+鉄建建設共同企業体の施工。

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・・・・・・・・・・・・・只今、企画展「よみがえる日本の姿」が開かれていた。 “入場無料”に、つい、つられ入館してきた。 英連邦軍として参戦し、戦後日本に駐留したオーストラリア軍が撮影した昭和20年・21年の写真が100枚程出展されてる。、、、、東京と駐留した呉の街を中心に、街の人々と駐留軍の交流の姿が撮影されている。 また、記録映画として、ミズリー号上での降伏文書の調印、終戦直後の広島・東京などが上映されていた。、、、、、、壊滅した広島・東京の姿は、何度も映像で見て知っているが、改めて驚きを感じた。 また、戦後70年、焼け野原から立ち上がった、今日の日本にもビックリ! 

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⑤九段会館
・・・・・・・・・・・・・昭和館の隣りは九段会館、二・二六事件では戒厳司令部が置かれた旧軍人会館。 川元良一の設計、清水組(現:清水建設)の施工、鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階/地上4階建て、工事費約2,500,000円にて、昭和7年(1932)2月に着工し昭和9年(1934)3月に竣工した。・・・・・・・・・平成23年(2011)、東日本大震災で天井が崩落し、これまで日本遺族会が会館・ホテル・レストランを運営してきたが、以後営業を停止し、建物は国に返還された。 国はこの建物をどうするのか、、、、、帝冠様式の代表的建物をぜひ保存してもらいたいね。

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2015年4月12日 (日)

吉祥寺~三鷹

夫婦で、吉祥寺駅から三鷹駅まで、7千歩、5㎞、のプチ散歩。

●・・・・・・・・・・・本日は、山手線・京浜東北線が架線トラブルで朝から運転見合わせ。 中央・総武線で行けるところとして、吉祥寺で下車した。 駅前は若い人でばかり、、、、、、、「若い二人に 負けない夫婦 還暦過ぎても 腕を組む」

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●・・・・・・・・・・・井の頭公園に向かう両側の店は、書き入れ時。  

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●・・・・・・・・・・・天気も良く、井の頭公園は“千客万来”。

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●・・・・・・・・・・・桜は散ったが、家族連れが最後の花見を楽しんでいた。

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●・・・・・・・・・・・井の頭公園内の池を源流点とする神田川 、その最上流、池の水門のスグ下流にある石橋が「水門橋」である。 

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●・・・・・・・・・・・こちらは、井の頭公園内のチョイと静かなところ。 新緑が美しい!

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●・・・・・・・・・・・二人はお弁当、独り身の俺は寂しくスマホ、、、、、、、、「ランチ食べるは 仲良し二人 俺が入れば なお美味い」

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●・・・・・・・・・・・井の頭公園から、玉川上水に沿って三鷹方向へ

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●・・・・・・・・・・・山本有三記念館 ・・・・・・・・・・三鷹駅近く、玉川上水脇に建つ洋館。大正15年(1926)に貿易商:清田龍之介の別邸として建てられた。 その後、作家:山本有三が昭和11年から21年(1936~1946)まで、家族とともに住んでいた家である。 建物の設計者は不明。 

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●・・・・・・・・・・・再び、玉川上水の際を歩き三鷹駅へ、、、、、、、、

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2015年4月10日 (金)

南千住~三河島

常磐線で隣どうしの駅、南千住駅と三河島駅は直線で2km程である。 今日は曇り空の下でチョイと寒く、ポケットに手を突っ込んで、南千住駅から裏道をクネクネ曲がり歩いて三河島駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。



①南千住駅前の芭蕉像
・・・・・・・・・・・南千住駅 前ロータリーに芭蕉の像がある。 芭蕉が「奥の細道」に旅立つ出発点が隅田川岸の“千寿”であるが、隅田川の南岸は荒川区南千住、北岸は足立区千住(駅は北千住)で、両区では出発点がどこか大問題となっている。 両区とも、出発点は“俺の区”として芭蕉の像・句碑を建てアピールしているようだ、、、、、その一つが、駅前の像である。、、、、、矢立の初めとして詠んだ句、「行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪」 ・・・・・・・・・ 私も一句、「行く散歩 金(かね)無き男の目に涙」

