水道橋~茗荷谷
今日は循環器内科の定期検診日、水道橋のクリニックで診察を受けた後、いつものように裏通りを歩いて茗荷谷まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
①日中友好会館・・・・・・・・・・・・私が受診しているクリニックの北側に、名勝「後楽園 」がある。 その後楽園の入場門の隣りに、「日中友好会館」が建っている。 なんとなく名前には違和感を感じる人もいるかも知れないが、、、、、、昭和63年(1988)に竣工、日中国交正常化 10周年を期して、両国の共同事業として建てられた建物。 本館は、オフィス、ホール、ホテルなどで使用し、別館は「日中学院」という教育施設と寮となっている。、、、、会館が建つこの敷地には、知る人ぞ知る、かつて日本共産党が入居していた「善隣学生会館」と称する建物があった。・・・・・・・・・私がかつて勤めていたゼネコンがこのビルを建てた。 また、私が転職したIT企業のオフィスはこのビルの斜め前にあった。 私とは、赤い糸(中国だから“赤”)でつながっている建物のようだ。
・・・・・・・・・・・・・・内部には、私が昼食を食べていた中国レストランもある。
・・・・・・・・・・・・・今日は、1階の美術館で「中国漫画展」が開かれていたのでチョイと拝見。
②丸ノ内線・・・・・・・・・・・・・昭和29年(1954)、茗荷谷~後楽園間を含む、丸ノ内線の池袋~御茶ノ水間が開業した。 開業した時は、私が8歳の頃、なんと古い昔の話である。・・・・・・・・・今日、撮影したポイントは、文京区春日2丁目。
・・・・・・・・・・・・・文京区水道1丁目の方向から路地を入って行くと、丸ノ内線を隠すように長い塀が連なり、先で跨線橋の上に出る。
・・・・・・・・・・・・・・跨線橋から見る丸ノ内線。 ここ、茗荷谷付近では高台を開削し、線路がひかれている。
・・・・・・・・・・・・・・・跨線橋の先は、自転車も通れぬ細い階段となり、最後の10段を上がると、春日通りの竹早高校の前に出る。
③国際仏教学大学院大学 ・・・・・・・・・・・・春日2丁目に建つ、日本で一番小さい大学である。 平成8年(1996)に霊友会の国際仏教学研究所を基礎として設立された、定員20名、5年一貫制の博士課程のみの大学。 傾斜地に建つ大学は、槇総合計画事務所の設計により、竹中工務店の施工で、平成22年(2010)に完成した。
・・・・・・・・・・・・・・この大学の敷地は、徳川幕府最後の将軍:徳川慶喜の終焉の地である。 慶喜は大政奉還後、天皇に対し恭順の意を示し、水戸、駿府にて隠棲したが、明治30年に東京に戻り、明治34年(1901)に、ここ文京区春日に移った。 大正2年(1913)に、この地で享年76歳にて没した。 敷地の奥に慶喜の屋敷跡の大銀杏が残されてる。
④服部坂・・・・・・・・・・・文京区小日向1丁目と2丁目の境に、服部坂(はっとりさか)がある。 坂の上(現:小日向神社)に、江戸時代、服部権太夫が住んでいたことから名付けられた。、、、、服部権太夫とは何者だ?、、、、、徳川家康幕下の旗本、三河の出で、千葉県夷隅郡岩熊村の領主(300石)であったらしい。、、、、、そげーな者、わしゃ、知らんね!
・・・・・・・・・・・・・屋敷があった、小日向神社。
・・・・・・・・・・・・・・坂の上(小日向2-1)には、5000円札の肖像となった新渡戸稲造(文久2年(1862)~昭和8年(1933))の旧居跡がある。 案内板はあるが、建物はない、あるのは関東財務局の名が記された立札と、官舎のような建物の空き家。
⑤小日向3丁目の裏道・・・・・・・・・・・拓殖大学の南側の細い道。 お天道様の下を真っ当に歩けぬ日陰者が、南京豆を食べながら、スーパーのレジ袋を提げて歩く姿が想像される、私好みの道です、、、、、、、、?
⑥拓殖大学・・・・・・・・・・・「拓大ルネサンス事業」として、只今、キャンパスを整備中。・・・・・・・大学発祥の地として、昭和7年(1932)に建設されたA館(拓殖大学本館 )を保存し、昭和30年代から40年代に建設された教室、図書館、研究室などは、取り壊し、再整備が進められている。
・・・・・・・・・・・・・残された本館