西馬込~蒲田
都営浅草線の終着駅:西馬込で下車し、池上本門寺には寄らず東側を回って、京浜東北線蒲田駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。
①西馬込駅・・・・・・・・・昭和43年(1968)、都営1号線(現:浅草線)の終着駅。 朝の通勤時はサラリーマンの始発駅で、ゾクゾク、セカセカ、急ぎ足で駅に吸い込まれていく。
②馬込車両検修場・・・・・・・・・・西馬込駅から南へ300m程行くと、平成12年(2000)に発足した馬込車両検修場がある。 浅草線の車両基地。、、、、、西馬込に来ると、私は、通勤時間帯で、電車が少なくなり線路ばかりの、この基地を見たくなる。 今日もゆっくりと、検修場の中央を横断する「どどめき橋」から拝見!
・・・・・・・・・・・・・E5000形・・・・・・・電車のいない検修場、留守番するのはE5000形電気機関車。 この電気機関車、、、、何に使うと思いきや?、、、、、2両1組で、大江戸線の電車を、検査するためこの基地まで引いてくるのである。 レール幅は浅草線、大江戸線とも、同じ1435㎜であるが、駆動の仕組み、車体の大きさ、パンタグラフも異なってるため、この専用電気機関車で大江戸線の車両を運んでくる。 ちなみに、大江戸線と浅草線は、新橋~大門間に、平成18年(2006)「汐留連絡線」が開通している。、、、、オタクしか知らない謎のトンネル!
・・・・・・・・・・・・・・道々女木橋・・・・・・・・・人読んで“どどめきはし”、検修場構内を横断する跨線橋。 “道々、木の前に女が立っている”、艶めかしく、悩む名前だ! 橋を渡ると、木の陰から美女が手招きし、、、、、、てなこと、想像して、胸はとどろき、心ときめき、狐狸でもいいからと期待すれども何もなし。 ちなみに、「道々女木」とは、かつて耕地であった、池上本門寺の北側の地名である。
.
③本門寺北側の町並・・・・・・・・・・・本門寺北側にチョコット池上1丁目の住宅地がある。 静かな住宅地、本門寺の山を下る坂、塔頭の並ぶ細い道、、、、、、住んでみたい処かも?
④洋館もどきのアパート・・・・・・・・おや! 洋館かな?と、どきっとした建物が池上1丁目にありました。 平成元年(1989)築、木造2階建て、全9戸のアパートだった。
⑤堤方橋・・・・・・・・・・・池上通りが呑川をこえる位置に架かる堤方橋(つつみかたはし)。 平成2年(1990)の竣工。、、、、、橋から、本門寺の山が見える。
⑥都営池上5丁目アパート・・・・・・・・池上5丁目の都営住宅。 昭和44年(1969)から昭和46年(1971)にかけて建設された総戸数211戸の団地。 とこにでもありそうな団地である。、、、、、、ところで、この団地の自治会名は、、、「女塚団地自治会」らしい。 なぜ、アパート名と異なるの? ひょっとしたら、女好きの役員でもいたのか、、、私も気になり、団地内の若いママ二人に聞いてみた、、、『えっ! そうなんですか! 知りませんでした。 でも近くに“おなづか小学校”てありますよ。』、、、、そう、この辺りの旧地名は「女塚」だった、 団地が建つ前の、昭和42年(1967)の住居表示で消滅した地名を使用していたのだ。、、、、いい地名だったね!
⑦蓮沼熊野神社・・・・・・・・・・熊野神社の創建年代は不詳であるが、隣にはもと別当寺で、寛弘年中(1004-11)に創建された蓮華寺がある。 蓮華寺と熊野神社の創建年代は同時期と推定されている。・・・・・・・・祭神は伊邪那岐命で、社は銅葺の権現造、鉄筋コンクリート造、昭和42年(1967)竣工。
・・・・・・・・・・・・・・・鳥居の隣りには、綺麗に手入れされた蓮華寺の山門がある。
・・・・・・・・・・・・・・・手前の熊野神社と屋根が並ぶ蓮華寺
⑧蒲田駅・・・・・・・・・・・明治37年(1904)に東海道本線の蒲田駅として開業し、大正3年(1914)には京浜線(現:京浜東北線)が運行した。 大正時代には、池上電気鉄道線(現:東急池上線)の蒲田~池上間が開通。目黒蒲田電鉄(現:東急多摩川線)の蒲田~沼部間も開通した。・・・・・・・・・西口の駅ビル(現:グランデュオ蒲田)は昭和45年(1970)の竣工で、ちょうどその頃、私も仕事でこの近くで寝泊まりしていた、思いでのある駅だ!、、、、、ホームでは「蒲田行進曲」がチャンチャカチャンチャカと、発車メロディーに送られて、またね~~
« 北新宿1・2丁目 | トップページ | 浦安 »