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②小塚原回向院
・・・・・・・・・南千住駅の脇、大きな葵の寺紋がある寺が回向院である。 寛文7年(1667)に両国回向院の住職によって、行路病死者、刑死者の供養のため小塚原刑場の傍らに建てられた。 現在の寺は、昭和49年(1974)に鉄筋コンクリート造で新築された。

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・・・・・・・・・・・・・境内には、著名な刑死者の墓がある。 まず、有名盗賊の4人(腕の吉三郎、義賊:鼠小僧次郎吉、 毒婦:高橋お伝、片岡直二郎)の墓が並んでる。

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・・・・・・・・・・・・・・境内奥には、安政の大獄の吉田松陰の墓と、堂内には橋本佐内の墓。

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・・・・・・・・・・・・・また、蘭学者杉田玄白、前野良沢らが小塚原で解剖(腑分け)をみて、「解体新書」をつくる決心した、記念碑もある。 近代医学の始まりである。

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③浅香質店
・・・・・・・・・日光街道沿いの大通りに面して建つ、昭和12年(1936)に建てられた3階建ての蔵、鉄筋コンクリート造らしい。

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④円通寺
・・・・・・・・・・南千住1丁目、曹洞宗の円通寺。 延暦10年(791)に坂上田村麻呂によって、開かれたと伝えられている。 明治維新、慶応4年(1868)の上野戦争の際には、亡くなった彰義隊の隊員をこの寺の住職が火葬した。 また、傷ついた寛永寺の黒門を当寺で保存している。

・・・・・・・・・・・・・観音堂屋上の黄金の聖観音像は都内最大級で全長12m程あるそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・彰義隊士の墓・・・・・・・・慶応4年・明治元年(1868)戦争で戦死した彰義隊士の遺骸266体を上野山内にて荼毘に附し、当寺に埋葬した。

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・・・・・・・・・・・・・黒門・・・・・・・・・・無数の弾痕があり、想像するに、凄い戦いだった!

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⑤南千住1丁目の裏道
・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・緑豊かな裏道、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・行き止まりではありません、外灯もある生活道路です、、、、、この狭さだと宅配は通れないかも?

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・・・・・・・・・・・・・“昭和”を語る木造の長屋がある、、、、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・『オ、自転車が来た!』、、、、『この狭さでは、自転車が便利だな!』、、、、、『事故に注意してね。 オヤ、曲がった!』、、、、、『オ~、道の真ん中に手押しポンプがある! きっと、住人が集まり井戸端会議したポンプだ!』 懐かしき光景が想像されるね、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・こちらは軒先に、あの懐かしの“ごみ箱”が、、、、コンクリート製の隣りには、ポリバケツのごみ箱もある、、、、

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⑥N邸
・・・・・・・・・・・荒川1丁目に建つ、木造和風+洋風の住宅と蔵、さらに玄関まわりの煉瓦塀。大正~昭和初期の建築で、丁寧に使用されているようで、貴重な建物だ。
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⑦荒川区役所本庁舎
・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)に建てられた地上7階/地下1階建ての庁舎である。 大成建設の設計・施工。 既に耐震補強工事も終え、まだまだ使用するそうです。 ・・・・・・・・ 外は風も吹き、気温も低く、チョイと、私の身体が冷えて来たので、暖かい区役所の中で休憩。

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⑧耳無不動・三峰神社
・・・・・・・・・・・・荒川3丁目の不動様と三峰神社。 三峰神社の由来・創建は不詳。 耳無不動は、近くにあった仙光院の住職光慧(こうえ)の建造とされている。 光慧と吉原の遊女との波乱に満ちた悲劇的情愛物語があり、山東京伝の「三河島御不動之記」という黄表紙に、話が登場しているらしい。(私は知らなかった!) 不動明王は、左耳が無く、耳の病などにご利益があると伝えられ、穴をあけたお椀を奉納する慣わしがあるそうだ。 、、、、遊女との愛情物語が気になるね!、、、、物語は、柳川藩の家臣:田無光三郎(光慧)は、許嫁のお絹を同僚に奪われ、同僚はお絹を連れ江戸に出奔した。 光三郎も江戸に出て僧侶となり、同僚を見つけ仇を討ったが、お絹は吉原に売られていた。 光三郎はお絹に逢うため、吉原に入り浸ったため寺を追われ、さらに遊び場通いがすぎて耳が落ち、腰が抜けたそうだ。 たぶん花柳病だったのかも? 僧である光三郎は、不動明王を門前に安置し、台座には道しるべを刻み、旅人の便を図った。 その後、光三郎は死して、お絹も後を追って自殺した。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・そろそろ、雨粒も落ちてくるかも、、、、三河島駅 から帰ることにした。

2015年4月 9日 (木)

ドジ・アホ・バカ・マヌケ・オソマツ!

