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2015年11月

2015年11月29日 (日)

紅葉狩り 散歩は休み

中伊豆方面に夫婦で紅葉狩りに行き、少々、山を歩いてきた。  ちなみに二日間で、3万5千歩、25㎞程歩いてきた。

● 昨日は、天城トンネル、浄蓮の滝、夜の修善寺虹の郷、、、、どこも、紅葉狩りにはチョイと早い紅葉見物となった。

・・・・・・・・・・・・・・新幹線の車窓から富士山がよく見え、妻は満足。

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・・・・・・・・・・・・・伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り、鉄ちゃんの私も満足。

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・・・・・・・・・・・・・・浄蓮の滝では、昨年の手術で肺の呼吸機能が多少低下した私には、道路から滝壺までの下りの長い階段は、“行(息)はよいよい 帰りはしんどい”ものだった。

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・・・・・・・・・・・・・踊り子も歩いた天城峠は、下田街道のダラダラ坂を上り天城トンネル(重要文化財)をめざし歩く。 こちらは、“行(息)はつらい 帰りはホイホイ”

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・・・・・・・・・・・・・宿に着き、夕食前に修善寺虹の郷で、紅葉のライトアップを観て来た。

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● 今日は、お寺の修禅寺、韮山の反射炉、代官屋敷、三島大社と観て周った。

・・・・・・・・・・・・修善寺温泉の中心にある、曹洞宗の修禅寺

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・・・・・・・・・・・・・・韮山反射炉は、「世界遺産」になっただけで、観光バスでドンドンシャラシャラ・ピーシャラシャラと、見物客が押し寄せる観光地に化けた!

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・・・・・・・・・・・・反射炉を造った、韮山の代官:江川英龍の代官屋敷(重要文化財)。 観るべきものも多く広い屋敷跡だが、こちらは観光バスも素通りするようで、落ち着いてゆっくり見学できる。、、、、、、、“世界遺産”vs“重要文化財”、の集客勝負は、“世界遺産”の勝ち! 

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・・・・・・・・・・・・・帰りの電車に乗る前に三嶋大社に寄ってきた。、、、、旧社殿は安政東海地震によってほとんど倒壊し、現:社殿は幕末の慶応4年(1868)に再建されたものである。

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2015年11月27日 (金)

向島・押上

今日は、午後3時過ぎに家を出て、押上駅から向島の料亭街を一周して押上駅まで、9千歩、7㎞、夕暮れ時の散歩です。


①森鴎外旧居跡
・・・・・・・・・・都立本所高校前(墨田区向島3)に「森鴎外旧居跡」の案内板がある。、、、、、森鴎外旧居跡は、台東区池之端のホテル鴎外荘、足立区千住の足立都税事務所、文京区千駄木の森鴎外記念館と都内にも数か所あり、誕生の地津和野には住居が保存されており、留学先のドイツにもあるだろう(私は行ったことがないので?)、アッチャ・コッチャに跡を残す凄い人物だ。 凄い人物の描いた作品で、私が読んだのは「山椒大夫」ぐらいだ、しかもストーリーは忘れたね! 、、、、その凄い人物が、千住に移る前の学生時代の数年間、現在の本所高校の地に住んでいたそうだ。 現在は住んだ痕跡は何も残っておらず案内板がるのみ。

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②向島の料亭
・・・・・・・・・・向島2丁目・5丁目の料亭を、チラリ・ホラリ横目で見て、ジックリ・ドップリ両目で眺め、ヤッパリ・シッカリ勝手に納得し、サッパリ・ポッカリすぐ忘れ、ブラリ・フラリ歩いてきた。、、、、、、お遊びタイムにはチト早く、どこも客を迎える準備中。

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・・・・・・・・・・・・・・大正時代の建物は、国登録の有形文化財

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・・・・・・・・・・・・・・御座敷天婦羅の店も、只今、仕込中、、、、

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・・・・・・・・・・・・・向嶋墨堤組合、、、、、、、向島の見番で、16軒程の料亭に100名をこえる芸妓の手配、料亭の予約、置屋など、花街の統括管理する大本営。 芸妓の育成、お稽古なども行い、日本文化の維持・継承に努める大事な役割も担っている。

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・・・・・・・・・・・・・そろそろ明りに灯が入る、、、、、
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・・・・・・・・・・・・・・隣の和菓子屋さんにも明りが灯る

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③向島の二寺
・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・長命寺、、、、、、、向島5丁目、天台宗の宝寿山遍照院長命寺(ちょうめいじ)。 本尊は阿弥陀如来。、、、、、、“三代将軍家光が鷹狩りを行った際、急に病を催し、ここで休息をとり、境内の井戸水で薬を服用したところ、たちまち快癒したので、長命水の名を捧げられると共に、長命寺と呼ばれるようになった”と、言われている。

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・・・・・・・・・・・・弘福寺、、、、、、、延宝元年(1673)、黄檗宗の僧鉄牛道機の開山、稲葉正則の開基により香積山弘福寺を、現在の向島の地に移して建てられた寺院。 江戸時代には鳥取藩池田氏の菩提寺であった。、、、、、、関東大震災で罹災したが、1933年(昭和8年)に再建された。 本堂は中国の黄檗寺にならって、大明式建築で建てられている。

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④スカイツリー
・・・・・・・・・・

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⑤とうきょうスカイツリー駅 留置線
・・・・・・・・・・・スカイツリーの足下、東武鉄道本社前の留置線でパチリ!

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2015年11月24日 (火)

村田川橋梁

稲毛に行った帰り、チョイと村田川橋梁を見に、内房線浜野駅から八幡宿駅まで歩いてき た。 8千歩、6㎞。


①浜野駅
・・・・・・・・・・千葉駅から内房線に乗り3駅目が浜野駅(はまのえき)である。 ここまでが千葉市で、隣りの八幡宿駅は、市原市となる。、、、、、明治45年(1912)に国鉄木更津線の蘇我駅~姉ヶ崎駅間が開通した時、同時に浜野駅も開業した。 以後、路線名は木更津線→北条線→房総線→房総西線→内房線と変わったが、駅名はそのままだ。、、、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎となっており、改札を出ると東西に出口がある。、、、、、今は209系の普通電車が運転されているが、50年程前は両国駅から気動車に乗り五井駅で下車し、夏の臨海学校に行った想い出の路線だ。

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・・・・・・・・・・・・・駅前商店街、駅前旅館、駅前食堂、などの無い“つまらない駅”だ。 駅前は普通の住宅地で、チョイと歩くと大型トラックの行きかう臨海工業地帯の一部となる。

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②京葉臨海鉄道 千葉貨物駅
・・・・・・・・・・・・JR浜野駅の西側:臨海部にある京葉臨海鉄道の貨物駅である。 1面2線のコンテナホーム、貨車・機関車の検修区が設置されている。、、、、、、構内には部外者は入れないので出入口の前でパチリ!

