浅草橋~京橋
我が家(浅草橋)から、人形町、兜町、日本橋を抜け京橋まで、1万歩、8kmの散歩です。
①浜町センタービル・・・・・・・・・中央区日本橋浜町に、平成5年(1993)に竣工した複合ビル。 設計は竹中工務店、施工は竹中工務店+清水建設のJV、地上18階/地下2階建。 この建物には、1~6階に明治座が入居し、7階以上にはオフィスとして複数の企業が入居している。・・・・・・・・・明治座の歴史は、明治6年(1873)の喜昇座の開場に始まる。 明治13年(1880)には、前年久松座と改称した劇場を火災で焼失し、明治18年(1885)に千歳座と改称し新築開場した。 しかし不運にも、明治23年(1890)に再び火災で焼失し、再建する。 明治座と改称した劇場も、大正12年(1923)の関東大震災で焼失。 またまた新築するが、昭和20年(1945)の東京大空襲でも焼失し、戦後に再建した劇場も昭和32年(1957)漏電で焼失。 そして、平成2年(1990)、前劇場は老朽化で閉め、現在の劇場に変わった。 長い劇場の歴史だが、火災の歴史でもある。
・・・・・・・・・・・・・私が記憶している、なまこ壁の外壁デザインによる戦後の明治座。(明治座hpより)
②明治観音堂・・・・・・・・・・・・・明治座正面道路の緑地に小さな観音堂がある。 明治観音堂建立の由来には「本堂は昭和20年3月10日の戦災に依り、死没せる幾多の霊の冥福を祈るため建立す 昭和25年12月 発願主 新田新作」と記されている。、、、、、新田新作(にったしんさく)とは?、、、、、、明治37年(1904)に福井県で生まれ、昭和31年(1956)に没した、国粋会系「新田組」組長・新田建設社長である。 昭和25年(1950)東京大空襲で焼失した明治座を復興し社長となった。 プロレスの力道山の後援者でもある。 昭和28年(1953)には、力道山らと日本プロレスリング協会を設立し理事長となる。 昭和29年(1954)頃、横井英樹の白木屋乗っ取り劇の調停にも活躍した。・・・・・・・・・きっと、戦後の歴史の裏を知っていた人だ!
③壽堂京菓子司・・・・・・・・・・・・窓まわりの紅色、2階の上にチョコンと乗った3階、特徴ある木造建築は、創業明治17年(1884)の人形町の老舗和菓子屋「壽堂」。 建物の詳細は不明。 店の看板商品「黄金芋」はさつま芋を模した形の黄身餡ニの饅頭に、ニッキがふりかけられた逸品である。
④鎧橋・・・・・・・・・・・・・日本橋川に架かり、小網町と兜町を結ぶ、全長56.7mの3径間鋼製ゲルバー桁橋の鎧橋(よろい ばし)。 昭和32年(1957)の竣工。 鎧橋が最初に架けられたのは明治5年(1872)、三井家など当時の豪商が自費で木橋を架けた。 その後、明治21年(1888)に、鉄骨製のトラス橋に架け替えられた。 現橋は、昭和32年(1957)に旧橋の老朽化に伴なって架け替えられたものである。 兜町(かぶとちょう)にあって、鎧橋(よろいばし)とはこれ如何に?、、、、、「鎧橋」 の橋名は、平安時代からこの場所にあったといわれる「鎧の渡し」にちなみ、名付けられた。 「兜町」の町名の由来は、源頼義が東征凱旋の時、兜を埋め納めたという伝説が残っており。 その「印の石」といわれる石が兜神社境内に残っている。 この「兜塚」にちなみ名付けられた。
⑤東京証券取引所・・・・・・・・・兜町のシンボル東京証券取引所は、旧ビルの跡地に、昭和63年(1988)に建てられた。 地上15階(高さ:70m)で、低層部は花崗岩の外装で重厚感がある。 設計は三菱地所、施工は大成建設+竹中工務店+清水建設+大林組のJⅤ。、、、、、、、ここいらで、「兜と鎧 わが身、守もるは どちらが大事 今や武具より 株価なり」
⑥山二証券・・・・・・・・・・東京証券取引所の脇道に建つ、西村好時設計のビル。 昭和11年(1936)竣工、施工は清水組、鉄筋コンクリート造り3階建て。 外壁は、1階部分が石貼り、上層部はタイル貼りの仕上げ。 屋根はスペイン瓦を用い、丸窓や飾りのあるアーチ窓、煙突、、、、、スパニッシュ風の印象的なビル。
⑦フィリップ証券・・・・・・・・・・・・山二証券の隣りに、フィリップ証券(旧成瀬証券)のビルがある。 こちらも西村好時の設計で、昭和10年(1935)に清水組の施工で完成した。 白い石の飾り柱に挟まれた、黒い窓枠の部分が特徴的だ。
⑧兜神社・・・・・・・・・兜(かぶと)神社は、兜町に東京株式取引所が設けられるに当り、明治11年(1878)に取引所関係者が鎮守として造営した。 神社は何度か移転し、昭和2年(1927)に現在地に移った。さらに、昭和44年(1969)には、頭上の首都高の建設により社殿を取り壊し、昭和46年(1971)に現在の鉄筋コンクリート造りの社殿となった。・・・・・・・・境内に安置されている兜岩は、前九年の役(1050)に源義家が東征にあたり、この岩に願を懸けて戦勝を祈願したと伝えられている。
⑨日本橋ダイヤビルディング・・・・・・・・・・・江戸橋の際に建つ地上18階、地下1階のビルは、「旧三菱倉庫江戸橋倉庫」の外壁を残し、高層部と内部を新たに造ったオフィスビルである。 設計:三菱地所、施工:竹中工務店、着工:平成23年(2011)、竣工:平成26年(2014)
⑩野村証券本店・・・・・・・・・・・・日本橋の脇に、川に添って建つ大きなビルが、昭和5年(1930)に、安井武雄(1884~1955)の設計で竣工した野村證券本店。 タイルの茶色と石の白色とが、シンプルながら新しさを感じさせるデザインです。コーナー部の丸みもいいですね。
⑪日本橋御幸ビル・・・・・・・・・・・野村証券ビル前の、レンガ色のシャープな建物は旧村井銀行の跡地に建つ「日本橋御幸ビル」。 昭和50年(1975)、日建設計の設計により竣工した。 このビルの1階に、かつての村井銀行の建物の一部が嵌め込まれ保存されている。
⑫東京搬送機・・・・・・・・・・・・こちらは京橋のレトロな建物、昭和初期の建築だ。 1階は喫茶店で、2階から上は、エレベーター、エスカレーター、コンベアなど運搬用器具、機械の会社であったが、今日、前を通ると空き家となっていた。、、、、、、、耐震化に対応するため建て替えるようだ。 また、昭和が一つ消える、残念!