今日は、水道橋の循環器内科で、定期検診の日。 検診後、神保町・一ツ橋をまわり我が家まで、1万歩、8㎞の散歩をしてきた。・・・・・・・ここまでは、調子よかったが、、、、、

、、、、、、『さて、「雅万歩」を書くか』と、カメラをパソコンに接続したら、、、、ナ・ナ・ナント、写真が無い! 消えた! 私のカメラはデジカメなので、フイルムの入れ忘れも考えられず、なんだかさっぱり解らず、ただ途方に暮れるだけ。 美女の胸に泣き崩れたい気持ちを抑え、冷静に考えたが原因は判らず、、、、、、残念だが諦めよう。 

ドジな親爺が、アホな操作で、バカみたいに撮った写真を消してしまい、マヌケな散歩となった。、、、、、オソマツな一日だ!

・・・・・・・・・・・散歩ウキウキ 可愛いい娘 撮ったつもりが 消えていた、、、、アア、コリャコリャ

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2015年4月 6日 (月)

靖国通り

靖国通りの起点は新宿大ガード東交差点(新宿区)、終点は浅草橋交差点(中央区)で、総延長は11.2kmある。 今日の散歩はこの靖国通りを終点から起点に向かい、路地裏に入らず、脇道にそれず、美女に惑わされず、ひたすら歩くこととした。・・・・・・・・・1万6千歩、12kmの散歩

 


●am7:53
・・・・・・・・・・靖国通りの終点:浅草橋交差点からスタート。 右へ向かう京葉道路(国道14号)は、ここが起点で両国橋を渡り千葉方面へ。 左に向かうは靖国通り(都道302号)。 ついでに、我が家は、写真中央のビル(日本橋女学館)の後ろに流れる神田川の向こう岸の奥のJR総武線浅草橋駅の北の方、、、、、、、、、??。

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●am8:02
・・・・・・・・・・浅草橋交差点から450m程歩いた、千代田区東神田2丁目の角に龍角散ビルがある。 ベネチアン・ゴールドの花崗岩を外装に使用した贅沢なビルで、大成建設の設計・施工により平成3年(1991)に竣工した。 

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●am8:02
・・・・・・・・・・千代田区岩本町3丁目と東神田1丁目の境(大和橋交差点)を通る、靖国通りの地下に廃橋がある。 ここには、神田川支流の旧「竜閑川」が流れ、昭和4年(1929)、工事費約3万5千円程で完成した大和橋が架けられていた。 戦後、戦災で発生した瓦礫により竜閑川は埋められたが、大和橋は廃橋となり橋下にガレージが造られた。 現在は靖国通りの左右には「大和橋ガレージ」と表示され、橋の下のガレージに出入りするスロープもある。 (ガレージは営業していないようだ)・・・・・・・・・・写真では、道路が少し膨らんでいるのが判る。

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am8:11・・・・・・・・・・岩本町交差点。 首都高が通る道路は、昭和3年(1928)完成の、御存じ、「昭和通り」。 交差する靖国通りは、戦前まで「大正通り」と呼ばれていた。 ちなみに、「明治通り」は昭和2年(1927)に完成した、明治神宮近くの大通り。

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●am8:20
・・・・・・・・・・山手線・京浜東北線・東京上野ライン・東北新幹線の8路線(3架道橋)が並ぶ、グレーの平永橋架道橋。 中央線快速が走る緑の小柳橋架道橋が、靖国通りを跨ぐ。・・・・・・・・・・・これらの架道橋の地下25m程のところに、都営地下鉄新宿線のトンネルがある。

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●am8:24
・・・・・・・・・・須田町交差点に建つ、大阪の羅紗問屋:鷹岡の東京支店。 昭和10年の建築、鉄筋コンクリート造、地上5階/地下1階。 スクラッチタイル貼りの外壁で、軒に帯飾りを施したシンプルなデザインは、昭和初期の特徴。

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am8:35・・・・・・・・・・小川町交差点、ビルに挟まれた大きな顔、店の名は「顔のYシャツ」。 名のごとく大正7年(1918)創業のYシャツ屋さん。 「顔」は創業者である先代の店主の顔である。、、、、、イケメンの、いい顔だね!