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③村田川
・・・・・・・・・・・・市原市の北部を流れ東京湾に注ぐ二級河川。 河口近くでは、この川が千葉市と市原市の境となる。
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④村田川橋梁
・・・・・・・・・・・・村田川の最下流に架かる橋で、京葉臨海鉄道村田川橋梁である。 この橋は、明治45年(1912)から昭和33年(1958)まで東海道本線の大井川橋梁に使用されていた。 昭和38年(1963)に村田川橋梁として転用された。 明治期の橋梁の代表格。、、、、、現役の橋梁として利用されているからか、綺麗に整備されていた。、、、、、諸元として、明治44年(1911)アメリカンブリッジ製、橋長:61m:単線、下路曲弦プラットトラス(ピントラス)。

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⑤京葉臨海鉄道
・・・・・・・・・・・・村田川橋梁から、少し線路沿いに歩いてみた、、、、、貨物線は工場の脇を走る

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・・・・・・・・・・・・平成13年(2001)製のKD601ディーゼル機関車が通過

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・・・・・・・・・・・・・反対側からは、平成14年(2002)製のKD602ディーゼル機関車が通過
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⑥飯香岡八幡宮
・・・・・・・・・・八幡宿駅前近くにある神社。 「飯香岡八幡宮」は“いいがおかはちまんぐう”と読む。 白鳳年間(675)、一国一社の八幡宮として勧請されたことに起源し、天平宝字3年(759)、国府八幡宮に定められた。 江戸時代には、家康に所領150石を安堵され、10万石の格式を与えられた。、、、、、、入母屋造、銅板葺の室町時代中期の本殿は国の重要文化財に指定されている。 また、拝殿は千葉県の有形文化財に指定されている。、、、、、広い境内には、境内社、大イチョウ、忠霊塔などもあり、手を合わせ、見てまわると、ケッコウあるね!

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⑦八幡宿駅
・・・・・・・・・・・千葉県市原市にある内房線の駅。 隣りの浜野駅と同じ、明治45年(1912)の開業。、、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。

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2015年11月22日 (日)

船橋~京成西船

JR船橋駅から総武線の北側を歩き、京成西船駅まで、1万1千歩、8Kmの散歩です。


①JR船橋駅
・・・・・・・・・・・・明治27年(1894)に総武鉄道の駅として開業し、明治40年(1907)には鉄道国有法により買収され、国鉄の駅となった。 大正12年(1923)には、北総鉄道(現:東武鉄道野田線)も開業。 昭和45年(1970)に国鉄船橋駅は高架となる。、、、、、現在は、快速・緩行用の島式ホーム2面4線の高架駅。、、、、、、JRの一日当たりの乗車人員は、約135,000人で、千葉県内最大の駅である。 私の住む浅草橋駅は約53,000人で、船橋駅の半分以下である。 悔しいが、負けた!、、、、、今日は、東武船橋の駅ビルがある北口から歩く。

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②2本足の建物
・・・・・・・・・・・・船橋市海神にある住宅です。 鉄骨の柱2本で床を支えています。、、、、、、私には、熟睡できそうもない家だ!

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③京成電鉄海神架道橋
・・・・・・・・・・船橋市海神2丁目と3丁目の境にある架道橋。 この架道橋は京成電気軌道が大正5年(1916)中山~船橋間を開通させたときに造られたものである。、、、、、ちなみに、中山~船橋間(4.3㎞)の延伸工事は大正5年8月に着工し、同年12月30日に開通している。 この区間は丘陵の起伏が激しく、切通し工事、盛土工事と変化にとんでいたが、工期6か月程で完成している。 信じられない早さだ、“おそれ入谷の鬼子母神”。

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・・・・・・・・・・・・・・約170m東京方に寄ったところに、もう一つ煉瓦造の架道橋がある。 おそらく、こちらも同時期に造られたものであろう。

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④海神駅
・・・・・・・・・・・海神山と呼ばれる丘陵に、大正8年(1919)に開業した小さな駅。 相対式ホーム2面2線の地上駅。

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・・・・・・・・・・・・知ってると鉄道オタクになれる知識!、、、、、昭和4年(1929)、この海神駅から総武鉄道野田線(後に東武鉄道に吸収)の船橋駅まで、総武鉄道野田線の線路がひかれ接続していたのだ。昭和9年(1934)に廃線となる。 地図を見ると、海神駅から京成本線の北側を並行し、海神小学校の南側をとおり船橋駅まで一本の道が伸びている(黄色のマーカー部分。 スイッチバックの線形のようだ)、線路敷きの跡が道路に変わったと一目で判る。

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⑤裏道を歩く
・・・・・・・・・・・京成本線の北側:海神5丁目、西船2丁目・3丁目の裏道を歩いて西船駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・まずは、海神駅の西側にある「京成西船6号」踏切をパチリ。、、、、踏切を見ると写真を撮りたくなる悪い癖!

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・・・・・・・・・・・・住宅が並ぶ裏道。 アレ、未舗装だ! 砂利道に懐かしさを感じるね。

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・・・・・・・・・・・・・・オウ、モダンな(チョイと御世辞も入ってるけど)小学校だ! 

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・・・・・・・・・・・・・・今度は鉄塔が!、、、、私も男だ、尖がったもの、巨大なものが好きなのでパチリ。、、、、後で知ったのだが、近くに変電所があるので鉄塔が多かったようだ。

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・・・・・・・・・・・・・JR武蔵野線をこえると、京成本線西船駅は近い。

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⑥宝成寺
・・・・・・・・・・西船駅の近くにある、曹洞宗の寺院。 葛西茂春六郎が創建、領主成瀬之成が中興開基となり、慶安元年(1648)には徳川家光より寺領30石の御朱印状を拝領した。、、、、、徳川家康に仕え、家康の子の義直が尾張徳川家を創設した際、お付家老として後見した成瀬正成が、当所、この地:栗原郷に四千石を与えられた。 その後、犬山城主となり、正成の跡は次男之成が栗原藩を継いだ。 宝成寺は江戸時代の初めに成瀬氏の江戸における菩提所の一つとなった。、、、、、葵の御紋がアッチ・コッチに見られる山門と本堂だが、最近、建てたようだ。

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⑦京成西船駅
・・・・・・・・・・通称は「西船」駅。 大正5年(1916)に葛飾駅として開業し、昭和62年(1987)に京成西船駅に改称した。 西船駅の所在地は東葛飾郡葛飾町(それ以前は葛飾村)であり駅名は「葛飾」であった。 昭和12年(1937)葛飾町は船橋市の一部となり、周辺の町名も「西船」と変わり、駅名も改めた。、、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅。

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2015年11月21日 (土)

大島

亀戸駅から、京葉道路の南側、丸八通り(都道476号)の東側に位置する、江東区大島の裏通りを歩いてきた。 マンションの敷地に入り通行禁止、団地の建物をぐるり一周して元の道に、住宅の路地裏に入り込み行き止まり、、、行ったり来たり、右往左往して、おろおろ、おたおた、1万4千歩、10kmの散歩となった。


