浦安
地下鉄東西線の葛西駅から西の葛西橋へ向かう予定が、葛西駅前でコロリと気が変わり、東の浦安橋に足が向いた。 結局、葛西駅から浦安駅までの一駅間、1万歩、7㎞の散歩となった。
①葛西駅・・・・・・・・・・・・昭和44年(1969)、東西線の東陽町~西船橋間延伸開業時に、同時開業した駅。 中央に通過線2線がある、2面4線の相対式ホームの高架駅。 高架下には「地下鉄博物館」がある。、、、、、
②自性院・・・・・・・・・・江戸川区東葛西の1丁目と2丁目の境に、複数の社寺が集まっている。 その一つ、真言宗豊山派の自性院(じしょういん)は、覚王山神宮寺と号し、古刹である。 良範法印(文亀元年(1501)没)が中興したと言われている。
・・・・・・・・・・・・・山門前には、寛文8年銘がある「観音菩薩像庚申塔」がある。 中国の道教に由来する三尸(さんし)は、人間の体内にいて、60日ごとの庚申の日の夜に、眠った人の体内から抜け出して天帝に罪過を告げにいく虫と信じられている。 江戸時代の庚申信仰の本尊として悪疫を退治する青面金剛が刻まれているものが多いが、初期には阿弥陀や地蔵、観音なども刻まれていた。
③浦安橋・・・・・・・・・・・・・江戸川区と千葉県浦安市を結ぶ道路橋。 初代の橋は昭和15年(1940)に架けられたが、橋の老朽化と交通量の増大により、昭和53年(1978)に現在の浦安橋に架け替えられた。、、、、、浦安橋が架けられる以前は、近くに「堀江の渡し」と「浦安の渡し」が運行されていた。
・・・・・・・・・・・・・浦安橋から旧江戸川の上流を眺めると、右手に浦安市、左手に中州の妙見島がある。
・・・・・・・・・・・・・・浦安橋の下流側 50m程のところに、かつて「浦安の渡し」の船着き場があった。 その地点から撮った東西線の江戸川第一橋梁。、、、、昭和43年(1968)完成、長さ145mのランガートラス橋。
④境川西水門・・・・・・・・・・江戸川第一橋梁の下流で、旧江戸川から境川が分かれている。 この川は、かつて、漁師町だった浦安の面影を残していたそうだが、今はかすかに残っている程度。 その分岐点(浦安市堀江4・猫実5)に西水門がある。 昭和41年(1966)、西松建設の施工で完成した。、、、、この水門の際に「堀江の渡し」があったそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・境川・・・・・・・・・・・浦安と言えば漁師町、その船を係留した川で、浦安の象徴である境川。、、、、、、昭和40年代まで2000艘近くの船が係留されていたそうだ。
⑤清瀧神社・・・・・・・・・・・清瀧神社は御祭神に大綿積神(海の神)を祀っり、浦安市堀江に鎮座する神社。 建久4年(1196、=鎌倉時代)の創建。 清瀧神社の本殿は、安政2年(1855)に造営されたもので、棟梁の肥前松五郎が手掛けたそうだ。 ちなみに拝殿は明治29年(1896)の建立である。、、、、、神社も夏越の大祓いの準備で忙しそうだ!
⑥堀江水準原標石・・・・・・・・・・清瀧神社境内にある「堀江水準標石」は日本最古の水準標石で、近代水準測量の出発点とされています。 土木学会が定める「土木遺産」に認定されている。、、、、、、堀江水準原標石は40㎝ぐらいの方形の中央に10㎝程の正方形の突起が出ている基準石で、境内の隅に囲われ雑草に埋もれて鎮座している。、、、、、明治5年内務省の招聘でオランダ人技師リンドが江戸川を測量するに当たり、水準(高さ)の基準をここに設けた。 これが、近代水準測量のはじまりである。、、、、、、現在の水準測量は、日本水準原点 、霊岸島量水標 、油壺験潮場を基にして決定している。
⑦宝城院・・・・・・・・・・・・・清瀧神社の隣に、真言宗豊山派の宝城院がある。
・・・・・・・・・・・・・境内の案内板によると、庚申塔は、高さ1.18mで、青面金剛が邪鬼を踏みつけて立ち、足下には、三猿と四夜叉を配し、両側に日月、雌雄の鶏と童子を配した、庚申塔の典型ともいえる貴重なものらしい。
・・・・・・・・・・・・・格子戸越しに、庚申塔を拝見し、“さて、旅立つか!”と思ったら、ちょうどお寺に来ていた電機屋さんが、『おびんずる、を見て行きなさい。 私が寺に話してあげますから、、、』と、言うことで、本堂に安置されている「おびんずる」を見て来た。 江戸時代後期の文政7年(1824)、大仏師西山浄慶・西山清八によって作られたもの。・・・・・・・・「おびんずる」とは、お釈迦さまの弟子である十六羅漢の一人で「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」のこと。 日本では、本堂の外陣に安置し、一般の人が直接触れて参拝することができるようにしているところが多い。 参拝人は、治したい患部と同じところを撫でて回復を祈願すると、病が治ると信じられ、「撫で仏」とも言われている。 天神様の「撫で牛」と同じ発想である。、、、、、私の場合は、全身を撫で、ライザップに行ったように、筋肉質のテカテカノ身体にしたいね。
⑧旧宇田川家住宅・・・・・・・・・・・・・・宝城院の後、近くの商家「旧宇田川家住宅」を、見ていくようにすすめられたので、こちらも拝見。・・・・・・・・・・・・明治2年(1869)に葛飾県葛飾郡堀江村(現在地)に建てられたもので、道路に面した店舗部分と裏の住宅部分からなり、「藤村屋」と称して、米屋・呉服屋・雑貨屋・油屋などの商家(現在のスパー)として使われた。 幕末から明治に至る江戸近郊の町家の形をよく伝えており、商家遺構の少ない関東地方では特に貴重な建物であることから、浦安市の有形文化財として公開されている。
⑨旧大塚家住宅・・・・・・・・・・・旧宇田川家住宅を案内してくれた、50歳ぐらいのお嬢さんが、近くの路地を入った川べりの「旧大塚家住宅」も、ぜひ見て行っての御言葉を頂戴し、こちらも拝見することにした。・・・・・・・・・旧大塚家は、境川に面して建つ漁業と農業を営んでいた、浦安では比較的大きな規模の住宅。 木造平屋建、寄棟造、茅葺の建物は江戸時代末期と推定されている。 間取りは中央に板敷きの大きな居間があり、境川側に土間がある。 また、屋根裏の2階には、度重なる洪水の際に家財道具などをしまう物置としての工夫がなされている。
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・拝見が終わり、イザ帰るか、、、、案内してくれたお嬢さんが、『近くに古い商家(旧宇田川家)があるので、帰りに寄ってみてください。』の一言、、、、、アレレ、また振出しに戻るのか?、、、、、でも、皆さんよく声を掛けてくれ、感謝してます、ありがとう!
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は浦安の観光地巡りになったようだ! ちかくで、「焼き蛤」を土産に買ってきた。
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