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●am8:43・・・・・・・・・・駿河台下交差点。 わが母校明治大学の記念館が、リバティータワーに変わってすでに17年経つ。 角の三省堂書店も現在のビルに変わって34年が経ち、交差点も景色も見慣れたものとなった。

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●am8:50
・・・・・・・・・・私には、通学、通勤で、50年以上見て来た神保町交差点である。 古本屋・雀荘・喫茶店の数も減り、街の雰囲気も“学生の街”から“サラリーマンの街”に変わってきている。

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●am9:07
・・・・・・・・・・『コリャ、こりゃ、何じゃらホイ』、九段下交差点の人だかり? 『どこぞの企業の入社式か? まてよ、もう4月6日、いまどき入社式でもあるまい。 親子連れもいた。 これは、どこぞの大学の入学式だ!』、、、、、『ナント、ナント、武道館から九段下交差点まで行列が!』

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・・・・・・・・・・・・・・・息抜きに九段会館(旧軍人会館)をチラリ見て、ホッとするね!

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・・・・・・・・・・・・・・・・行列は東洋大学の入学式であった。 今年の新入生は約8,000名、付添いの保護者5,000名、合計13,000名の凄い入学式だ!、、、、、ビックリ、シャックリ、ドングリ、コロコロ・・・・・

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●am9:20
・・・・・・・・・・九段上に出る。 靖国神社 も横からチラリ、千鳥ヶ淵はかすみ、桜もそろそろ散り始めた、、、、、、
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●am9:38
・・・・・・・・・・市ヶ谷駅前を通過し、外濠に出る。 まだ早い時間なのか、ボートは出ていない。

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●am9:46
・・・・・・・・・・新宿区に入り、防衛省の正面を通過する。 以前、横須賀の自衛隊を塀の外側からパチリとしたら、自衛官が飛び出してきてカメラの中を点検された過去があり。 防衛省・自衛隊には、チョイとアレルギーで、写真を撮るのは、おっかなびっくりだ。、、、、、、撮った後で、我が家にミサイルを撃ち込まれたら、修理代がかさむからね!

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●am9:57
・・・・・・・・・・靖国通りの上に架かる外苑東通りの曙橋を通過する。 昭和32年(1957)に開通した、立体交差である。 橋の下には地下鉄新宿線が走り、駅も近くにある。

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●am10:10
・・・・・・・・・・富久町歩道橋から、靖国通りの先をパチリ。 コリャマタ、オッタマゲタ、なんと55階建てのビルだ! マンションか、オフィスか、、、、

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●am10:10
・・・・・・・・・・新宿1丁目に入り、遠くに新宿の超高ビルが見えるようになった。 靖国通りの左奥は、現在の新宿1丁目、かつて、昭和48年(1973)に消滅した花園町である。 バー、スナック、飲み屋などに混じり、チョイと怪しげな店もある。

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●am10:22
・・・・・・・・・・新宿5丁目東交差点。 ここまで来ると、靖国通りの起点はもうすぐだ!

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●am10:30
・・・・・・・・・・靖国通りの進行方向右手に歌舞伎町の入口が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・・・こちらの入口には、おや、なんだ、、、、ゴジラだ! ただいま建設中のコマ劇場跡地に建つビルから顔を出している。 歌舞伎町の人気者になりそうだね。

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●am10:43
・・・・・・・・・・靖国通りの起点であり、本日の散歩の終点、新宿大ガード東の交差点に到着。 全行程2時間50分で、靖国通りを制覇。

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2015年4月 3日 (金)

西大井~大森

朝の天気予報では、『東京は曇りで夜から雨』。 「よし!散歩してくる」と言って家をでたが、地下鉄の浅草橋駅まで行っても行先が決まらず、JRの浅草橋駅に行っても決まらず、バス停に行ってもまだ悩み、橋(浅草橋)を渡り、JRの馬喰町駅で、しかたなく総武・横須賀線快速に乗車した。 通勤客で満員の車内で、今度は『どこで降りようか』下車駅で悩み、考えている間に品川を過ぎた。 このままでは神奈川県に入ってしまうので、とりあえず西大井駅で下車。 西大井駅の改札を出て、『東西南北いずれに向かう』、ここでまた悩み。 我が、行く道は神にまかせ、西に向かったが、結局は南の大森に到着。 西大井駅から大森駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。