①亀戸駅
・・・・・・・・・・・総武鉄道の駅として、明治37年(1904)に開業した。 その一週間後には東武亀戸線の亀戸駅も開業し、総武鉄道の両国橋(現:両国)駅まで乗り入れ、明治43年(1910)まで直通運転されていた。 現在は島式ホーム1面2線の高架駅。、、、、、今日は土曜で通勤客も少ないが、平日は地元のサラリーマンのほかにも、東武線沿線のサラリーマンがココで乗り換えるため、かなり乗降客の多い駅である。 

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②京葉道路
・・・・・・・・・・靖国通りより連続し、浅草橋交差点から京葉道路となり千葉県曽我まで伸びる。 浅草橋交差点から江戸川区一之江までは一般道路で、その先は高速道路となる。 今日は道路も空いている、江東区亀戸6丁目から眺めると、、、、

・・・・・・・・・・・・・西側:都心方向を眺めると、左側に黄色のショッピングモール「サンストリート亀戸」(旧第二精工舎の跡地に建設された)が見える。 この建物の脇を、専用軌道で葛西橋行の都電が走っていた。

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・・・・・・・・・・・・・東側:遠く千葉方面を眺める。 この先で、丸八通りとクロスする。

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・・・・・・・・・・・・・・京葉道路(14号)と丸八通り(都道476号)の交差点。、、、、「丸八通り」とは、元大関:高見山が寄付した道路。 これは嘘で、真相は、明治の頃この付近に丸八と称する御香屋があったことに由来する。

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③カーサ第一亀戸
・・・・・・・・・・「日本のガウディー」と言われる梵寿綱(ぼんじゅこう、ドラード早稲田 LA PORTA IZUMIなどを設計)が、まだ会社勤めの若い頃設計したマンション。、、、、、昭和49年(1974)竣工、中野組施工、鉄骨鉄筋コンクリート、12階建て、、、、、内部は一般のマンションとは変わっていないが、外壁面のオレンジ色のタイルに特徴が出ている。

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④亀戸浅間神社
・・・・・・・・・・亀戸9丁目の亀戸浅間神社は、大永7年(1527、=室町時代)に創建された。 祭神は木花咲耶比売命。、、、、、、現在の本殿は昭和初年(1926)に建立されたものであるが、平成10年(1998)の大島・亀戸・小松川防災再開発事業にともなって、今の位置に移動した。、、、、境内には、富士塚、地蔵、道標、城東電気軌道の線路など多くの文化財が残されている。

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⑤大島7丁目の町
・・・・・・・・・・・「大島」は“おおじま”と読みます、“おおしま”と読んだら伊豆七島です。

・・・・・・・・・・・・・竪川に架かる「新六の橋」と言っても、川は暗渠化し、頭上は首都高だが、橋を渡り大島の町に入る。

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・・・・・・・・・・・・・・表通りは、14階建ての「大島九丁目第二アパート」(平成18年築)などが、壁のように建ち並ぶ。、、、、、気持ちは、“目障りだ!退け!”と叫びたい。

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・・・・・・・・・・・・・表通りを避け、大島7丁目の裏道に入る。、、、、、裏通りは、しっくりくるね!

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・・・・・・・・・・・・・この付近では、道端に消火器が設置されている。 消防車も入りにくい一画もあるので、“備えあれば憂いなし”。

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・・・・・・・・・・・・・裏道を抜けると、またまた大きなアパートが、旧公団が昭和48年(1973)に建てた鉄筋コンクリート造、14階建て、総戸数520戸の大島七丁目団地

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⑥東大島神社
・・・・・・・・・・・昭和20年(1945)の空襲により、東大島地区にあった永平神社・子安神社・小名木神社・北本所牛島神社・南本所牛島神社が焼失した。 戦後、各神社の総代及び有志が5社の合併を決議し、昭和24年(1949)に現在地(大島7)に東大島神社が創立された。 現在の壮麗な社殿は昭和53年(1978)に完成、引き続き儀式殿・社務所も新しく建てられた。、、、、、こちらの神社では、今日も七五三詣でがあるらしく、写真を撮る娘が待機していた。 昔、七五三をやった親爺がチョイトの間、話し相手をして時間潰しのお手伝い。、、、、、明るい可愛い娘だった!

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⑦大島5丁目の町
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・・・・・・・・・・・・・・大島7丁目から、新大橋通りをこえて大島5丁目に入る。

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・・・・・・・・・・・・・・大島中の橋南商店街(大島5・大島8)は、赤い旗が綺麗になびいているが、店舗は少なくチョイと寂しいね!

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・・・・・・・・・・・・・・元気なおばあちゃんは買い出しに、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・・綺麗に並んだ洗濯物

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・・・・・・・・・・・・・・大島5丁目、小名木川の岸に、慶安年間(1648~1651)に創建された、大島稲荷神社がある。 小名木川近くの海辺が度々津波に見舞われて、耕地が荒廃し住民が苦しんだことから、伏見稲荷大社の分霊を奉遷し産土神として奉ったのに始まるそうだ。、、、、、、昭和20年(1945)の空襲で社殿・社務所を全焼したため、社殿は戦後の再建である。
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⑧丸八通り
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・・・・・・・・・・・・・・大島5丁目から亀戸の方を眺める、、、、、車が少ないね!

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・・・・・・・・・・・・・・小名木川をこえる丸八橋を渡る

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・・・・・・・・・・・・・橋の上から眺める小名木川、、、、、真っ直ぐな運河だ!

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・・・・・・・・・・・・・橋をこえると江東区北砂となる。 仙台堀川公園でチョッピリ秋を感じて、、、、、、南砂方向に歩き、帰宅する。

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2015年11月17日 (火)

酉の市

本日は酉の市 (二の酉)、夫婦で浅草鷲神社・長國寺までのミニ散歩です。

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鷲神社では、家内安全・金運招福・開運厄除をお願いし、手を合わせた。 巫女さんには、目を合わせ、笑顔で互いに以心伝心。 熊手のお守りも頂き、なお嬉し。

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今年は三の酉まであり、火事の多い年である、長國寺では江戸火消しの纏に見立てたお守りを受けてきた。

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●・・・・・・・今年は賽銭が少なかったのか、ばちが当たったようだ、カメラの設定間違えてピントが合わず失敗。、、、、、せっかく、可愛い娘・美人の姐さんを撮ったのに!!!、、、、、なんと! 幸か不幸か、妻の顔もボケていた?

