八広
夕飯前の散歩で、京成押上線の八広駅から押上駅まで、1万1千歩、8kmの歩きです。
①八広駅 ・・・・・・・・・・・・大正12年(1923)に開業、平成6年(1994)には駅名を「荒川」から「八広」に改称した。 平成4年(1992)~平成11年(1999)にかけ、高架化工事が行われ、高架駅となったが、いまだに商店街・コンビニもない寂しいい駅だ。
・・・・・・・・・・・・・ホーム端から荒川の方向を望むと、押上線荒川橋梁 がすぐ近くに、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・只今、15時半、、、、、ホームに数人、改札は0、駅出入口の階段を下りて来たのは4人だけ、、、、、
②日枝神社・・・・・・・・・・・・墨田区八広6丁目、荒川土手際に日枝神社がある。 慶長19年(1614)に鎮座し、この辺りを開墾した元木之下村の氏神様である。 境内には、摂社として木下稲荷神社が祀られている。 社殿は鉄筋コンクリート造。
③ノコギリ屋根の工場・・・・・・・・・・・八広6丁目のエボナイト製造所の工場です。 トタン貼りの工場、ノコギリ屋根、工場の妻に割り菱の家紋、、、、、懐かしさが漂う工場の建物だ!
・・・・・・・・・・・・・八広駅近くの交差点、何か発見できそうな裏道があった。 早速、歩いてみた、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・お~、何かあるぞ! 「八広庚申塔」と記されていた。、、、、、右に観音菩薩、中央に庚申塔、左に地蔵菩薩が祀られている。 全て、江戸時代のものである。
・・・・・・・・・・・・・・私のビックリは、この後、、、、、なんじゃ、誰じゃ、観音菩薩に麦わら帽子をかぶせたやつは!、、、、次のビックリは、、、どこの誰じゃ、割烹着を再利用したのは、、、、頭のいいやつがいたもんだ、、、、地蔵菩薩と庚申塔は割烹着の両端部分、観音菩薩は前垂れ部分に紐をつけたようだ。 感心したね!
⑤八広の東郷元帥・・・・・・・・・・東郷元帥が明治38年(1905)に日本海海戦でバルチック艦隊を撃破した翌年に、その強さにあやかり命名された“東郷ハガネ”が生まれた。 看板は“東郷ハガネ”を取り扱う代理店に、発売元の日本橋「河合商店」(現:カワイスチール&カワイスチールホールディング)から与えられたそうだ。、、、、、知る人ぞ知る、懐かしの看板である。
⑥京成押上線(押上~八広間)連続立体交差事業 ・・・・・・・・・・上り線は平成25年(2013)に高架化された。 下り線は、まだ高架化されていないが、高架橋の土木工事はほぼ終わっており、只今は軌道工事・架線工事・駅舎建築工事などが実施されている。 まもなく、下り線も高架に切り替えられる予定である。、、、、地上を走る押上線が遠からず消え、踏切も無くなり、下町の景色も変わってしまうのは残念無念、珍念だ!
⑦消えた向島駅の南龍館・・・・・・・・・・・・・京成押上線の曳舟と八広の間(上の写真の踏切近く)に、かつて「向島」駅があった。 この駅から京成白鬚線が分岐し、玉乃井の方に向かっていた。 白鬚線は大正3年(1914)に開業し、昭和22年(1947)に廃止された。・・・・・・・・・当時は向島駅周辺には映画館「南龍館」、商店街「南竜館商栄会」、ミツワ石鹸の工場などがあり大いに賑わっていたそうだ。 駅周辺は、東京大空襲で焼け野原となり、駅が復活することはなかった。 映画館は昭和30年頃廃業し、商店街は駅も無くなりシャッター通りとなった。 今は、街路灯にその名が残り、商店街は細々と営業中。
⑧三輪里稲荷神社・・・・・・・・・・・・慶長19年(1614)出羽国湯殿山の僧が大畑村(墨田区八広、東墨田の一帯)の総鎮守として羽黒大神の分霊を勧請した。(現;八広3丁目)、、、、通称の「こんにゃく稲荷」と呼ばれ、初午の日に授与される「こんにゃくの護符」を煎じて服用すると、のどや風邪の病に効くと言われている。、、、、煎じて飲むのは勝手だが、医者に行くのを忘れずに!
⑨八広から眺めるスカイツリー・・・・・・・・・雨降り後の曇天、もう一雨降りそうだ。雲行きも怪しいね?