上野公園
朝の天気予報では、『本日は34℃』、、、、、今日も熱中症に注意して歩くことにした。
熱中症で倒れても、24時間365日、診察してくれる台東区の総合病院に近い、上野まで歩いてみることにした。 浅草橋の我が家から上野公園まで、1万歩、7㎞の散歩です。、、、、、、念のため、診察券を持参して出発!、、、、、「備えあれば憂いなし、診察券あれば病なし」
①浅草橋3丁目の建物・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りに面して建つモルタル系の看板建築。 2軒長屋で右側の家は数年前に塗装した(白い部分)。 外壁中央に「蔵前橋通 東京日日新聞」と標された道路名標が貼られている。、、、、、、下の写真は2年前に撮影した道路名標。 「東京日日新聞」は昭和17年(1942)まで存在し、翌年からは「毎日新聞」となったので、この建物は戦前から建っていた証だ!
・・・・・・・・・・・・・・こちらも蔵前橋通りに面して建つ6軒長屋。 長屋右端の蕎麦屋は私が小学生の頃、すでに営業していた老舗だ。、、、、、、ちなみに、長屋の左隣に建つ白いビルの7階に、我が家の建て替え工事期間中(20年程前)の半年間、一家全員で暮らしていたマンションだ、懐かしいね。
②徳大寺・・・・・・・・・・・・御徒町アメ横商店街の真ん中で、江戸時代前期に開山した摩利支天を祀る日蓮宗の寺。 (開山したころはアメ横は無かった。 誤解しないように!)、、、、、関東大震災で古い堂宇を焼失し、大正15年(1926)には総欅造りで摩利支天堂が再建された。 しかし摩利支天堂も戦災で焼失し、昭和39年(1964)に現在の伽藍で再建された。
・・・・・・・・・・・・・寺の案内に載せられていた、大正15年に造られた摩利支天堂の全景。
③不忍池のハス・・・・・・・・・・・不忍池のハスは、江戸時代より浮世絵に描かれる名所であった。 しかし、戦時中、食糧不足のため池は埋められ畑となり、戦後になって、池が復活した。、、、、、、戦時中はレンコン畑だったのか? 不忍池のハスは7月中旬から8月中旬が見ごろらしいが、今日はチラリ、ホラリ、ポカリスエットで、2分咲き程度。
・・・・・・・・・・・・・・ハスを撮影するカメラガール、私は可愛いカメラガールを撮影。
・・・・・・・・・・・・・・弁天堂(昭和33年(1958)再建)に手を合わせて行こう!、、、、、寛永年間(1624~44)に創建された不忍池弁天堂は、天海大僧正が琵琶湖竹生島の弁才天を模して建立した。
④五條天神社・花園稲荷神社・・・・・・・・・上野公園にある医薬祖神の五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)は、大己貴命(大国主命)と少彦名命を祭神として、元々は上野忍が岡に祀っられていたが、昭和3年(1928)に花園稲荷神社のある現在地に合祀された。 花園稲荷神社は創建年代不詳ながら、五條天神社が移転してくる以前からこの地にあった。、、、、、、上野公園の山から不忍池に下る途中に鎮座する、静かな神社である。
⑤小松宮彰仁親王銅像・・・・・・・・・・上野公園に建つ『この人、誰?』と聞きたくなる銅像。 主人公の小松宮彰仁親王(こまつのみや あきひとしんのう)は、弘化3年(1846)の生まれで、明治36年(1903)に没した皇族で、陸軍軍人であった。 慶応3年(1867)勅命により22歳で還俗、東伏見宮嘉彰と改称した。 慶応4年(1867)の鳥羽・伏見の戦いに、征東大将軍として参戦。 引き続き、会津征討では越後口の総督となる。 戊辰戦争にも従軍した。 明治10年(1877)には、日本赤十字社の前身である博愛社が創立されると、その総長に就任した。、、、、、、日本史で習った記憶がない人物だ。 歴史の時間、私は寝てたのか?