2015年11月16日 (月)

東武練馬~高島平

東武東上本線の東武練馬駅から都営三田線の高島平駅まで、1万歩、9㎞の散歩です。


①東武練馬駅
・・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅である。 東上本線の列車は全て10両編成で運行されているからホームも長い。、、、、、ところで、“東上線”と“東上本線”どちらが正解か? 答えは、“東上線”とは、「東上本線」と「生越線」を合わせた総称である。 “東上本線”は、池袋から寄居までの路線を指す。、、、、、東武練馬駅はなに区に属す? 答えは、板橋区。 地図を見れば一目瞭然、駅の南口の前面道路が、板橋区と練馬区の境で、駅施設のすべてはギリギリ板橋区側に属している。、、、、、西武池袋線の「練馬」駅とは乗換可能か? とても無理、練馬区の南端に在るのが「練馬」駅、北端の近くに在るのが「東武練馬」駅、直線で4㎞程離れている。、、、、何かと、クイズのネタになりそうな駅である。、、、、最後に、もう一つ。 東武練馬駅のホーム下を横切るトンネル計画があるのだが御存じか? 計画されているのは道路トンネルで、板橋区側は駅手前まで道路が既にできている、練馬区側は予算がないのか、用地買収も進んでいない。 当分は開通の見込めない、まぼろしのトンネルになりそうだ。

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②中尾観音堂
・・・・・・・・・・・観音堂のあるこの地、現在は板橋区「徳丸」(とくまる)であるが、江戸時代は武蔵国豊島郡徳丸村であった。 その徳丸村の字(あざ)の一つが「中尾」である。 ここに、馬頭観音を本尊とする観音堂がある。 創建は、仏具の奉納記録などから、江戸時代、享保11年(1726)以前にさかのぼるそうだ。、、、、、ところで、御本尊の馬頭観音を拝見できなかったが、写真によると、印相(手の形)はラグビー:五郎丸選手のキック前のスタイルに似ている。

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③昆虫公園
・・・・・・・・・・・徳丸3丁目、「昆虫公園」案内標識が目に入り、温室の中で蝶が乱舞するのを想像し行ってみた。、、、、、町の一画にある、斜面を利用した公園で、緑も茂り、公園内を清掃する人もいたが、一枚の貼り紙を目にして・・・・なんじゃ、もんじゃ、そんじゃ、ダメじゃ、と叫びたい。 『昆虫公園は昭和59年に開設して以来、多くの皆様にご来園いただきましたが、昆虫舎、標本室ともに老朽化が進んだため、平成27年3月31日をもってこれらの施設を閉鎖いたしました・・・・』、、、、、区の予算不足が原因か? 取り壊しが始まった、維持する予算はないが、取り壊す予算はあるようだ。、、、、公園に明りが灯れば、極楽とんぼが夜の蝶を連れてくるかも?

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④起伏の多い徳丸周辺
・・・・・・・・・東武練馬駅は台地の上にあり、北の高島平駅は崖下にあるようだ。 その間に位置する徳丸地区は、大小の坂が多く、一度下ると次は上り、再び下ると再度上り、アップ・ダウンでくたびれれる町だ。

・・・・・・・・・・・・・中尾観音堂前の坂。

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・・・・・・・・・・・・徳丸5丁目と6丁目の境を走る道路。 谷を埋めたような造りだ。 谷底は小川が暗渠となり、道路の交差部には人道が口を開けてる。

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・・・・・・・・・・・・・・徳丸6丁目、北野神社の南側にある、信じられない、長~~い、急な坂。 マンションの玄関を撮った写真で勾配を推測してみて、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・徳丸8丁目、隣りのマンションの6階と同じ高さから一気に下る階段坂。 この階段の先は、板橋区高島平で、公団、都営住宅が建ち並んでいる。

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⑤徳丸北野神社
・・・・・・・・・・徳丸6丁目に鎮座する、創建年代は不詳。 江戸時代には徳丸本村の鎮守社で、明治5年(1878)に村社となった。

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⑥安楽寺
・・・・・・・・・・徳丸8丁目に建つ、真言宗智山派の紅梅山来迎院安楽寺。 創建年代は、尊栄和尚が応永3年(1396)に創建し、徳丸北野神社の別当を務めていたと言われてる。、、、、、、山門の隣りには長屋門もある珍しい寺。 

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⑦旧粕谷家住宅
・・・・・・・・・・・・粕谷家は、江戸時代、徳丸の脇村の名主を務めていた。旧粕谷家は享保11年(1726)以前に、その名主粕谷家から隠居した家に始まると伝えられている。、、、、、、建物は桁行17.17m、梁行10.95mの寄棟造り、茅葺。 建築年代は享保年間に隠居した時に建てられたといわれている。、、、、、建物は現在、区の所有となり、只今補修工事中のようで、今日は外部からパチリ!

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⑧高島平団地
・・・・・・・・・・・昭和47年(1972)から入居が始まった高島平団地は、旧住宅公団の建物だけでも50棟前後はあり、総戸数も1万戸を超える。、、、、、この団地も、築後40年経過し、高齢化問題が表面化している。、、、、、団地の中を歩くと、お年寄りが団地内のスーパーへ、ヨタヨタ歩いて買い物に行く姿が見られた。

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⑨高島平駅
・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)に都営地下鉄6号線の開業に伴い志村駅として開業した。 しかし、駅所在地と駅名が整合せず、クレームがつき、翌年、高島平駅に改称した。 島式ホーム2面4線を有する高架駅。、、、、、駅は、只今、補修工事中。

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2015年11月15日 (日)

四ツ木~京成立石

昼過ぎまで雨が降り、いやな天気。 午後3時を過ぎると、青空が見えたので、チョイと京成押上線の荒川橋梁が見たくなり、四ツ木駅から隣の京成立石駅まで、夕暮れ時の散歩となった。 9千歩、7㎞。

●・・・・・・・・・日曜日、雨上がりの午後の四ツ木駅は客もまばらで静かだ。

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●・・・・・・・・・・荒川土手に上がり、夕日の下の京成押上線荒川橋梁を見て来た。、、、、いいね、画になるね!、、、、、私の右手が芦川いづみの肩にまわり、左手には鯛焼き持って、夕日を見ながら二人で語る鯛の味。 日活映画なみのワンシーン、、、てな妄想をして、日が沈むのを眺めてた。

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●・・・・・・・・・・・四ツ木駅の商店街「マイロード」では、多くの店のシャッターが下りていた。 スズラン型の街路灯がむなしく灯る。、、、、、映画のセットのような“昭和の街”だ!

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●・・・・・・・・・・・マイロードの北、国道6号線沿いの四つ木白髭神社に立ち寄って、家内安全、病気平癒、夫婦円満、不老長寿、ついでに恋愛成就をお願いしてきた。

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●・・・・・・・・・・・そろそろ裏通りは暗くなり、店の明りが暖かく感じる時間となった。

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●・・・・・・・・・・・駅の北側、立石駅通り商店街に出た。 さすがに、駅前商店街は活気ある。
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●・・・・・・・・・・・鳥房の脇の小路を入ると「呑んべ横丁」の明りが灯る。、、、、、営業中は数店のみ、再開発で立ち退いたのか?

