羽田6丁目
都心側から空港のある空港島に入るには、首都高ができる以前までは、海老取川に架かる弁天橋を渡って入った。 その弁天橋の北側に天空橋が架かっている。 今日の散歩は、この天空橋に近い京浜急行天空橋駅 で下車し、羽田6丁目の路地裏を歩き回って大鳥居駅 まで、1万歩、7㎞です。
①海老取川・・・・・・・・・・海老取川(えびとりかわ)は、多摩川下流の大田区羽田6丁目から分岐して、東岸に空港施設が広がり、西岸は町工場・住宅が密集する工場地帯の間を流れ、途中、新呑川と合流して東京湾に注いでる。
・・・・・・・・・・・・多摩川から分岐する海老取川、、、、、、左側の鳥居は羽田に残る穴守稲荷の大鳥居、、、、、周囲の人だかりは、TVドラマの撮影中、邪魔だ!どいてくれ!
・・・・・・・・・・・・弁天橋・・・・・・・・・・平成16年(2004)に、間組の施工で架け替えられた、空港に発着する乗り合いバスが引っ切りなしに通る、空港への交通の要所。
・・・・・・・・・・・・釣り日和の空の下、のんびり、日曜日を過ごす住民
・・・・・・・・・・・・かつては空港からよく見えた看板の鉄骨、空港は沖合に移転し看板の宣伝効果は無くなった。、、、、すでに歴史遺産(?)となりかけた鉄骨だ!
・・・・・・・・・・・・天空橋・・・・・・・・・地下の天空橋駅から地上に出ると、目の前は雑草の生える空港の空き地。 そして一本の人道橋が架かっている。 この人道橋が、駅名になった「天空橋」。 幅約3m、長さ約74m、鉄道橋梁の中古活用かと思わせる、さび色のガータ橋で、平成5年(1993)に竣工した。
②羽田6丁目の町・・・・・・・・町の北側は弁天橋を通るバス通り、南側は多摩川、東側は海老取川と多摩川の分岐点、西側は“隣の町”。 昔からの漁村らしい光景がチラリチラリと見え、また終戦直後に住みついた住民も多くゴチャゴチャした密集地区でもある。
・・・・・・・・・・・・・チョイと古そうな建物が、、、、漁師さんの家か? 商店か?、、、、当時の商売を想像すると、興味は尽きないね!
・・・・・・・・・・・・・裏道の奥では釣り餌を売る家もある。 知る人ぞのみ知る餌屋さん(?)
・・・・・・・・・・・・・細い裏道が、曲がり、続く、、、、どこへ出るのか楽しみだ!
・・・・・・・・・・・・・大正7年(1918)から行われた多摩川の河川改修工事で築かれたレンガ造りの堤防 。 今はレンガ堤防の外に家が建ち、さらに外側に堤防ができている。
・・・・・・・・・・・・・現在の堤防から、多摩川に架かる大師橋を遠望する。 シャレた斜張橋だ!
・・・・・・・・・・・・・・昭和63年(1988)に造られた、鋼製ローラゲート1門、高さ19.5m、長さ23.5mの羽田水門は、船溜まりをしっかりと守っている。 施工は大成建設。
・・・・・・・・・・・・・・最近、修繕したらしい住宅。 新建材を使用せず、木材を利用して風情を残すとは、いいね! きっと、家主は江戸っ子だ!
・・・・・・・・・・・・・・こちらの路地のさらに奥にも住宅があった。 しかも、勝手口でなく、れっきとした玄関だ。
・・・・・・・・・・・・・おや、あじのある町内会の掲示板だ。 味がありすぎ、しぼり出し過ぎて、チョイとしからびたかな?、、、、10月は定例会・カラオケ大会・資源回収と忙しい。 振り込め詐欺にも、ご用心、ご用心。
・・・・・・・・・・・・・雑誌が顔を出すコンビニ袋をぶら下げて、男一人で戻って帰る路地裏のアパート。 マンガを見たら、たまったパンツの洗濯だ!
・・・・・・・・・・・・・東京湾の鷗が多く、大漁の兆しとしてまつられたことから鷗稲荷神社と名付けられた、創建年代不詳の鷗稲荷神社。 境内の鳥居には、「弘化二年乙巳年三月吉祥日」と刻まれている。 弘化2年(1845)は、12代将軍徳川家慶の時代なり。