川口~川口元郷
京浜東北線に乗って、『どこで下車しようか?』、車中で考えている間に電車は王子を過ぎた、『ヨシ、久しぶりに川口で降りてみよう』。 イメージは鋳物の街、キューポラのある街、吉永小百合と浜田光男のいる街、チョイと探訪してみよう。 JR川口駅から右へ行ったり、左へ行ったり、埼玉高速鉄道川口元郷駅まで、1万1千歩、8kmの散歩。
①川口駅・・・・・・・・・・・・明治16年(1883)、東北本線の前身、日本鉄道の上野~熊谷間が開通。 この時点では川口駅はまだ営業していない。 その後、国有化されて、明治43年(1910)に川口町駅(かわぐちまちえき)として開業した。 昭和9年(1934)には市制施行により川口駅に改称した。 駅は島式ホーム1面2線を持つ地上駅で、東西を結ぶ自由通路がある橋上駅舎となっている。・・・・・・・・10数年前に、年に数回駅近くの地元ゼネコンを訪問した記憶があるが、場所も、建物も、おぼろげだ。 昼食は駅前で鰻重を食し、帰りに、甘納豆を買って帰ったことは、鮮明に記憶している。、、、、、私の若い頃(?)の話。
②毎日の通勤、ご苦労様です・・・・・・・・・・私は毎日が日曜日で“通勤”を忘れました! 駅前も、裏通りも、駅へ向かう人・人・人、、、、、、逆らって反対方向に歩くのは、暇な人。
③川口市民会館・・・・・・・・・・幸町1丁目に建ち、1000人以上収容できるホールを有する市民会館。 東日本大地震後、耐震性能に問題があり、現在は閉鎖されている。 昭和41年(1966)に完成した建物だが、どうやら取り壊されるようだ。 設計は日建設計。
④川口市庁舎・・・・・・・・・・・市民会館の斜め前に建つ庁舎。 こちらも日建設計の設計により、昭和36年(1961)に建てられた。 当初、庁舎に消防署が併設されており、屋上には望楼があったが、東日本大震災で損傷し撤去されたそうだ。、、、、、、この建物も耐震性能を満たさず、どうやら、市庁舎をこの地と向かいの市民会館の跡地に新築するようだ。 駅からはチョイと離れているが、この地に新庁舎を建設することが総合的にグッドな案と、市長は判断したらしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・市庁舎で小用を済ますつもりで立ち寄り、帰りに観光案内を頂戴し、拝見したら近くに国指定登録有形文化財「旧田中家住宅」があるのを知り、寄ってみることにした。
⑤青木橋・・・・・・・・・荒川の支流:芝川(しばかわ)に架かる橋。 この辺り、川幅はさほど広くはないが、菜の花か、雑草か、ぺんぺん草か判らんが、緑豊かで癒しの川となっている。 水質もよく、いずれ鯉が泳ぐ姿も見られるかも。・・・・・・・・親柱もシャレた造りでいいね!
⑥薬林寺・・・・・・・・・・・青木橋の東際の奥に、真言宗智山派寺院の薬林寺がある。 薬林寺は、文明18年(1486)頃、芝川付近に創建されたが、天正年間(1573-1592)岩槻城が落城した際には村民に破壊された。 その後、現在地へ移り再興した。
・・・・・・・・・・・・・・・薬師堂に祀られている薬師如来は、岡の薬師と言われている。 堂は天文8年(1539)の造立。
⑦旧田中家住宅・・・・・・・・・・・・岩槻街道に面して、木造煉瓦造3階建ての洋館が見える。 材木商:四代目田中徳兵衛が、大正10年(1921)から大正12年(1923)にかけて、18万円(現在価値:約2億5千万円)の建築費用をかけて建てた洋館住宅。 オーナーが材木商であり、建材にはうるさかったと思われる。 贅を尽くした建築であろう、、、、、、、現在は市の所有となり、公開されている。 今日は月曜日で休館日、改めて内部を見にこよう、ガッカリ!
⑧元郷氷川神社・・・・・・・・・・・室町時代の創建。創建当時は、荒川の堤の側に建てられていたが、度重なる水難を避けるため、元和8年(1622)に現社地へ移された。 社殿はコンクリート造にて建て替えられた。 主祭神は素盞嗚尊で、相殿神はその娘:市杵島姫命が祀られており、父娘神であることから、子宝成就・子孫繁栄の神様として崇敬を集めている。 境内には、妊婦の姿が目立つそうだ、今日は私がいたので、恥ずかしくて隠れていたかも、、、、、、、、
⑨川口元郷駅・・・・・・・・・・・・・JR川口駅からは東へ1.5㎞程のところに、埼玉高速鉄道の川口元郷(かわぐちもとごう)駅がある。 平成13年(2001)開業の地下駅。
●・・・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は、鋳物の街、キューポラのある街、吉永小百合と浜田光男のいる街、、、、とは、ほど遠かったが、旧田中家の内部を拝見する機会をつくり、また来よう!