蘆花恒春園
昼から妻を伴い、世田谷区の蘆花恒春園へ行ってきた。 9千歩、7㎞。
①芦花公園駅・・・・・・・・・・・大正2年(1913)、京王電気軌道の笹塚~調布間が開通し、同時に上高井戸駅が開業した。 上高井戸駅は昭和12年(1937)に芦花公園(ろかこうえん)駅と改称。 開業時の駅所在地は豊多摩郡高井戸村上高井戸で、駅名は「上高井戸」とした。 しかし、のちに徳富蘆花の住居である蘆花恒春園が近くにあることから「芦花公園」と改称した。
②つつじの盛り合わせ・・・・・・・・・芦花公園駅近くの医院の花壇。 小さなスペースに、各種のつつじが競って開花していた。 色もとりどり、まさに“つつじの盛り合わせ”、お見事!
③蘆花恒春園・・・・・・・・・・・・・・徳冨蘆花(明治元年(1868)~昭和2年(1927))は、御存じ「不如帰」を書いた小説家だが、キリスト教の影響を受けトルストイに傾倒したり、私にはチョイとなじみにくい作家。 兄は徳富蘇峰で、旧宅「山王草堂 」は大田区にある。・・・・・・・・蘆花恒春園は、世田谷区粕谷にあった蘆花の旧宅(恒春園)を中心に、周辺の土地を含めて整備した都立公園。 蘆花の旧宅は、蘆花の没後、昭和12年(1937)に夫人が土地・建物などの一切を東京市に寄付したことにより実現した。
・・・・・・・・・・・・・母屋・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・梅花書屋・・・・・・・・・・この建物は、蘆花が明治42年(1909)に松沢町北沢(現:世田谷区)の売家を手に入れ移築した。 梅花書屋の名称は、この家に掲げられてある薩摩の書家鮫島白鶴翁の筆になる横額によるものであり、この額は蘆花の父徳富一敬から譲られたものである。
・・・・・・・・・・・・・秋水書院・・・・・・・・・・・・・明治維新前の建物で、明治44年(1911)、蘆花が烏山に在った古屋を買い取り移築した。 この建物の建前の日は、ちょうど、世間を騒がせていた大逆事件の犯人とされた幸徳秋水以下12名の死刑執行の日であった。 蘆花夫婦はこの建物を「秋水書院」と名付けた。
・・・・・・・・・・・・・・廊下・・・・・・・・・・・現在ある梅花書屋、 秋水書院、 母屋は廊下でつながっている。 廊下は秋水書院完成後に造られた。
・・・・・・・・・・・・・・竹林・・・・・・・・・・・・竹の子も出てきた!
・・・・・・・・・・・・・・・蘆花記念館・・・・・・・・・・昭和36年(1961)に建てられた記念館には、蘆花の作品、原稿、遺品などが展示されている。
・・・・・・・・・・・・・・徳富蘆花夫妻の墓所・・・・・・・・・・母屋の東側の園内にある徳富蘆花夫妻の墓所。
④粕谷八幡神社・・・・・・・・・・・蘆花恒春園の北側の一画にある八幡神社。 創建年代は不詳。 別当寺であった東覚院の創建が室町時代とも鎌倉時代とも言われ、粕谷村が開村してよりの鎮守社。 昭和34年(1959)、神社は放火により全焼したが、氏子、崇敬者の努力により、同年の年末に鉄筋コンクリート造の現社殿が完成した。 境内の古木は、盧花の作品「みみずのたはごと」に出てくる「別れの杉」として名高い。
⑤八幡山駅・・・・・・・・・・芦花公園駅の5年後、大正7年(1918)に京王電気軌道の松沢駅として開業した。 昭和12年(1937)八幡山駅に改称。 両外側に通過線(本線)を持つ、島式ホーム1面4線の高架駅、改札は高架下にある。・・・・・・・・八幡山とは、蘆花恒春園の八幡神社のある周辺のようだ、神社近くの地名は世田谷区八幡山である。 八幡山駅の住所は杉並区上高井戸なり。
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