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●・・・・・・・・・・駅前の踏切を渡り、南側へ、、、、、踏切前で割引券のチラシを配るはスリランカの人か?

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●・・・・・・・・・・次は、駅の南側、こちらも立石駅通り商店街。 駅・踏切を挟み、南北に伸びる商店街。 

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●・・・・・・・・・・・立石駅通り商店街と並行する立石仲見世の商店街。

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●・・・・・・・・・・・商店街の裏通り、お婆さんが家で待つお爺さんに、たこ焼き買って帰るのかな?

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●・・・・・・・・・・・京成立石駅に戻って、我が家へ帰る。
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2015年11月13日 (金)

東十条~川口元郷

京浜東北線の東十条駅から、新神谷橋、鹿浜橋を渡り、芝川水門をとおり、埼玉高速鉄道の川口元郷駅まで、1万4千歩、10㎞の散歩です。


東十条駅北口
・・・・・・・・・・2つの島式ホームで中線1本を挟む2面3線の地上駅。 改札口はホーム両端の階段上にある、南口、北口の2か所の橋上駅。 北口は改札を出ると橋上で東西に分かれ、西は武蔵野台地の崖上にでる、東は下十条運転区への数本の引込線を越えて東十条商店街にでる。、、、、、昭和6年(1931)、下十条駅として開業。

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・・・・・・・・・・・・・都心に向かう乗客もまばらだが、到着する電車は満員状態。 JR東日本の乗降客数ランキングでは、一日20,000人程で、170位ぐらい。

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・・・・・・・・・・・・・・北口改札脇に構内売店がある。 私の住む浅草橋は、乗降客数約53,000人で88位だが、駅構内には売店・そば屋は無い、負けた!

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・・・・・・・・・・・・・・北口、東十条商店街側の出入口。

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・・・・・・・・・・・・・東十条商店街を駅へ向かうサラリーマン。

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②環七通り
・・・・・・・・・板橋方面からは東十条駅の北側でJRを越え、新神谷橋で隅田川を越えて足立区に入り、鹿浜橋で荒川を越え、西新井、北綾瀬、亀有方面に向かう。

・・・・・・・・・・・・・北区神谷付近の宮堀交差点。 環七通りは神谷陸橋で北本通りを越える。、、、、、、陸橋で通過する車はいいが、歩道橋で横断する年寄りは階段がイヤだね!

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・・・・・・・・・・・・・・隅田川最上流のから2番目の橋:新神谷橋 を渡る。  昭和40年(1965)に開通した橋長153.1mのプレートガーダー橋。

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・・・・・・・・・・・・・・隅田川の上流を望む

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・・・・・・・・・・・・・・環七通りは新神谷橋から足立区に入る

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・・・・・・・・・・・・・・続いて、鹿浜橋を渡り荒川を越える。、、、、、鹿浜橋は昭和40年(1965)に開通、長さ451.3mの橋。

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③都市農業公園
・・・・・・・・・・・・・・鹿浜橋を渡り、荒川の左岸のスーパー堤防上を上流側に300m程歩くと、芝川が荒川に注ぐ河口付近に、田・畑・花壇のある足立区立の都市農業公園がある。 公園は平成7年(1995)に開園し、「自然と遊ぶ、自然に学ぶ、自然共に生きる」をテーマに、農業体験教室、ハーブ教室など植物に関する講習会にも参加し、学ぶことができる。

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・・・・・・・・・・・・・・園内には、江戸時代後期の農家:和井田家旧浅野家長屋門が移築保存されている。、、、、、、、周囲には、田・畑が作られ、タイムスリップできる楽しい処だ!  

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④芝川水門
・・・・・・・・・・・・・都市農業公園とは芝川を挟み対岸に、芝川水門と新芝川排水機場がある。 芝川は埼玉県桶川市から上尾市を経由して川口市へと流れる一級河川で、芝川水門から荒川へ注ぎ込んでいる。、、、、、、写真は、昨年8月に荒川の対岸:北区志茂から撮影した。 水色の水門が芝川水門、左のレンガ色の建物が新芝川排水機場。

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・・・・・・・・・・・・・・芝川水門、、、、、、普段は、新芝川・芝川から荒川に注ぎ込む流れであるが、大雨等による洪水が発生した場合、荒川の水位が高くなり芝川へ逆流してしまう恐れがある。 そこで、造られたのが芝川水門である。、、、、、昭和46年(1971)に大林組の施工で竣工した、高さ13.9m、幅20.0mのゲートが2門備えられた水門。 ゲートの開閉には40分かかるそうだ。、、、、、、、現在、水門は耐震補強工事中、完成は平成29年を予定。 

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・・・・・・・・・・・・・・新芝川排水機場、、、、、、芝川水門を閉じると芝川の水位が上がり、そのままだと芝川が氾濫するため、排水機(ポンプ)で強制排水し荒川に流す設備。 最大毎秒50m3(1分間に25mプール6個分の水量)の排水ができるそうだ。 昭和52年(1977)に完成した。

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⑤GardenCafe IMUZIO
・・・・・・・・・・・川口市領家5に、機械・鋳造などを製造していた(株)大泉工場がある。 同社は、時代の変化で平成20年(2008)に製造業を終了し、倉庫業、ロケーションレンタル業、OKS FACTORY/GARDEN事業に移行した。 その工場跡地が整備され、IMUZIO GARDENとして、憩いの場として整備・利用されている。、、、、、、きれいな園内にはポップコーン工場もあり、いい匂いがする。 チョイと昼食前で辛いね!

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・・・・・・・・・・・・・敷地の一角に、昭和13年(1938)に建てられた、石造2階建の洋館が残されている。 内部は現在非公開だが、多数の素敵なステンドグラスが使われていたり、貴重な調度品も残っているようだ。、、、、、、内部を拝見したかったが、突然の訪問でダメ!

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⑥元郷圦ノ口庚申塔
・・・・・・・・・・・川口元郷駅の近くに、文政11年(1828)に建立された庚申塔がある。 

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・埼玉高速鉄道の川口元郷駅 から電車に乗り、帰ろ~~。

2015年11月12日 (木)

中目黒~学芸大学

東急東横線の中目黒駅から学芸大学駅まで、1万1千歩、8Kmの散歩です。


①中目黒駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に相対式2面2線の高架駅として開業した。 昭和39年(1964)には、日比谷線が乗り入れ島式2面4線となった。、、、、、日比谷線は日吉まで乗り入れてたが、現在は全て中目黒止まりである。 かわって、副都心線が乗り入れてる。、、、、、駅改札は高架下で、出入口は山手通りに面している。 

