« 市場町 | トップページ | 秋山~本八幡 »

2015年10月14日 (水)

上中里~田端

J京浜東北線上中里駅から、町屋、南千住方面に出る気持ちで歩き始めた。 都電宮の前停留所あたりで、歩く方向が変わり、散歩の終着地は田端駅となった。 1万2千歩、9㎞。


上中里駅
・・・・・・・・・・・東北新幹線高架橋が並行する、島式ホーム1面2線の地上駅。 昭和8年(1933)の開業。 駅舎はホーム南端から階段を上った滝野川の台地にある。、、、、、、駅は利用客数の少ないことでは、都内23区内のJR駅で、“ワースト○”の称号が与えられる程有名。 

20151014_005_1024x683
20151014_008_1024x654
20151014_012_1024x683


②梶原踏切
・・・・・・・・・・・・・上中里駅の北側にある、宇都宮線+高崎線の踏切。 ここも開かずの踏切として有名。 踏切の横にはエレベーター付きの立派な跨線橋があるのだが、不評のようで、電車が4本通過する10分間に利用した人はなかった。 踏切が下りている間のコミュニケーションも大事な近所付合いだ。、、、、、この光景を見ていた私は閑人のようだね。

20151014_021_1024x683
20151014_017_1024x683

・・・・・・・・・・・・・エレベータの前で待つ人も、跨線橋を利用する気配なし。
20151014_023_683x1024

・・・・・・・・・・・・・左側の2線が宇都宮線+高崎線、右側は車両センター。

20151014_025_1024x683

③川口印刷工業東京支店
・・・・・・・・・・西尾久7丁目で、通りすがりに、チョイと古そうな表現派風の鉄筋コンクリート造の工場を見つけた。 外部を見た感じでは、昭和30年代以前の建築と思われる。 この建物の隣りでは、同社の新しい工場を建築中だ。

20151014_028_1024x683

④都電荒川車庫
・・・・・・・・・・・・荒川車庫は、荒川区西尾久にある都電の車庫で、営業所もある。、、、、、大正2年(1913)、王子電気軌道三ノ輪(現:三ノ輪橋)停留所~飛鳥山下(現:梶原)停留所開業に伴い船方車庫として開設された。 昭和17年(1942)には、東京市内の路面交通事業の統合により市電荒川電車営業所となる。 車庫前の停留所には数分おきに、カラフルな新しい都電が発着し見飽きない。

20151014_074_1024x433

・・・・・・・・・・・・・・・荒川車庫前停留所

20151014_035_1024x683
20151014_057_1024x683

・・・・・・・・・・・・・車庫から本線に入線する三ノ輪橋行き

20151014_044_1024x681
20151014_049_1024x683


・・・・・・・・・・・・・・朝一で、営業運転してきた車両が帰ってきた!

20151014_072_1024x683

⑤西尾久の建物
・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・下見板張りの木造平屋住宅。 同じ間取りと思われる住宅が2軒並んでいた。

20151014_085_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・西尾久8丁目アパートは入居中(After)が1棟、消防検査中が1棟、立ち退き中(Before)が1棟と並んでいる。 

20151014_092_1024x683_2
20151014_090_1024x683
20151014_098_1024x683

・・・・・・・・・・・・・・西尾久8丁目、御影石を敷いた奥には和風住宅が静かに佇む
20151014_132_683x1024

・・・・・・・・・・・・・西尾久8丁目は曲がりくねった裏道が多い、、、、、、下町だ!

20151014_110_1024x683
20151014_128_1024x683
20151014_134_1024x683

⑥尾久八幡神社
・・・・・・・・・・・西尾久3丁目の八幡さま。 創建年代不詳だが、鎌倉時代末期(1312)に、神社周辺の地が鎌倉鶴岡八幡宮に寄進されたそうで、その頃に八幡さまも在ったようだ!

20151014_156_1024x683
20151014_161_1024x683

⑦碩運寺
・・・・・・・・・・・尾久八幡神社前の都電道路をこえると、曹洞宗寺院の碩運寺がある。 碩運寺は、慶長元年(1596)に創建され、大正年間に本所石原町から現在の西尾久2丁目へ移転した。 大正3年(1914)に寺内にラジウム鉱泉が掘られ、寺は温泉の営業を開始した。 都電の開通と相まって、周辺は温泉街として温泉旅館・商店街が形でき賑わうこととなった。 碩運寺は「寺の湯跡」として知られている。、、、、、現在は敷地いっぱいに建物が建ち、どこで温泉を掘ったのか? 

20151014_170_1024x683

・・・・・・・・・・・・・寺の前の道は“すいろみち”と称し、江戸時代、農業用水として石神井川の水を引いて隅田川に注いでいた用水の跡らしい。 寺の前に案内板があった。、、、、、、この案内を読み、“ヨシ、この道を行ってみよう”と、即実行したら田端駅に着いた次第である。、、、、、細い裏道で、特に面白い興味を引くものは無かった。

20151014_174_1024x683

⑧旧瀧野川信用金庫本店
・・・・・・・・・・・“すいろみち”をひたすら道なりに歩き、出たところは北区田端新町。 その角に残る、旧瀧野川信用金庫本店の建物である。、、、、、昭和14年(1939)の戦時体制下、東京市滝野川区の地元有力者は、物資の不足・資金難に喘ぐ中小企業等の要望を受け、相互扶助の精神に則り地元の金融機関として、西ヶ原町に滝野川区信用組合を設立した。 太平洋戦争では、営業拠点の焼失などもあり、存続が危ぶまれたが、が拡大するなか、戦時企業の合同や転廃業、空襲の災禍による営業の拠点の焼失もあり、朝鮮動乱を境に経済復興の兆しも顕著となり、時代の要請を受け昭和26年(1951)滝野川信用金庫(現在ある滝野川信用金庫とは別組織)と改組した。、、、、、、今は無き信用金庫の跡。、、、、、、建物の窓・枠は木製、外壁のリーフレットなどが、時代を語っているが、建築年代は不詳。

20151014_208_1024x683
20151014_204_1024x683

田端駅
・・・・・・・・・・・・・・

20151014_215_1024x683

« 市場町 | トップページ | 秋山~本八幡 »

散歩」カテゴリの記事

建築」カテゴリの記事

北区」カテゴリの記事

荒川区」カテゴリの記事