①西大井駅・・・・・・・・・駅は、通称「品鶴線(ひんかくせん)」と呼ばれる、東海道本線の支線上にあり。 路線は昭和4年(1929)に貨物線として開設した。 昭和39年(1964)には頭上に新幹線が高架で走り、昭和55年(1980)には横須賀線が走るようになったが、駅はまだ開業していない。 西大井駅の開業は昭和61年(1986)である。

・・・・・・・・・・・・・路線開通後につくられた駅で、駅前も広く立派であるが、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・改札口は駅中央に1か所だけ、しかも改札内にはトイレはなく、乗車中にチョイと緊急事態になった人は改札を出て、外のトイレ(写真左端奥)を使用しなければならない、、、、、トイレを探している間に、爆発するかもね?

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・・・・・・・・・・・・・都区内の駅ではワースト10に入る、乗降客の少ない駅

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・・・・・・・・・・・・・東海道新幹線高架の真下にホームがある

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②伊藤博文墓所
・・・・・・・・・・・駅の西側に、近代日本の立役者:政治家:伊藤博文の墓所がある。 墓所は伊藤家専用で非公開のため、柵越しにパチリ。 この地は、伊藤博文の別邸があった場所で、明治40年当時の敷地は1万㎡程あったそうだ。 しっかりと囲われた広大な墓所の正面中央に墓があり、コンクリート造の円墳墓である。・・・・・・・・この地の旧町名は伊藤町会、近くには伊藤幼稚園、伊藤小学校などもある。 またかつて伊藤中学校もあったそうだ。 現在は中高一貫校の品川区立伊藤学園中学が開設されたそうだ。

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③坂の町
・・・・・・・・・・新幹線の線路沿い、品川区西大井5丁目・大田区東馬込1丁目のあたりは坂が多く、上り下りにつらい町、

・・・・・・・・・・・・・・坂の上に建つ木造住宅、もちろん空き家。、、、、、玄関の門扉のツタは、襖絵のように絡まっている。 お見事!

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・・・・・・・・・・・・・ドーナッツ模様の坂・・・・・・・これは、車の滑り止め。 道路をコンクリートで舗装する際に、「真空コンクリート」という施工方法で行い、固まる前にOリングを埋め込み模様をつける技。

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・・・・・・・・・・・・・おや、まあ! この並びの住宅は道路から2階に上がる家ばかり、、、、、実は、この道は坂の下の道で、玄関は各住宅の後ろ側の坂の上にある。 ちなみに、道路の向かい側の住宅は、この道路側に玄関がある。 傾斜地に建つ住宅だ!
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④北久保架道橋
・・・・・・・・・・東馬込1丁目の坂道を下り、環七通りに出てきた。 西側に第二京浜の松原橋 の立体交差、東側に環七を横断する東海道新幹線・品鶴線の北久保架道橋が見える。

・・・・・・・・・・・・・霧雨がチョッピリ私の柔肌を濡らす中、私のカメラは西側の松原橋を捉えている。

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・・・・・・・・・・・・・歩道橋から振り返れば、新幹線と品鶴線(新宿湘南ライン)が通過する北久保架道橋が見える。
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・・・・・・・・・・・・・・大崎方向から来た新宿湘南ラインが架道橋を通過する、、、、、近すぎて、頭上を走る新幹線は、通過音は聞こえど姿が見えず

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⑤O邸・・・・・・・・・山王1丁目の高台に建つ、飾りの一切ない箱形の建物。 青い瓦にグレーの外壁、軒裏の板張りに古さがみられる程度、昭和初期の建物か?

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⑥大田区山王小学校
・・・・・・・・・大正14年(1925)設立の山王小学校は今年で90周年。 校舎は戦後改築したが、校門は古そうで、アールデコ風のデザインだ!

