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2015年5月21日 (木)

豪徳寺

小田急線の豪徳寺駅で下車、ここまで来たら、久しぶりに駅名の「豪徳寺」に行ってみよう。 寺に寄ってから梅ヶ丘駅まで歩き、1万歩、7kmの散歩となった。



①豪徳寺駅
・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、小田急線の全線同時開業時に豪徳寺駅も開業した。 今年で米寿を迎える駅だ!、、、、、、私が小田急線を利用し川崎市生田の明大工学部に通っていた昭和40年代、小田急線は複線で、路線の大半は地上を走っていた。 しかし豪徳寺駅付近では、東急世田谷線(当時は玉川線)と交差するため盛土と高架で越えていた。 当時の豪徳寺駅ホームからは、東急世田谷線が見えた、駅舎は高架下北側にあり、道路からは数段の階段を上った高台に改札口があった。、、、、、、その後、平成6年(1994)から世田谷代田~喜多見間の複々線化工事が始まり、平成14年(2002)に梅ヶ丘~豪徳寺間の高架化完成により工事は完了した。(なお現在は来年度の完成をめざし、代々木上原~梅ヶ丘間の複々線化工事実施中。)

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東急世田谷線
・・・・・・・・・・小田急線豪徳寺駅の西隣に、世田谷線山下駅がある。 両駅は接続駅であるが、名称は異なっている。 豪徳寺の寺までは線路沿いを歩いていく。 カラフルな路面電車が通り過ぎていく、、、、、見てワクワク、乗ってワイワイ、話してニコニコ、楽しい世田谷線。

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③豪徳寺
・・・・・・・・・・・豪徳寺(ごうとくじ)は曹洞宗の寺院で、文明12年(1480年、=室町時代)に世田谷城主吉良政忠が、伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられている。 寛永10年(1633、=江戸時代初期)世田谷領が彦根藩領となり、豪徳寺が井伊家の菩提寺となった。 でかくて、静かな、いい寺だが、『チョイと団子で、休憩!』できるような“門前の茶屋”がないので寂しいね!

・・・・・・・・・・・・・参道・・・・・・・・・・大きな松が重なりトンネルをつくり迎える、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・山門・・・・・・・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・仏殿・・・・・・・・・・・延宝5年(1677)に完成した黄檗様式(中華風の木組み、屋根の先の形式、丸窓、中華式の瓦などを用いた建築様式)の建物。  内部には、阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来の三世を象徴する仏像が祀られている。 

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・・・・・・・・・・・・・・本堂・・・・・・・・・江戸時代に建てられた本堂は関東大震災によって焼失し、現本堂は昭和42年(1967)に鉄筋コンクリート造で建てられた。  本尊は釈迦如来である。

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・・・・・・・・・・・・・・鐘楼・・・・・・・・・・・鐘は延宝7年(1679、=江戸時代初期)の鋳造。

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・・・・・・・・・・・・・・三重塔・・・・・・・・・・・・平成18年(2006)に完成した、木造の三重塔。、、、、、今時のご時世、木造で建てるとは、余裕だね! いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・招福猫児(まねぎねこ)・・・・・・・・・・・・豪徳寺は招き猫発祥の地と言われている。、、、、井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという。、、、、、、招福殿の周りは、招き猫で満員状態!

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・・・・・・・・・・・・・・彦根藩主井伊家墓所・・・・・・・・・井伊家は、遠江国の武将で、戦国時代には今川の配下にあった。 初代井伊直政は十五歳で家康に仕え、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦においては、自ら先鋒を務め東軍の勝利に貢献した。 合戦後、直政は近江十八万石を与えられ初代藩主となった。 以後、井伊家は幕末まで家格は堅持され、寛永10年(1633)頃には、世田谷が井伊家の所領となった。 これを機に、領内の弘徳院(後に豪徳寺となる)が普提寺となった。 豪徳寺には、江戸で亡くなった藩主や家族が葬られた。 豪徳寺の墓地の一画に囲われたエリアがあり、ここには、藩主・家族だけではなく、藩士とその家族なども葬られ、井伊家関係者の墓石300基以上が建てられている。 凄い、壮観である!

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・・・・・・・・・・・・・・「花の生涯」の大老:井伊直弼の墓もある。、、、、、尾上松緑、淡島千景の大河ドラマを思い出すね!

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④国士舘大学
・・・・・・・・・・『国士舘大学』と言われると、スグに、『柔道』を連想してしまう。 学校の所在地、学部などは、とんと思い出せず、、、、私には、どこにあるか知らなかった。 豪徳寺の東:世田谷区梅丘4丁目にありました。、、、、なんだ、こんなところにあったのか!

・・・・・・・・・・・・・・梅ヶ丘校舎・・・・・・・・・・・本館はこの建物の南側にあるらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・梅ヶ丘駅から大学へ向かう学生。

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⑤梅ヶ丘駅
・・・・・・・・・・・・昭和9年(1934)に、東京山手急行電鉄(未成線)と接続する計画で設けられた駅。 現在は、高架駅で国士舘大学・高校の最寄駅として、学生が目立つ駅である。

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