浅草
朝から雨が降り、今日は家の中でゴロゴロさま。、、、、ところが、午後3時過ぎに雨もやみ、『チョイと、浅草までぶらついてくる』と出てみたが、5時過ぎにはポツリポツリと再び落ちてきた。 7千歩、5㎞のプチ散歩。
①東本願寺 ・・・・・・・・・・地下鉄銀座線の田原町駅と稲荷町駅の中間に、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺がある。 開創は、慶安4年(1651)で、神田明神の近くに建立された。 明暦の大火の後、現在地浅草に移転した。 しかし、関東大震災で本堂が焼失したため、昭和14年(1939)鉄筋コンクリート造の本堂を再建した。 その後空襲で内部を焼失したが、現在の荘厳な内部に改装した。 本尊は、鎌倉時代の木造阿弥陀如来立像。
・・・・・・・・・・・・・・今日は早くも店終いか? 仏壇は閉められていた。
・・・・・・・・・・・・・京都にある東本願寺、西本願寺と、東京の東本願寺(浅草)、築地本願寺の関係は、どうなっているのか調べてみた、ややっこしいよ!、、、、、、まず、西本願寺(京都)は、浄土真宗本願寺派の本山で、正式名は「龍谷山本願寺」。 東本願寺(京都)は、真宗大谷派の本山で、正しくは「真宗本廟」という。、、、、東京の築地本願寺は西本願寺(京都)の別院である。 東本願寺(京都)の東京別院は“浅草”ではなくて、練馬区谷原の「東本願寺真宗会館」である。、、、、、となると、浅草の東本願寺は何なのだ?、、、、、浅草の東本願寺は、かつては真宗大谷派(京都の東本願寺)に属していたが、昭和63年(1988)に真宗大谷派から離脱し、新たに結成された浄土真宗“東”本願寺派の本山となった。 正式名称は「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」である。
②本願寺周辺の建物・・・・・・・・・西浅草2丁目
・・・・・・・・・・・・・・本願寺裏の木造建築。 表通り側に4店舗、裏通り側にも数店舗のバーが入っている、大きな木造建築だ。 2階はアパート形式になっているようだ?
・・・・・・・・・・・・・・染太郎・・・・・・・お好み焼き屋
・・・・・・・・・・・・・・漫才協会・日本喜劇人協会・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・西浅草八幡神社・・・・・・・・・神社は、江戸時代、宇佐八幡宮の神霊分神を勧請して元禄13年(1700)に創建。 明治維新に際して浅草神社の兼務社となった。
②鎮護堂・・・・・・・・・・浅草寺伝法院境内の一隅に祀られている通称「お狸(たぬき)さま」。 火防・盗難除けの守護神として信仰されている。 明治16年(1883)浅草寺中興第17世貫首(かんす)唯我韶舜(ゆいがしょうしゅん)大僧正が、夢告により境内に棲む狸を「鎮護大使者」として、伝法院の守護に祀ったもの。
・・・・・・・・・・・・・・伝法院通りの中程に巽門がある、、、、、今日は水曜日、人出が少ないようだ、シャッターを下している店もある。
・・・・・・・・・・・・・鎮護堂(ちんごどう)は大正2年(1913)の建立。
・・・・・・・・・・・・・・堂の隣りには、昭和54年(1979)建立の水子地蔵尊。、、、、懇ろに手を合わせてきた!
・・・・・・・・・・・・・・「幇間(ほうかん)」とは、男芸者のことである。幇間有志によって、幇間物故者供養のため、昭和38年(1963)に建立された幇間塚。
③外国からのお客様・・・・・・・・・・・外人は足が長く、スタイルがカッコよく、憧れるね!、、、、、短足の私には、羨ましい限りである。、、、、カメラも、ついつい憧れの対象に向いてしまう!