浅草橋~三ノ輪
午前中に台東区の施設で実施している二つの企画展を見なが、我が家(浅草橋)から三ノ輪まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
①須賀神社 ・・・・・・・・・江戸通りに面し、我が家と同じ浅草橋2丁目に鎮座する、古~い神社。 推古天皇9年(601年)の夏、この地に疫病が流行し、郷の人々は病気平癒を、近くの森の牛頭天王を祭った祠に病気平癒を祈り、尽く快気したそうだ。 以来、今日まで、人々により祀られてきた。 推古天皇の時代に浅草橋に神社があったとは、、、、ほんとかいな?
②本法寺・・・・・・・・・・・台東区寿2丁目にある、日蓮宗の長瀧山本法寺。 天正19年(1591)の創建と言われている。 この寺は、落語家の寺で「はなし塚」がある。
・・・・・・・・・・・・・・通りに面した塀には、落語家を中心に、寄席芸人、寄席、放送局、団体名がズラリ!、、、、、とくに、落語家のなつかしい名前があり、顔が浮かんでくるね。
・・・・・・・・・・・・・・本堂と熊谷稲荷、、、、、、正直に言うと、『チョイとオソマツな本堂と稲荷』(失礼しました)、、、、、外見ではなく、中身で勝負!
・・・・・・・・・・・・・境内にある「はなし塚」、、、、、この塚は昭和16年(1941)に建立された、太平洋戦争へ向かう戦時下にあり、各種芸能団体は、演題種目について自粛を強いられていた。 落語界では、演題を甲乙丙丁の四種に分類し、丁種には時局にあわないものとして花柳界、酒、妾に関する噺、廓噺など53種を選び、禁演落語とされた。 この中には名作といわれた「明烏」「五人廻し」等の噺もあり、高座から聴けなくなった。 「はなし塚」は、これら名作と落語界先輩の霊を弔うため、当時の講談落語協会、小咄を作る会、落語講談家一堂、落語定席席主が建立したもので、塚には禁演となった落語の台本等が納められた。 戦後昭和21年(1946)、塚の前で禁演落語復活祭が行われ、それまで納められていたものに替えて、戦時中の台本などが納められた。、、、、、テレビの時代となり、噺の時間も短く、名作をじっくり聴く機会も少なくなったようだ。
③かっぱ橋道具街・・・・・・・・・・・・「かっぱ橋道具街」は、浅草と上野の中間にある南北約800mの商店街(約170店舗で構成されている)。 大正の初めに新堀川という江戸時代に作られた川の両岸に古道具を商う人たちが店を出したことが発祥とされている。 関東大震災後に、新堀側は暗渠化された。 新堀側に架かっていた、菊屋橋、河童橋も無くなり、現在は交差点名として残っている。、、、、、商店街は歴史もあるが、建物は、戦後、ほとんどがビルとなった。
・・・・・・・・・・・・・道具街のシンボル、、、、、道具街入口のコックさん、、、、、中程のかっぱ河太郎の像
・・・・・・・・・・・・・『無いものは無い!』道具街、、、、、買わずとも、見て歩く、楽しさよ
・・・・・・・・・・・・・・京成菊屋橋ビル・・・・・・・・・・・・道具街の中程に位置する低層の共同住宅。 1階には店舗が入りかっぱ橋道具街の賑わいをつくっている。 昭和34年(1959)竣工の1LDKのマンション。
・・・・・・・・・・・・・各店舗では、アーケード下の河童がお出迎え。
④台東区立中央図書館・・・・・・・・・・かっぱ橋道具街の北のはずれに、台東区の中央図書館がある。 そこで、開催していた企画展「百貨店の時代 昭和初期の上野松坂屋」を見て来た。(無料)、、、、、当時の松坂屋を写した絵葉書、新聞広告など、展示されていたが、私の期待していたほどではなかった。 チョイとかっかり!
・・・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)竣工時の上野松坂屋
⑤一葉記念館 ・・・・・・・・・・・台東区の北のはずれ竜泉3丁目には、一葉記念館がある。 ここでは、企画展「樋口一葉が見た町並み 明治の東京風景」が開催されている。 こちらも拝見。、、、、、こちらは有料で、展示内容も入場料に見合い、しっかりしている。、、、、、、当時の住宅・商家など、精巧な模型で紹介され、充分楽しめる内容であった。