花畑運河
昨日の早朝、私の足に激痛が走った。 『イデデ イデデ(いてて 痛てて) イデデーオ!』、浜村美智子「バナナ・ボート」を唄う余裕はない!、、、、、、布団を掛けずに寝ていたので、足がつったのだ!(こむら返りである) 気持ちは七転八倒、足は痛くて動かせず、叫ぶ声は泣き声と笑い声の合成音、、、、、痛みは一日中続き、散歩は休みにした。 寝っ転がって、地図を開き、23区の北のはずれに「運河」を発見。 普段、歩いているのに、なんで、今まで気づかなかったのか、「花畑運河」である。 綺麗でメルヘンチックな名は、物語を想像してしまう。・・・・・・・・・・・・・早速、今朝の散歩で歩いてきた。 つくばエクスプレス八潮駅 (埼玉県八潮市)から、六町駅 (足立区)まで、1万4千歩、10㎞。
①八潮駅の南側・・・・・・・・・駅の南側は、機械油の匂いが漂う工場、ぺんぺん草の生える空き地が多く、コンビニ・商店がない町だ!
②垳川排水機場・・・・・・・・・・埼玉県八潮市と東京都足立区の境の一部をなす垳(がけ)川が、中川に接する位置に昭和54年(1979)に造られた埼玉県垳川排水機場。 垳川はかつての綾瀬川本流であったが、江戸時代に綾瀬川・中川から切り離され、河川としての機能を失い、単なる川状の溜池となった。 しかし、増水時には水害防止のため排水する必要があり、県では垳川排水機場を設け、5台のポンプで1秒間に40立方メートルの水を中川に排水する能力を有している。・・・・・・・・・“垳”の文字は和製漢字で、現在は八潮市のこの地だけに使用されているそうだ。 この地の地名で使用されなくなると、この世から消える運命となる漢字である。 しっかりと地名を守ろう!
③中川・・・・・・・・・・・・・足立区、葛飾区、江戸川区と流れ、旧江戸川と合流し東京湾に注ぐ一級河川。
・・・・・・・・・・・・・・・・この辺りの対岸は、八潮市と葛飾区である。 その境となる大場川水門が見える。
④花畑運河・・・・・・・・・・・・・美しく、メルヘンチックな名の運河。 「花畑川」とも呼ばれる。 この運河は、昭和6年(1931)に、足立区東部において「中川」と「綾瀬川」を結び開削された。・・・・・・・・・明治43年(1910)の荒川大洪水で東京が壊滅的打撃を被り、翌明治44年(1911)から荒川放水路(現:荒川)の建設事業が開始された。 この荒川放水路の工事により、中川は分断され、木下川水門と小名木川閘門が設けられた。 当時、中川は東京市民の糞尿を肥料として北の穀倉地帯へ送り出す水運の経路となっており、水門が設けられ“糞づまり状態(渋滞)”となったのである。 そこで、大正14年(1925)から「花畑運河」の計画が立てられ、着工となり、完成した。、、、、、“糞づまり”が、運河に変わった、運がいい話!・・・・・・・・・・ところで、現在の運河は糞尿の水運も無くなり、舟も通らぬ、単なる川となった。、、、、、その名に恥じぬ、美しい、親しみある川に変わってほしいね!・・・・・・・・・・全長1.4㎞、両端に水門があり、運河には5か所に橋が架かっている。
・・・・・・・・・・・・・中川側から、まずは水門の外側に架かる、白い塗装の花見人道橋(平成23年(2011)完成)と、錆びたガードレールの花見橋(昭和6年(1931)完成)。
・・・・・・・・・・・・・花見橋の隣りに、六ッ木水門がある。 幅員7.5mのローラーゲート式で、こちらは常時開放されている。 平成11年(1999)竣工。
・・・・・・・・・・・・・六ッ木水門から真っ直ぐ伸びる運河、、、、
・・・・・・・・・・・・・・次に架かるのは桜木橋(昭和24年(1949)完成、平成17年(2005)改修)。
・・・・・・・・・・・・・釣りする人もいる運河。 何が釣れるか? 食べるのか?
・・・・・・・・・・・・・運河の中間地点には、富士見歩道橋(昭和58年(1983)完成)が架かる。
・・・・・・・・・・・・・次なる橋は、雪見橋(昭和13年(1938)完成)、平成23年(2011)改修)。
・・・・・・・・・・・・・最後は月見橋(昭和6年(1931)完成)が、花畑水門の手前に架かる。
・・・・・・・・・・・・・花畑水門は綾瀬川との合流点に設置された水門。 幅員7.5mのローラーゲート式で、昭和42年(1967)完成。 頭上には、首都高6号三郷線が走る。
・・・・・・・・・・・・・運河が接続する綾瀬川。 チョイと汚いね!