皇居の几号水準点
皇居東御苑の写真を拝見して、『そうだ、今日は皇居の几号水準点を見てこよう!』と家を出た。 飯田橋駅から新橋駅まで、1万4千歩、10㎞の散歩です。
几号水準点とは・・・・・・・・・・・・几号(きごう)水準点とは明治7年頃に、水準(高低)測量を行うために設けた基準となる測量点。 水準測量は英国人:マクヴィーンの指導により、英国式の測量法に従って漢字の“不”に似た記号を簡単に動かない石の鳥居・石垣・石碑などに刻印したり、“不”を彫った標石を埋めて水準点とした。 “不”の字の横棒が標高を示す位置となる。 測量の基準点として、鳥居、石碑、石垣などに水準点が彫られ。 この“不”の字の形が、3本足の机に似ていることから、机の意味がある“几”の字により、几号(きごう)水準点と称された。 霊岸島(現:東京中央区)の水位を0.0mとして標高を測った。、、、、、、、明治初期には、内務省が測量を担当していたが、明治17年(1884)に陸軍の陸地測量部がドイツ式の測量方式を採用したため、現行の水準点に変わった。 以後、几号水準手は使用されず、マニアックな人だけが知る、人目につかない産業遺産となった。 東京から東北、神奈川、大阪、京都などに几号水準点は設置された。、、、、、、、東京では約300ヵ所に設置されたらしいが、現存が確認されているは、靖国神社、鳥越神社、湯島天神、ニコライ堂 、一石橋など、約40ヵ所ほどである。
①田安門・・・・・・・・・・九段坂を上り、武道館へ向かうとき、誰もが最初に通過する高麗門に几号水準点がある。 “不”の字を削ったチョイワルがいたようで、3本足の一部がかろうじて残されている。、、、、、、水準点設置時の標高は25.5786mで、mm単位以下まで測り、信じられない精度だ。
・・・・・・・・・・・・・高麗門を入ると、続いて櫓門が控えている。 田安門は桝形門とよばれる形式(外側の高麗門と城内側の櫓門の2つの門でL字型に曲がる城壁を構えた造りになる)の門で、寛永13年(1636)に建てられたらしい。 国の重要文化財。
②竹橋・・・・・・・・・・・元和6年(1620)に造られた江戸城の竹橋門があったところ。 門は撤去され石垣の一部と橋だけが残っている。、、、、、、ここの几号水準点は、10日ほど前に見たので、今日は写真を2枚だけ!
③江戸城天守台跡・・・・・・・・・・・・田安門から北の丸公園を抜けた正面に北桔橋門(きたはねばしもん)がある。 ここから、東御苑に入るとスグ目の前に江戸城天守台跡が見える。 この石垣にも几号水準点が彫られている。
・・・・・・・・・・・・・・北桔橋門と平川濠・・・・・・・・・・江戸城天守閣の北側、本丸大奥から外部に直接通じる門で、江戸城の要所であり、濠を深くして石垣は最も堅固雄大に造られている。 橋は跳ね上げる仕掛けにし、通常は上げられていた。、、、、、、現在は、皇居東御苑 への出入口の一つである。、、、、、、暴れん坊将軍が城下に、お忍びで出かけ、夜遊びしての帰宅は、この門からか?、、、、、、大奥には3000人の奥女中がいたらしい。 羨ましい、一人ぐらい分けて欲しいね!
・・・・・・・・・・・・・天守台跡・・・・・・・・ズバリ本丸の跡地。 ここに几号水準点が彫られている。
・・・・・・・・・・・・・桃華楽堂・・・・・・・・天守台跡の前に、香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦を記念して、昭和41年(1966)に建てられた音楽堂:桃華楽堂がある。 建物の屋根は「テッセン」の花を模し、八角の外壁は華やかな陶片とタイルで彩られています。 陶片には、有田焼・信楽焼などが用いられてる。 設計は今井兼次(1895~1987)、施工は前田建設工業。
④大手門・・・・・・・・・・大手門も田安門と同様に、高麗門と櫓門からなる枡形門となっている。 門は明暦3年(1657)の振袖火事で、天守閣などとともに焼失した高麗門や渡櫓を再建した。、、、、、、几号水準点は高麗門の石垣に彫られている。
・・・・・・・・・・・・・まずは高麗門の几号水準点
⑤桜田門・・・・・・・・・・・・寛永年間(1624~1644)に建てられたが、関東大震災で被災し、復元された。
・・・・・・・・・・・・・・大手門から、爆買ツアー客で賑わう二重橋前を抜けて桜田門へ向かう。
・・・・・・・・・・・・・桜田門も、高麗門と櫓門からなる枡形門となっている。 まずは、警視庁前の高麗門。 御存じ、井伊直弼暗殺の場である。
・・・・・・・・・・・・・・櫓門の内側に几号水準点がある。
●・・・・・・・・・・・・・・・・以上が皇居にて、見ることができる4ヵ所の几号水準点。 皇居の隣り、日比谷公園にも2か所に几号水準点があるので、チョイと“おまけ”に寄ってみた。
①日比谷公園亀石・・・・・・・・・・・・まずは、日比谷交差点に近い心字池の畔にある敷石状の亀石に几号水準点が彫られている。 几号水準点は高さの基準点で、垂直に彫られていなければならないが、この石は水平に置かれた面に彫られている。 この亀石は牛込門にあったもので、当時は、そこで垂直に立っていたものを、移設し、寝かせたようだ。
②日比谷公園烏帽子石・・・・・・・・・・・日比谷公園内にある内幸町交番の後ろに、烏帽子(えぼし)石と呼ばれる石がある。 この石はもともと市ケ谷御門の石垣の中にあったもので、明治時代に道路拡張工事で石塁が壊され、ここに移設し保存されている。、、、、、保存は御門の石としての価値を評価して保存されており、几号水準点が彫られているから保存しているとは思えない。