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②目黒銀座商店街
・・・・・・・・・・東横線の南側50m程にほぼ並行して、「目黒銀座商店街」がある。 元気そうな商店街だ。 すれちがう可愛い娘がいそぎ駅へ向かう。、、、、ところで、鋭い疑問が頭の中でわいた。 ここは“中目黒駅”まで50mの距離であるが、なぜ“中目黒銀座商店街”と言わないのだ??? 地図みて納得! 商店街のある町は上目黒2丁目であった。 つまり、所在地:「上目黒」に、至近駅:「中目黒」(JRで最も近い駅は恵比寿)を冠した商店街名をつけられず、当たり障りのない“目黒”にしたのだろうね。

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③天祖神社
・・・・・・・・・・商店街から駒沢通りに出る手前に天祖神社(上目黒2)がある。 天祖神社とは、天照大神を祀り伊勢神宮を総本社とする神社で全国で約4400社ある。 ここもその内の一社。、、、、、創建年代不詳、調べられないほど、なにしろ古いのだ!、、、、、現社殿は昭和8年(1933)に新築されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・境内には、宝永5年(1708)と、道標をかねている享保元年(1716)の2基の庚申塔が建立されています。 道標には「是より末町さき四辻、大道九品仏道、右せたかい道、左ふとう道」とあるそうで、九品仏 への道、世田谷城への道(せたかい道)、目黒不動 への道(ふとう道)を案内している。

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④祐天寺
・・・・・・・・・・・祐天寺(ゆうてんじ)は、中目黒5丁目にある浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来である。 寺は、小石川伝通院・増上寺の大僧正を勤めた祐天上人の高弟祐海上人が、祐天上人を開山と仰いで享保3年(1718)に創建した。、、、、、祐天上人は、徳川吉宗・大岡越前神忠相の時代に、町火消し制度を考案したので、火消し・消防と縁の深いお寺とされている。

・・・・・・・・・・・・・・駒沢通りに面する表門をくぐり、境内に入る。

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門がお出迎え、、、、、仁王門の左奥に阿弥陀堂があるが、只今、大林組の手で大修理中のため、拝見することはできなかった。

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・・・・・・・・・・・・・・奥では本堂が待っている。

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・・・・・・・・・・・・江戸消防記念会が寄進した、火消しの纏の図柄を配した賽銭箱が私を待っていた。

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・・・・・・・・・・・・・鐘楼

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⑤さわら庚申
・・・・・・・・・目黒区中町2丁目、駒沢通りの祐天寺2丁目交差点の近くにある「さわら庚申」。 近くにさわらの木があったことからこの名がついたそうだ。、、、、、、堂の中に、3基の庚申塔があり、庚申塔は道標を兼ねて、道案内が彫られているそうだが、私には読めなかった。 

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⑥十日森稲荷神社
・・・・・・・・・・・・十日森(とうかもり)稲荷神社は、もと五本木の旧家の屋敷神を移したと伝えられている。 旧上目黒村五本木組の鎮守であった。、、、、、十日森の由来については、稲荷神を祀った森から“稲荷(とうか)”森が変じて“十日森”となったという、こじつけ的な説があるらしい。、、、、、現在の本殿は明治17年(1884)の建築で、拝殿は昭和32年(1957)に建てられた。

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⑦学芸大学駅
・・・・・・・・・・駅名の由来となった東京学芸大学は昭和39年(1964)に小金井市へ移転しているが、駅から800m程西に行った世田谷区下馬に東京学芸大学附属高等学校がある。 チョイと、こじつけだね! 隣の都立大学駅も、都立大が多摩へ移転し、名称も首都大学に変わった。、、、、、、昭和2年(1927)に碑文谷駅として開業したが、その後、「青山師範駅」、「第一師範駅」、「 学芸大学駅」と変わってきた。、、、、、昭和40年(1965)に島式ホーム1面2線の高架駅となる。

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2015年11月11日 (水)

山王

大森駅西側の山王2丁目・4丁目を、ウロウロ・キョロキョロ、チョイと怪しく、チョイとスマートに、1万2千歩、9㎞の散歩です。


①大森駅
・・・・・・・・・・大森駅は、鉄道開業4年後の明治9年(1876)に開業した都内では三番目に古い駅。 ちなみに、最古参は明治5年6月仮開業した品川駅、続いて同年10月に正式開業した新橋駅である。、、、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、ホームの上屋は木造の小屋組みである。、、、、、、明治の開業とは思えないね!

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②天祖神社
・・・・・・・・・・大森駅西口正面に鎮座する天照大神。 創建年代不詳。、、、、、駅前の池上通りを挟み、崖に上るような急階段がある。、、、、、この階段の奥が山王2丁目の住宅街で、朝は境内の脇を抜け駅に向かう人が多い。

・・・・・・・・・・・・・・大森駅前から見る階段。 階段の途中から、勾配は急になる。 『下から覗いちゃダメ!』

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・・・・・・・・・・・・・空襲で本殿は焼失し、昭和28年(1953)、残っていた神楽殿を解体し、その木材で切妻造の本殿を再建した。 拝殿は入母屋造向拝付き。

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③山王2丁目の住宅
・・・・・・・・・・・・まずは町並みから、、、、

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・・・・・・・・・・・・KA邸、、、、、、、木造和風住宅の脇に洋風の造りがみえる。

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・・・・・・・・・・・・・TU邸、、、、、、スクラッチタイルを張り、大正13年(1924)に建てられたライト風デザインの住宅。 間違いなく文化財クラスの建物。

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・・・・・・・・・・・・BO邸、、、、、、、、戦前の建物と思われるが、庭木と太陽が邪魔して撮れず。

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・・・・・・・・・・・・・SA邸、、、、、、、個人経営の会社として利用されているようだ。

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・・・・・・・・・・・・・KI邸、、、、、、、大きな和風住宅

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④大森射的場跡
・・・・・・・・・・・・・山王2丁目にある、「日本帝国小銃射的協会跡」(大森射的場跡)。 明治22年(1889年)から昭和12年(1937年)ごろまで、小銃の民間訓練場として使われた。 昭和12年頃になると、周辺に住宅が増え始めたため、射的場は鶴見に移転した。 現在は大森テニスクラブとなっている。、、、、、温泉場に在るのは“射的場”、こちらは小銃の“射的場”、どちらも同じだ!

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⑤山王の坂
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・清浦坂、、、、、、、山王交番前から大森駅に下る途中に在る、長さ85mの少々急な坂。 大正時代の政治家で、大正11年(1922)に総理大臣に就任した清浦奎吾(きようらけいご)が、坂の途中に居を構えていた。、、、、今は「清浦さんの坂」と言うらしい。

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・・・・・・・・・・・・闇坂、、、、、、、山王2丁目と4丁目の間にある坂。 長さ170mの急な坂(高低差12m、平均斜度4度) 。  昔、坂のそばに八景園と言う遊園地があり、反対側には加納子爵邸があって、坂に八景園の樹木がうっそうと覆いかかり、昼間でも暗かったため闇坂(くらやみざか)と呼ばれた。、、、、、いまでも、薄暗いね!

