荻窪~西荻窪
JR中央線荻窪駅から隣の西荻窪駅まで、直線距離で約2kmの駅間を、1万歩、8Kmの散歩です。 同駅間を今年の3月に歩いているが、その時は中央線の南側、今日は北側を歩いてみた。
①荻窪駅西口北側・・・・・・・・・・・明治24年(1891)に甲武鉄道の駅として開業した荻窪駅は、昭和35年(1960)まで東側の南・北出入口しかなかった。 その後西口改札が跨線橋上に造られ、こちらにも南・北の出入口が設置された。、、、、、、今日は西口改札から北側に出た。
・・・・・・・・・・・・・・・駅前はパチンコ屋、居酒屋、ゲームセンターなどが並ぶ裏道。
②荻窪白山神社・・・・・・・・・・駅前のパチンコ屋の並びに鎮座(チン・ジャラジャラ)する神社。 文明年間(1469~1486)に関東管領:上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に加賀の霊峰白山を御神体する神社を祀ったのが始まりである。 旧下荻窪村の鎮守。 現社殿は鉄筋コンクリート造で昭和43年(1968)に建てられた。
③光明院・・・・・・・・・・荻窪駅から環八通りを越えた、中央線北側の線路脇に真言宗豊山派の慈雲山光明院がある。、、、、、、和銅元年(708)行基作の仏像を背負った遊行中の僧が、この地を通りかかったところ急に仏像が重くなり、萩の草堂を作って仏像を安置したのが開創と伝えられている。 この辺には、かつて、萩が鬱蒼と繁っていたそうだ、それ故、光明院も通称「萩寺」と呼ばれ、地名の「荻窪」も萩に由来している。、、、、、現本堂は嘉永3年(1850)に再建され、明治21年(1888)には甲武鉄道建設のため、現在地に移設したそうだ。
④上荻2丁目の建物・・・・・・・・・・・光明院のある杉並区上荻2丁目は住宅街で静かな町である。
・・・・・・・・・・・・・SU邸・・・・・・・・・国の登録有形文化財に指定されている木造の洋館。 屋根は北側を腰折れ屋根とし、外壁は下見板張りで、住宅街の景観に調和した綺麗な建物である。 大正13年(1924)に施主の末光績自身の設計により建てられた。
・・・・・・・・・・・・・・SA邸・・・・・・・・・・SU邸を設計した末光績の設計で、同じ大正13年(1924)の建築と言われている。 木造の洋館風建築。
・・・・・・・・・・・・・・TU邸・・・・・・・・・町の景観に合わせたようなハーフチェンバー風の造りの住宅です。 古い建物ではないようだ。
・・・・・・・・・・・・・・NU邸・・・・・・・・・・私が学生の頃(昭和40年代)に流行したピロティ形式の住宅。 住宅建築の雑誌に載ったような模範的なピロティ住宅。
⑤やはり、住宅地だ!・・・・・・・・・・隣の上荻3丁目では、分譲地に「邸宅地」の文字が、、、、、確かに広い、100坪以上ありそうだ! 買ったら“邸宅”を建てなければならないのか?
⑥西荻北2丁目の住宅・・・・・・・・・・AM邸・・・・・・・上荻の隣り西荻北でも、住宅建築の雑誌に載っていそうな住宅があった。 四角のボックスを四隅に配したような平面の住宅。、、、、、、憎らしいほど軒下の車も似合うね!!
⑦西荻窪駅・・・・・・・・・・・大正11年(1922)に開業し、昭和44年(1969)に高架駅となった。、、、、、、駅の北西に東京女子大があるせいか、やたら女子大生が目につく明るい駅。 私の住む浅草橋にも、女子大が出来ると嬉しいのだが無理だろうな。
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