芝公園
今日の天気は曇りと聞いて、散歩に出ることとした。 浜松町駅で下車し、芝公園に入ったら、ポツリポツリ、、、、しばらく、木の下で雨宿りしたが、、、、雨脚は、ザアザアに変わり、、、、、散歩は中止とした。 6千歩、5㎞。
①渡邉ビル・・・・・・・・・・・・モノレール浜松町駅の南側に建つ帝冠様式のビル。 昭和6年(1931)に大林組の設計・施工で建てられ、以来84年間、大きな改修もなくレトロな風情を匂わせてきたが、いよいよ今月より、鹿島建設の手で取り壊しとなった。、、、、、、貿易センターが建つ一画の再開発が始まったのだ。、、、、、レトロな外観を活かし保存して欲しかった、残念!
②芝公園・・・・・・・・・・・明治6年(1873)の太政官布達によって、上野、浅草、深川、飛鳥山とともに芝の5ヶ所が、日本最初の公園に指定された。 当初は、増上寺の境内も含まれる、広~い範囲が芝公園であった。 戦後は、増上寺・プリンスホテルなどの敷地は除かれ、環状の公園となった。
・・・・・・・・・・・・・曇り空の下、東京タワーも、増上寺の屋根も見える。 まだ雨粒は落ちてない。
・・・・・・・・・・・・・・芝東照宮・・・・・・・・・「東照宮」といえば、日光、久能山、上野などが有名だが、日本全国には、かつて700社程あった。 その内、130社程が現存しているそうだ。 さらに、その一つが芝公園の中にある。・・・・・・・・・芝東照宮の祭神は、もちろん家康であるが、生前、駿府城にて彫らせた等身の自像である。 元和2年(1616)に家康は逝去し、翌年元和3年(1617)に家康を祀る安国殿が創建された。 明治6年(1873)、安国殿は東照宮と改称し、郷社に列格した。 しかし、昭和20年、国宝であった旧社殿は、戦災でより灰燼と化した。・・・・・・・・現社殿は鉄筋コンクリート造で、昭和44年(1969)に建てられた。 豪華さはなく、規模は小さくなり、普通の神社と変わりない。
・・・・・・・・・・・・・・芝丸山古墳・・・・・・・・・・・芝東照宮の社殿後ろには小高い山があり、これが古墳である。 築造は5世紀中頃過ぎとみられ、墳丘長125mは、都内では最大級の規模の古墳。、、、、、、たしかに古墳だが、高松塚古墳のように貴重な古墳ではないようだ。
・・・・・・・・・・・・・・伊能忠敬測地遺功表・・・・・・・・・・・古墳の頂上には、日本地図を作った伊能忠敬の功績を顕彰した、「伊能忠敬測地遺功表」が建てられている。 遺功表は明治22年(1889)に東京地学協會が、青銅製の角柱型のもので建てられたが、戦時中に失われ、昭和40年(1965)に現在ののものが再建された。、、、、、なぜ、古墳の頂上にあるのか?、、、、伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪であった。 その功績をたたえるため、近くの公園の古墳に建てたらしい。、、、、、高松塚古墳のように貴重な古墳なら、おそらく、古墳の上に建てることは許されなかったと思うね!
●・・・・・・・・・・・・・・・・頂上で写真を撮っていると頭上から、雀の小便のように、雨粒がポタポタと、ヤバそうだ! 急遽下山して、公園の大木の下で雨宿り。
●・・・・・・・・・・・・・・・・公園の中を若い娘が通り抜けて行く。 誰も私に見向きもしない、、、、、、せめて一人ぐらい立ち止まり、『よかったら、傘にお入りください。濡れますよ!』てな言葉をかけて欲しかった。
●・・・・・・・・・・・・・・・雨はより激しくなり、、、、、、♪♪ ドシャ降りの雨の中で わたしは泣いた やさしい人の想い出を つよく抱きしめて ♪♪、、、、、私をつよく抱きしめてくれる、やさしい娘はいないようだ!、、、、散歩は中止、急ぎ帰宅することにした。