水道橋~浅草橋
午前中は去年手術した病院でその後の経過検査を行い、午後は後楽園のクリニックで定期検査、ともに異常なしで、良好であるとの診たて、ヨシ、ヨシ。 結果良ければ言うことなし、気分よく歩いて帰ろう、、、、、と、言うことで、水道橋から我が家(浅草橋)まで、1万歩、7㎞の歩きです。
①水道橋交差点・・・・・・・・・・・・50年間、通勤通学で見続けてきた交差点である。 写真右端の東京歯科大学、中央の東洋高等学校、左端の都立工芸高校、、、、どの学校も、昭和から平成にかけて、みな建て替えられた。 “昭和”の面影が薄れた交差点だ。
・・・・・・・・・・・・・・都立工芸高校の裏には水道橋金刀比羅神社がある。
・・・・・・・・・・・・・・工芸高校の裏を東に行くと、坂の上に丸橋忠弥の槍の道場があった忠弥坂がある。
・・・・・・・・・・・・・・今は、坂の上には、4人に1人が東大に合格している女子中高一貫校の桜蔭学園がある。 学園本館の建物は、昭和6年(1931)に大林組の設計・施工で建てられた。スパニッシュ様式の建物。・・・・・・・・東大工学部建築学科を卒業したタレントの菊川怜もここの卒業生。、、、、、、ここで「怜は東大 私は明治 同じ学科で 差がついた」
・・・・・・・・・・・・・桜蔭学園の東には、関東大震災復興小学校の一つ「旧元町小学校」、復興公園「元町公園」、「昭和第一高等学校」など、歴史ある建物が残っている。
・・・・・・・・・・・・・歴史ある建物の一つ、昭和初期の建築と思われる旧都教育庁お茶の水庁舎。 現在はトウキョウワンダーサイトとして芸術家支援施設になっている。
③湯島御霊社・・・・・・・・・昔々の遥か昔、祟りや災いを避けるため、死者の霊魂の働きを鎮めるための祭りである御霊鎮祭が各地で盛んに行われた。 奈良時代から平安時代(710-1192)にかけては都を中心にさらに盛んになり、湯島御霊社(文京区湯島2丁目)もそうした縁起に始まった。 宝永7年(1710)の創建。 社殿は戦災で被災したため、昭和48年(1973)再興した。
④霊雲寺・・・・・・・・・・・・・・湯島2丁目に真言宗霊雲寺派総本山の霊雲寺(れいうんじ)。がある。 元禄4年(1691)徳川幕府の永代祈願所として、江戸城から見て鬼門にあたる北東の当地に創建された。 元禄6年には寺領100石の朱印状を拝領、また塔頭7ヶ院、末寺46ヶ寺を擁していた真言律宗の本山であった。 現在の霊雲寺は、関東大震災、第二次世界大戦の戦災で堂宇を焼失し、昭和51年(1976)に鉄筋コンクリート造で再建したものである。 広い境内に堂々と建つ本堂は、私にはチョイと威圧的に感じるのだが、、、、、
⑤Once Upon A Time・・・・・・・・・・台東区上野1丁目にある、明治初期の煉瓦蔵を利用した、クラシックバー。
⑥燕湯 ・・・・・・・・・上野3丁目(上野松坂屋の南側)にある、昭和25年(1950)に建てられた銭湯。 国の登録有形文化財。 私が幼き頃、度々、連れて行かれた、白湯(薬湯)で有名な銭湯だ!
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