・・・・・・・・・・・・・学校は夏休み、お父さんは3連休、天気は晴天、、、、、、動物園の正門に向かう人・人・人・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・現在の正門の右:東京都美術館の裏側に上野動物園の旧正門がある。 上野動物園は明治15年(1882)に開園した。 現在残る旧正門は、明治44年(1911)に新家孝正工学博士の設計で建てられた。 正面の4本の柱のデザインは、トスカーナ様式であり鉄扉のデザインも他の柵と比較すると古典的で、重厚な構えである。、、、、、、昭和6年(1931)まで、門は北向きに設置されていたが、昭和8年(1933)に京成電車が公園の下を通り上野まで開通するに伴い、現在の東向きに変更した。 その変更時に切符売り場と門番小屋が増設された。、、、、、、現在は、開かずの門となっている。
⑦旧博物館動物園駅・・・・・・・・・・・・・・・上野動物園旧正門の北側、国立博物館の西端にに、京成電鉄:旧博物館動物園駅の跡がある。 昭和8年(1933)に開業し、平成9年(1997)に営業停止した。 建設時には、上野恩賜公園内に建てるという事で、そのデザインは御前会議にかけられて決定したそうだ。 駅出入口は名前の通り、博物館側と動物園側にあった。 相対式ホーム2面2線を有し、同一位置ではなく、上下線で互い違いにホームが設置されていた。 改札口は上りホーム側に設置されていた。 地上の出入口は、皇室用地だった東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の敷地内に建設されたものと、上野動物園旧正門へ続くものの2か所があった。
・・・・・・・・・・・・・・東京帝室博物館側の改札口は中川俊二設計で、国会議事堂中央部分のような西洋様式の外観が特徴である。 昭和11年完成の国会議事堂よりも建築時期(昭和8年)は古い。 この出入口は、平成9年の営業休止時まで供用されていた。
・・・・・・・・・・・・・・上野動物園旧正門側の出入口は、昭和40年代に現在の動物園正門が開設されたことで駅出入口より遠くなり、人の流れが変わり、まもなく閉鎖された。 閉鎖後は東京都美術館の資材倉庫として利用されているらしい。
⑧旧東京音楽学校本館奏楽堂・・・・・・・・・・・・明治23年(1890)築、東京芸術大学音楽学部の施設であった。 昭和62年(1987)に台東区の手により、上野公園内に移築・保存され、国の重要文化財に指定されています。、、、、、、現在、保存修理のため工事中で閉鎖されている。 平成30年度、リニューアルオープンが予定されている。
⑨旧因幡池田屋敷表門・・・・・・・・・・・・因州池田藩は因幡の国(鳥取県)の大名で高い格式を持っていた。 この表門は最高の格式の門構えで、左右に向唐破風屋根の番所を備えている。 現在は東京国立博物館の敷地内にあるが、当初は丸の内に藩邸があって、その表門として建てられた。 明治以後は東宮御所の正門、さらに高松宮家を経て、現在地に移築保存されている。、、、、、、、この門だけでも、我が家より大きい!
⑩国立科学博物館・・・・・・・・・・・・関東大震災後の昭和6年(1931)に東京科学博物館本館として竣工した。 鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階。設計は文部省、施工は大林組。 車寄せを持つ堂々とした玄関、その玄関を中心に左右対称の外観はスクラッチタイルが貼られ、威厳に満ちている。、、、、、、、、戦時中は陸軍の高射第一師団司令部が置かれていた。・・・・・・・・・今日は、親子連れでの見学が多そうだ!
・・・・・・・・・・・・・博物館入り口前にはD51-231号が展示されている。
⑪上野駅公園口・・・・・・・・・公園口は、その名の通り上野公園に直結する出入口で、震災後の大正12年(1923)から大正14年頃までにできたようだ。 当初は公園口からは電車線のホームにだけ行ける改札口だあった。 今は、博物館、美術館、動物園などの最寄りの出入口として、休日は込み合っている。