板橋~西巣鴨
板橋駅で下車し、毎度のことだが、「さて、どっちへ歩くか?」、、、、、中山道の方向に歩いてみるか、、、、板橋3丁目で方向感覚を失い、、、、もとの板橋駅近くに戻ってしまった、、、、、結局、西巣鴨まで歩いて、1万1千歩、8kmの散歩です。
①板橋駅 ・・・・・・・・・・・日本鉄道の駅として、明治18年(1885)に開業した歴史ある駅。 1面2線の地上駅。・・・・・・・・・・西口(板橋口)は板橋区、東口(滝野川口)は北区、そしてホームの池袋寄りは豊島区にある。 豊島区のホームに降り、北区のトイレに入り、板橋区の改札から出ることができる、面白い駅である。
・・・・・・・・・・・・・・私は豊島区で下車する。 出口は、はるか先、ホームの反対側の端にある。
・・・・・・・・・・・・・・かつて、板橋駅では貨物の取り扱いを行っていた。 当時の面影が残る、雑草の生えた貨物引き込み線の跡。 中央のマンションがある位置に、コンクリート工場があり、引き込み線はそこまで伸びていた。
・・・・・・・・・・・・・・ホーム脇には、保線用の車両が止められている。 マルタイは、線路の高さを調整しながら砂利を付き固める車両。 車両はオーストリアのプラッサー&トイラー社から輸入した高価な機械。
・・・・・・・・・・・・・・東口(滝野川口)は北区。 駅の斜向うに近藤勇の墓 がある。
②板橋宿・・・・・・・・・・中山道(写真左の国道17号)の板橋郵便局前から、旧中山道の商店(写真右の商店街)が並んでいる。、、、、、今日は、この商店街の右奥の裏道を歩いてみようと思った。
・・・・・・・・・・・・・・観明寺・・・・・・・・・商店街入口近くにある、真言宗豊山派の観明寺。 暦応元年(1338、=将軍:足利尊氏の時代)の創建。 千葉の成田山新勝寺から不動尊の分身を勧請し、現在は出世不動と呼ばれている。 参道入口にある庚申塔は、寛文元年(1661、=江戸時代初期)に造立されたもので、青面金剛像が彫られたものとしては、都内最古と言われている。
・・・・・・・・・・・・T邸・・・・・・・・・・観明寺の隣り、商店街に面して建つ住宅。 塔のようなものもある独特の姿の住宅。 元は安田貯蓄の建物(明治時代の建築)で、大正元年に買い取り、歯科医院として使用していた。、、、、、、玄関には白く塗りつぶした看板が残っている。
・・・・・・・・・・・・・花の湯・・・・・・・・・・T邸から1軒飛んで隣りに、大型唐破風の銭湯「花の湯」がある。 建物は比較的新しく、昭和42年(1967)に宮大工が建てたそうだ。、、、、、この銭湯の脇を通り抜け、商店街の裏を歩くことに、、、、、、
③板橋3丁目の町・・・・・・・・・・・・・板橋宿の商店街の東側が板橋3丁目である。 この裏通りは、私好みの路地が入り組んで、方向感覚が鈍ってしまった!
・・・・・・・・・・・・・・一雨降りそうな雲行きだが、この道を入ってみよう、、、、、、奥には、戦後の「昭和」の匂いが残っていた!
・・・・・・・・・・・・・柳ビル・・・・・・・・・・3丁目の中程で遭遇したビル。 前を通ると、屋台が目に入った! 床屋さんは営業中だが、両隣は商売していないようだ。 チョイと上を見上げると、手摺はボロボロ、穴もあいてる、ひどい劣化! 住んでいる人も少ないみったいだ! 昭和40年頃の建築か?、、、、、気になる建物が一つ増えた!
・・・・・・・・・・・・・煉瓦塀・・・・・・・・・・板橋3丁目、王子新道のある、この辺りは、加賀藩下屋敷があったところだ。 なにか関連があるのか、それとも宿場町の遊郭か、それとも旧陸軍の関連施設があったのか、想像は尽きないが、立派な煉瓦塀があった。 塀の内側には大きなビルが建っているが、これまた、マンションか、オフィスか、、、、謎の多い、煉瓦塀である。
④圧磨機圧輪記念碑・・・・・・・・・・・板橋3丁目を抜け、加賀1丁目の加賀西公園の隅に、円盤状の石を組み合わせた、石の動輪のようなモニュメントがある。 これは、石神井川の際にあった旧加賀藩下屋敷の一部を陸軍の「砲兵校舎工廠」として、ここで火薬を製造した時の圧磨機の圧輪をそのまま記念碑として転用したものである。、、、、、、“バカでかい碾き臼のようなもので、これで蕎麦を挽いたら、うどん粉になるかも”と、考えるのは私だけ!
⑤漆坊弁財天・・・・・・・・・・板橋4丁目にある六叉路のような交差点のど真中に、ロータリー状の中央に「漆坊弁財天」として、個人によって再興された神社がある。、、、、その由来記には、『此の地三五の原に住んでいました私に、昭和三年の戌夜 与は此処加賀の下屋敷六万五千坪の弁天であるが今は跡形もなくなっている。そなたは此の地に再興せよとのお告げがありましたのでお祀りいたしました。 昭和十年区画整理の行なはれましたとき移転するようにと云われましたが、地主板谷様と話し合いの上 末代まで此の地でこの弁天様をお守りするよう申され今日に至りました。 その後私が屋敷内の草取りをしておりますと、熊手と斧を持った翁が来て、おばさん此の弁天様は漆弁天とあるが漆ボウ弁財天と申すのだ。そのボウは田宮坊来郎の坊である。今後は漆坊弁財天とせよと申され姿が見えなくなりました。 本富に有難い弁天様で幸運及び厄除けの御祈祷を致しています。 先達 岩本 一江』と、記されている。、、、、、、つまり、個人の一軒家がロータリーの中央に鎮座している、珍しい家だ!
⑥埼京線・・・・・・・・・・・・ぐるりと板橋3・4丁目を回り、中山道(国道17号)が埼京線を跨ぐ跨線橋の上に出た。
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・このあと西巣鴨駅まで歩き帰宅。