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2015年4月10日 (金)

南千住~三河島

常磐線で隣どうしの駅、南千住駅と三河島駅は直線で2km程である。 今日は曇り空の下でチョイと寒く、ポケットに手を突っ込んで、南千住駅から裏道をクネクネ曲がり歩いて三河島駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。



①南千住駅前の芭蕉像
・・・・・・・・・・・南千住駅 前ロータリーに芭蕉の像がある。 芭蕉が「奥の細道」に旅立つ出発点が隅田川岸の“千寿”であるが、隅田川の南岸は荒川区南千住、北岸は足立区千住(駅は北千住)で、両区では出発点がどこか大問題となっている。 両区とも、出発点は“俺の区”として芭蕉の像・句碑を建てアピールしているようだ、、、、、その一つが、駅前の像である。、、、、、矢立の初めとして詠んだ句、「行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪」 ・・・・・・・・・ 私も一句、「行く散歩 金(かね)無き男の目に涙」

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②小塚原回向院
・・・・・・・・・南千住駅の脇、大きな葵の寺紋がある寺が回向院である。 寛文7年(1667)に両国回向院の住職によって、行路病死者、刑死者の供養のため小塚原刑場の傍らに建てられた。 現在の寺は、昭和49年(1974)に鉄筋コンクリート造で新築された。

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・・・・・・・・・・・・・境内には、著名な刑死者の墓がある。 まず、有名盗賊の4人(腕の吉三郎、義賊:鼠小僧次郎吉、 毒婦:高橋お伝、片岡直二郎)の墓が並んでる。

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・・・・・・・・・・・・・・境内奥には、安政の大獄の吉田松陰の墓と、堂内には橋本佐内の墓。

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・・・・・・・・・・・・・また、蘭学者杉田玄白、前野良沢らが小塚原で解剖(腑分け)をみて、「解体新書」をつくる決心した、記念碑もある。 近代医学の始まりである。

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③浅香質店
・・・・・・・・・日光街道沿いの大通りに面して建つ、昭和12年(1936)に建てられた3階建ての蔵、鉄筋コンクリート造らしい。

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④円通寺
・・・・・・・・・・南千住1丁目、曹洞宗の円通寺。 延暦10年(791)に坂上田村麻呂によって、開かれたと伝えられている。 明治維新、慶応4年(1868)の上野戦争の際には、亡くなった彰義隊の隊員をこの寺の住職が火葬した。 また、傷ついた寛永寺の黒門を当寺で保存している。

・・・・・・・・・・・・・観音堂屋上の黄金の聖観音像は都内最大級で全長12m程あるそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・彰義隊士の墓・・・・・・・・慶応4年・明治元年(1868)戦争で戦死した彰義隊士の遺骸266体を上野山内にて荼毘に附し、当寺に埋葬した。

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・・・・・・・・・・・・・黒門・・・・・・・・・・無数の弾痕があり、想像するに、凄い戦いだった!

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⑤南千住1丁目の裏道
・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・緑豊かな裏道、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・行き止まりではありません、外灯もある生活道路です、、、、、この狭さだと宅配は通れないかも?

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・・・・・・・・・・・・・“昭和”を語る木造の長屋がある、、、、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・『オ、自転車が来た!』、、、、『この狭さでは、自転車が便利だな!』、、、、、『事故に注意してね。 オヤ、曲がった!』、、、、、『オ~、道の真ん中に手押しポンプがある! きっと、住人が集まり井戸端会議したポンプだ!』 懐かしき光景が想像されるね、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・こちらは軒先に、あの懐かしの“ごみ箱”が、、、、コンクリート製の隣りには、ポリバケツのごみ箱もある、、、、

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⑥N邸
・・・・・・・・・・・荒川1丁目に建つ、木造和風+洋風の住宅と蔵、さらに玄関まわりの煉瓦塀。大正~昭和初期の建築で、丁寧に使用されているようで、貴重な建物だ。
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⑦荒川区役所本庁舎
・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)に建てられた地上7階/地下1階建ての庁舎である。 大成建設の設計・施工。 既に耐震補強工事も終え、まだまだ使用するそうです。 ・・・・・・・・ 外は風も吹き、気温も低く、チョイと、私の身体が冷えて来たので、暖かい区役所の中で休憩。

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⑧耳無不動・三峰神社
・・・・・・・・・・・・荒川3丁目の不動様と三峰神社。 三峰神社の由来・創建は不詳。 耳無不動は、近くにあった仙光院の住職光慧(こうえ)の建造とされている。 光慧と吉原の遊女との波乱に満ちた悲劇的情愛物語があり、山東京伝の「三河島御不動之記」という黄表紙に、話が登場しているらしい。(私は知らなかった!) 不動明王は、左耳が無く、耳の病などにご利益があると伝えられ、穴をあけたお椀を奉納する慣わしがあるそうだ。 、、、、遊女との愛情物語が気になるね!、、、、物語は、柳川藩の家臣:田無光三郎(光慧)は、許嫁のお絹を同僚に奪われ、同僚はお絹を連れ江戸に出奔した。 光三郎も江戸に出て僧侶となり、同僚を見つけ仇を討ったが、お絹は吉原に売られていた。 光三郎はお絹に逢うため、吉原に入り浸ったため寺を追われ、さらに遊び場通いがすぎて耳が落ち、腰が抜けたそうだ。 たぶん花柳病だったのかも? 僧である光三郎は、不動明王を門前に安置し、台座には道しるべを刻み、旅人の便を図った。 その後、光三郎は死して、お絹も後を追って自殺した。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・そろそろ、雨粒も落ちてくるかも、、、、三河島駅 から帰ることにした。

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