浅草橋~水道橋
我が家(浅草橋)から本郷・春日を抜けて水道橋駅まで、1万2千歩、9㎞の散歩です。
①蔵前橋通り・・・・・・・・・・・我が家から蔵前橋通りに出て、西へ向かうことにした。 蔵前橋通りの西端は文京区本郷3丁目のサッカーミュージアム入口交差点だ。 まずは、西端まで歩いてみよう!
・・・・・・・・・・・・・・・散歩のスタート地点:鳥越神社前で蔵前橋通りに出る。
・・・・・・・・・・・・・・・台東一丁目交差点で昭和通りと交差する。
・・・・・・・・・・・・・・続いてJRの練塀橋架道橋の下を抜ける。、、、、、、架道橋上には合計10本の線路が敷かれている。 架道橋の桁は東側(昭和通り側)から、留置線の4線分が平成2年(1990)の施工、縦貫線2線分と京浜東北線南行と山手線外回りの計4線分は昭和4年(1929)の施工、山手線内回りと京浜東北線北行の2線分は大正12年(1923)の関東大震災直後の施工と思われる。、、、、、施工年代の違いは、桁と橋脚の接合部に剛接合/ピン接合の違いとして見ることができる。(チョイと専門的な話でゴメン!)
・・・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りが中央通りと交差する外神田五丁目交差点。、、、、、この交差点の地下には地下鉄銀座線末広町駅がある。 昭和5年(1930)に開業した駅は、2面2線の相対式ホームで、エレベーター、エスカレーターの設置されていない、いまどき珍しい駅である。、、、、、私が小学生になるまでは、下の写真を撮影した場所の近くで育てられた、思い出多い町だ!
・・・・・・・・・・・・・・神田明神の北側で、蔵前橋通りは新妻恋坂を上がる。、、、、、、大正12年(1923)の 関東大震災後の都市計画により、この付近の蔵前橋通りが昭和4年(1929)に完成した。 この蔵前通りの新設によってできた新しい坂は、江戸時代からある妻恋坂に平行しているので、新妻恋坂と名づけられた。
・・・・・・・・・・・・・・妻恋坂を上がり200m程行くと、湯島2丁目と本郷3丁目の境で、蔵前橋通り(写真:左奥の道路)は本郷通り(写真:前面の道路)にぶつかり、これにて終点となる。
②神田明神・・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りから参拝できる「裏参道」がある。 この参道を上ると本殿の裏側に出られるので、散歩がてらチョイと立ち寄ってみた。
・・・・・・・・・・・・・今朝の神社はガラガラ、ゆっくり参拝し、その後はじっくり国の有形文化財を観てください。
・・・・・・・・・・・・・神田明神と言えば、“銭形平次”。 その銭形平次の碑が、子分・がらっ八の小さな碑と共に、明神下を見守る境内に建てられている。 恋女房お静の碑も欲しいね!、、、、、、、昭和41年(1966)から放映された、大川橋蔵の平次と八千草薫(初代)と香山美子(3代目)のお静を思い出すね!、、、、、、舟木一夫が歌う ♪♪ 男だったら 一つにかける かけてもつれた 謎をとく 誰がよんだか 誰がよんだか 銭形平次 花のお江戸は 八百八町 今日も決めての 今日も決めての 銭がとぶ~ ♪♪ もいいね。
③本郷1・2丁目をブラブラ・・・・・・・・・・・蔵前橋通りの西端まで来て、『さて、どこを歩くか?』、、、、、、熟知した町なので、気の向くままに適当に歩いてきた。
・・・・・・・・・・・・・三河稲荷神社、、、、、、徳川家康公が江戸開府のおり、先勝祈願が叶う、自身のお守りとして信仰していた隣松寺(愛知県豊田市)三河稲荷の末社を、天正18年(1590)江戸吹上に建立した。 明治23年(1890)、現在地に遷座した。
・・・・・・・・・・・・・日本基督教団弓町本郷教会、、、、、、、日本キリスト教団弓町本郷教会は明治19年(1886)に創立された、130年余りの歴史ある教会。 教会の建物は鉄筋コンクリート造地上3階建て、1階は幼稚園、礼拝堂は2~3階、設計者は中村鎮(なかむら まもる、1890~1933)である。、、、、、月2回、教会では生の音楽が奏でられている。 先日、牧師さんに誘われたのだが、私はいまだ中に入ったことがなく残念である。
・・・・・・・・・・・教会の通りに大きなクスノキがある。 樹齢600年以上と言われており、室町時代の頃に誕生したこのクスノキは、現在幹回りは8.5mあり、樹高は20mである。 ジッとこの場で、静かに、人々の生活の移り変わりを見守ってきたらしい。、、、、、、これだけ大きくなると管理も大変そうだね!
・・・・・・・・・・・・・クスノキの前の瀬川ビルの奥には、初代東大工学部長:古市公威の邸宅がある。明治20年(1887)に建てられた数寄屋造りの邸宅が、洗練された苔庭や茶室とコラボし、静寂なる空間に残されている。 現在、古市邸(現:瀬川邸)は登録有形文化財に指定されている。 一般公開はされていない。
・・・・・・・・・・・・・・・“本郷”は修学旅行・合宿・ゼミ旅行など、学生御用達のお宿が多い処だが、そのうちの一つが「朝陽館」。 180名程を収容できる、大きな宿である。、、、、、、最近は、ビジネスホテルなどに宿泊する学校も増え、商売は難しいかもね!
・・・・・・・・・・・・・・朝陽館の脇から壱岐坂下交差点(後楽園遊園地角)に向かう裏通りにある、長さ25m程の階段坂を外記坂(げきさか)という。 坂の標識の説明では、、、、、『江戸切絵図』(嘉永6年尾張屋 清七坂)いよると、坂上北側に内藤外記という旗本の大きな屋敷があり、ゲキサカとある。別名:新坂というが、江戸時代からあった古い坂である。 この坂の一帯は、もと御弓町、その後、弓町と呼ばれ、慶長・元和の頃(1600年ごろ)御弓町の与力同心六組の屋敷がおかれ、的場で弓の稽古が行われた。 明治の頃、石川啄木、斎藤緑雨、内藤鳴雪などの文人が住んだ。
・・・・・・・・・・・・・出世稲荷神社、、、、、、、、本郷1丁目にある小さな稲荷神社。 神社のある地は、春日局の屋敷だったそうだ。 春日局は邸内鎮守として創建し、局が敗軍の将(明智光秀)の娘から大奥の権力者へと出世したことから、出世稲荷と称されている。、、、、、地名の“春日”も局に由来している。
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