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⑦大森山王日枝神社
・・・・・・・・・・山王1丁目にある古くは山王社と呼ばれ、延宝5年(1677)から隣の円能寺が別当になった神社である。 旧社殿は空襲で焼失したため、現社殿は昭和28年(1953)に再建された。

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⑧円能寺
・・・・・・・・・隣の山王日枝神社の別当であった、真言宗智山派の円能寺。 現在は成田山新勝寺の末寺で、天正年間(1573~92)に開創したとされている。

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2015年4月 2日 (木)

四ツ木~青砥

うららかな春の日和、今日の散歩は、京成押上線の四ツ木駅から青砥駅まで、下町の路地裏・裏道・裏通りをウラウラ・ウロツキ、1万1千歩、8km。

四ツ木駅 ・・・・・・・・・荒川の左岸を、並行して流れる綾瀬川に接するようにホームが伸びている四ツ木駅は、大正元年(1912)に開業した。

・・・・・・・・・・・・・四ツ木駅は普通電車以外は、特急はもちろん快速も止まらない駅で、乗降客の大半は地域住民が占める地域密着型の駅である。 高架駅は住宅地の奥にあり、駅前ロータリー、駅前ショッピングセンター、駅前パチンコ屋など、普通の駅前にある施設はない。 もちろん、駅前旅館もない。 周辺はせせこましい処で、駅の全景写真を撮るのは無理である。

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・・・・・・・・・・・・朝のホームは都心に向かう上りホームだけが混み、下りホームはガラガラ、スケスケ。

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・・・・・・・・・・・・・ホームの端から見えるのはスカイツリー京成押上線荒川橋梁

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②木密地域
・・・・・・・・・・四ツ木駅の北側:葛飾区四つ木1丁目・2丁目、駅の南側:東四つ木3丁目・4丁目は「木密地域」と称する木造住宅密集市街地である。 その言葉通り、曲がりくねった幅の狭い道路の両側に木造住宅が密集した、防災上危険な地域である。、、、、、都・区では、住宅の不燃化、緊急車両が通れるように道路整備などをすすめている。・・・・・・・・今日は東四つ木地区を歩いてきた。

・・・・・・・・・・・・・消防車の通れない道路、、、、バケツリレーで消火はつらいね!

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・・・・・・・・・・・・・引戸に板が打ち付けられ、空き家かと思いきや、人が出入りしていた、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・しっかりと、「火の用心」、、、、、でも、色あせて来たな!

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・・・・・・・・・・・・・・行き止まりにあらず、通り抜け可能、、、、、、生活道路だ!

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・・・・・・・・・・・・・以前は商売していたような構えの建物、、、、、2階のガラス障子もいいね!

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③白髭神社・・・・・・・・葛飾区東四つ木4丁目にある神社で、その昔、渋江村(現:四ツ木駅周辺)の鎮守さまで、延徳3年(1491、=室町幕府の時代)の創建らしい。 別名:葛西の客人大権現(まろうどだいごんげん)と呼ばれ、吉原、深川、千住などの遊郭や水茶屋、花柳界の人々の崇敬を集めた神社である。 現在の拝殿は嘉永5年(1853)の建築。 客人(まろうど)とは、稀に来訪する神さまの意味で、神さまを丁重にもてなすことで福を授かることに通じるそうだ。、、、、、四六時中一緒の女房には煙たがれ、たまに行く店の女将には厚遇される、人間界と同じだな?
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④東四つ木の春
・・・・・・・・・・・ほんのりピンクに染まった二日酔いのアセビさん、清純派は白いドレスのユキヤナギさん、色気満開のサクラさん、椿油を髪につけ迫る熟女はツバキさん、可愛いいハーフのマーガレットさん、、、、、お客さん、御指名は?

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⑤真禅寺
・・・・・・・・・東立石1丁目、中川沿いにある臨済宗妙心寺派の真禅寺。 創建年代不詳。 境内には閻魔堂がある。・・・・・・・・・閻魔さまも昨日、エイプリルフールの日は休みかな?

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⑥本田川端町住宅
・・・・・・・・・・・葛飾区を流れる中川は蛇行し、乳房のように出っぱった位置に東立石4丁目がある。 その先っぽに、昭和32年(1957)から昭和33年(1958)にかけて建てられた東京都住宅供給公社本田川端町住宅がある。 団地は鉄筋コンクリート2階~4階建ての4棟、戸数94戸、間取り2K(25㎡)と小規模であり、最寄駅からもチョイと遠いが、満室状態であった。 今時の住宅事情なのかな、、、、、

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⑦西円寺
・・・・・・・・・立石8丁目に新義真言宗の西円寺がある。 永禄10年(1567)の創建と伝えられている。

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