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⑥木原山ロッジ・
・・・・・・・・・・山王4丁目にある木造のアパート。 昭和40年(1965)頃に建てられたらしい。 小高い処中腹にあり、その名のごとく“ロッジ”の趣がある。

・・・・・・・・・・・・・まずは、扉のない門を入ると、敷石と落ち葉を踏んで奥へ進む、、、、

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・・・・・・・・・・・・・どこぞの温泉宿かと勘違いする風情が、目にはいる、、、

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・・・・・・・・・・・・・・裏へ回ってみてもロッジ風だ!、、、、、いいね!

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⑦野口ビル
・・・・・・・・・・大森駅前に戻り、天祖神社の左隣に野口ビルがある。 このビルは、昭和9年(1934)の竣工、設計は佐々木芳次郎、施工は東亜鉄筋コンクリート工業である。、、、、、、佐々木芳次郎は、関東大震災後の大正12年(1923)に建築された「神田藪蕎麦」の数寄屋造りの建物(一昨年焼失)を設計した佐々木芳次郎と、同一人物かも?

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・・・・・・・・・・・・佐々木芳次郎の設計による、焼失前の藪蕎麦。(2011/9/18:撮)

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2015年11月 9日 (月)

南千住~浅草

今朝7時、チョイと雨のぱらつく曇り空。 散歩はせずに、我が家で“ゴロゴロ寝”と決め、時間をつぶしていた。 9時頃、『雨やんでる、散歩してきたら。 午後は降るそうよ。』と女房の声に促され、南千住駅から我が家まで、9千歩、7㎞の散歩です。


①HD300ハイブリッド機関車
・・・・・・・・・名のごとく、この機関車は、ディーゼル発電機を動力源とする機関車とリチウムイオンバッテリーを動力源とする機関車の機能を備えた、日本初のハイブリッド機関車である。 国鉄時代に開発されたDE10形ディーゼル機関車などが老朽化し、HD300形はJR貨物が新たに開発し平成24年(2012)2月から投入されている。 現在22両が、主に関東以北の貨物駅で構内入替用として使用されている。、、、、、南千住の隅田川駅にて5号機を撮影。

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・・・・・・・・・・・・・・2年前に撮った4号機

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②豊川稲荷社
・・・・・・・・荒川区南千住5丁目、南千住仲通り商店会に背を向けて
鎮座するお稲荷さん。 由緒書きはなく、屋敷稲荷として祀られていたのかも?

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・・・・・・・・・・・・商店街の半分はシャッターが下り、“商売繁盛”のご利益はないようだ?

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③日本堤
・・・・・・・・・・・箕輪(現:三ノ輪)から吉原の北側を抜け桜橋の近くで隅田川に合流していた山谷堀に沿い造られた土手道を「日本堤」(または、二本堤)と呼んだ。 今は、土手道はなくなり、跡が「土手通り」となっている。 山谷掘りは埋め立てられ、公園となっている。 町名の“日本堤”は戦後に名付けられた町名で、箕輪と吉原の間の山谷掘の東側を指す。、、、、、大雑把にいうと、かつての“山谷”地区の西側半分。

・・・・・・・・・・・・・・日本堤の裏通り。

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・・・・・・・・・・・・・山谷のドヤ街の中心、いろは会商店街。 ここも、多くの店がシャッターを下したが、活性化に向けた新たな取り組みとしてミュージックフェスタを開催している。、、、、、でも、イベントのない普段はアーケードもむなしく、閑散とした通りだ! 

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④地方橋・地方新橋・紙洗橋
・・・・・・・・私が生まれるかなり前、我が家に近い柳橋から隅田川を上り、浅草の北側で山谷掘に入り吉原へ、小さな猪牙船が行きかっていた。 山谷堀は廓(くるは)通いのメインルートであったかも?(私も一度は、猪牙船で通ってみたかった!)、、、、、、戦後、売春防止法が制定され吉原は無くなり(ソープランド街になり、表向きは無くなった)、山谷堀は昭和50年(1975)までに全て埋め立てられた。 跡地は山谷堀公園となっている。、、、、、山谷堀には、隅田川寄りから今戸橋、聖天橋、吉野橋、正法寺橋、山谷堀橋、紙洗橋、地方新橋、地方橋、日本堤橋が架かっていた。

・・・・・・・・・・・・地方橋 (じかたはし)、、、、、昭和4年(1929)竣工、工費2万400円也。

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・・・・・・・・・・・・・地方新橋 (じかたはし)、、、、、おいおい、堀の上にロッカーなぞ置くなよ、公園が泣いてるぞ!

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・・・・・・・・・・・・・紙洗橋 (かみあらいはし)、、、、、昭和4年(1929)竣工、工費1万2000円也。

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⑤浅間神社
・・・・・・・・・浅草5丁目にある、“浅草のお富士さん”こと「浅間神社」。 元禄年間(1688~1703)の創建と言われている。 現在は浅草神社の兼務社。、、、、、毎年、春に「お富士さんの植木市」が開かれる。

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⑥浅草寺に寄って帰る
・・・・・・・・・本堂、今日は空いてる、ガラガラ・スカスカ、ガラスカだ!

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・・・・・・・・・・・・・浅草寺で記念撮影。

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・・・・・・・・・・・・・・こちらは日本のお方

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・・・・・・・・・・・・・・中国から来た中年夫婦? 遅ればせながら七五三かな?

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・・・・・・・・・・・・・帰るぞ!

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2015年11月 6日 (金)

馬込~立会川

都営浅草線馬込駅から京浜急行立会川駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。


馬込駅
・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 出入口は頭上を走る第二京浜に出る2か所と、松原橋の橋下に出る1か所の3ヵ所がある。、、、、、今日は松原橋の下に出て、ここから歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・・・松原橋は昭和15年(1940)に完成した、環状七号線と第二京浜国道が立体交差する橋。

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②東馬込1丁目
・・・・・・・・・・馬込駅の東側、すなわち第二京浜の東側が大田区馬込1丁目の町である。 おもに住宅地として利用されている。、、、、、北側は大田区と品川区の区界である。 西側から東に向け尾根がはりだしたような地形で、区界は谷のように低く、起伏の多い町である。 年寄りにはチョイとつらいね!

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③如来寺
・・・・・・・・・・西大井5丁目に帰命山養玉院如来寺(きみょうざんようぎょくいんにょらいじ)がある。 その昔、上野(台東区)にあった養玉院と芝高輪(港区)にあった如来寺の2寺が大正12年(1923)に合併して成立した。、、、、、如来寺は合併以前の明治41年(1908)年に現在地に移転したそうだ。 

・・・・・・・・・・・・・・・平成元年(1989)に落慶した山門。

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・・・・・・・・・・・・・・・山門から緩やかなのぼり坂の参道を、色づきはじめた落ち葉を踏み奥へ進むと本堂がある。

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・・・・・・・・・・・・・本堂の隣りに、五智如来像(大日如来、薬師如来、宝生如来、阿弥陀如来、釈迦如来の5体)が安置されている堂:瑞應殿(ずいおうでん)がある。 5体の像は約3mで、『大井の大佛(おおいのおおぼとけ)』と呼ばれているそうだ。 ただし、薬師如来像以外は堂とともに火災で焼失し、宝暦年間(1751~1764)に再建された。、、、、、奈良・鎌倉はデカくて立派だから“大佛(だいぶつ)”、如来寺は遠慮して・謙虚に“大佛(おおぼとけ)”、私の喉には“のど仏”、こんな駄洒落は『ほっとけ!』
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④滝王子稲荷神社
・・・・・・・・・・品川区大井5丁目、大井警察署の西にある稲荷神社。 “神社”と言うより“祠”と言う感じ。 何もない境内に、稲荷の赤い幟と、樹齢300年のタブノキと、同じく同年代に近いイチョウが彩りを添えている。、、、、、滝王子の名は、昔この付近に滝氏という一族が住んでいて、稲荷社と王子権現を祀っていたことに由来するともいわれている。、、、、、王子の狐が滝の稲荷に嫁入りしたのかな?

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⑤西光寺
・・・・・・・・・・浄土真宗本願寺派の西光寺は、弘安9年(1268=鎌倉時代)に開創した。 もとは、麻布善福寺 末であった。、、、、、、本堂前の桜が枝振りを披露してる。

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立会川
・・・・・・・・・・・・10年程前から立会川の浄化に取り組んでいる品川区の努力もあり、一時期の黒く淀んだ川は無くなり、川底のゴミもなく、綺麗になってきた。、、、、、これで、鯉でも生息すればOKだ!

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⑦立会川駅
・・・・・・・・明治37年(1904)開業の駅で、チョイとした古株の駅だが、快特、特急の優等列車は、逃げるように猛スピードで通過する駅。 停まるのは、普通とエアポート急行だけ。

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2015年11月 5日 (木)

永青文庫

水道橋のクリニックで定期検査を受けた後、芸術の秋にふさわしい、チョッピリ、エッチな春の画を鑑賞してきた。    


①キャンディーズ
・・・・・・・・・私が月一回通うクリニックはの後楽園に在る。 今日も水道橋駅で下車すると、ホームに「キャンディーズ」のポスターが貼られてた。 ランちゃん、スーちゃん、ミキちゃん、『おや、何だ?』、、、、、キャンディーズの解散コンサート(昭和58年(1983))を収めたDVDの発売ポスターだ。 中年男性の足が止まるポスターだ!、、、、私も、「本当に私たちは幸せでした」、ミキちゃんといっしょに「普通の親爺に戻りたい」と心で叫んで、クリニックへ向かった。

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聖マリア大聖堂
・・・・・・・・・心電図、血液検査、X線、全て“異常なし”。 気分良く、江戸川橋を抜けて文京区関口へ来た、『そうだ、マリア様に挨拶をして行こう!』、、、、、丹下健三の設計、大成建設の施工で、昭和39年(1964)に竣工したカテドラル関口教会の聖マリア大聖堂。 最高部の高さ39.41mは普通のビルの13階ぐらいに相当する。、、、、、外壁のステンレス・スチールが輝き、光を放つ聖堂は、まぶしく美しい!、、、、、、この大聖堂を見ると、ジュディ・オングを思い浮かべ、“マリア様”と聞くと安西マリアをイメージし、続いて安西愛子を連想し、「お山の杉の子」が聞こえ、♪♪昔 昔 その昔 椎の木林のすぐそばに 小さなお山が あったとさ あったとさ ・・・・・・♪♪、、、、、私の連想は止まらない・・・・ 

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③春の画
・・・・・・・・・・カテドラル関口教会の近くに、元総理の細川護熙が理事長を務める永青文庫 がある。 旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料を蒐集する、日本・東洋の古美術を中心とした美術館である。、、、、、ここで、この秋、大英博物館やヨーロッパ諸国、日本の美術館、個人が所有するコレクションから肉筆画約30点を含む120点の春画が展示されている。 私も知る、鈴木春信、喜多川歌麿、葛飾北斎の作品なども鑑賞することができる貴重な展示だ。、、、、今日は平日なので、ゆっくり鑑賞できると思い出かけたが、夫婦で、恋人同士で、母娘で、ナント、満員である。 皆さん、芸術を心から堪能しているようで、私語も少なく、じっくり鑑賞。 子供には見せられない、リアルな場面が多く、なぜか言葉が出ないようだ。

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・・・・・・・・・・・・グッズ売り場では、展示品の図録(高価だ!)が、おじさんに人気! 若い娘は、絵葉書を手にして『これ、送れないね!』、ハンカチを手にして『だれにあげようか?』と、言いながら買って帰る。、、、、、写真は、パンフレットと私も買った絵葉書。

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④関口芭蕉庵
・・・・・・・・・・・・江戸時代の俳人:松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、1677年から3年間住んだ場所。 当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、芭蕉はこれにたずさわり、この地に住んだといわれる。 建物は焼失し、第2次大戦後の建築である。、、、、、現在は文京区が管理する史跡の一つで、公園のようだ。

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2015年11月 4日 (水)

王子~巣鴨

昨日は女性の眠りに誘われて、我を忘れて気がつけば、降りる駅はすでに過ぎ、失敗・失敗!、、、、、今日は、確実に王子駅で降りた。

王子駅から都電を見ながら巣鴨駅まで、1万1千歩、8Kmの散歩です。


①王子駅
・・・・・・・・・・・明治16年(1883)、日本鉄道(上野~熊谷)の開業と同時に営業を始めた古い駅。 築堤上に島式ホーム1面2線があり、その東側の高い高架橋には東北新幹線が走り、西側には宇都宮線・高崎線列車が走行する列車線、湘南新宿ラインと貨物列車が走行する貨物線が並行する。 改札口は北口・中央口・南口の3か所がある。

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・・・・・・・・・・・・・駅前のロータリーもある北口。

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・・・・・・・・・・・・・・飛鳥山下ガードをくぐる都電。 右端には王子駅中央口。

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・・・・・・・・・・・・・・新幹線の高架下に都電の王子駅前停留場 がある。 乗降客も多く、数分おきに発着する各車両は満員状態である。

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②飛鳥山停留場
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・王子駅から明治通り走り、飛鳥坂を上りきると飛鳥山交差点。 ここまでは、車と御一緒に走る。

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・・・・・・・・・・・・・飛鳥山交差点から都電は専用軌道に戻る。 その専用軌道の入口に飛鳥山停留場はある。

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・・・・・・・・・・・・・明治44年(1911)に王子電気軌道が設置した後に、東京市電路線が乗り入れた飛鳥山停留場。
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・・・・・・・・・・・・・停留場付近から眺める専用軌道は、真っ直ぐに、緩やかにくだり、いいね!、、、、、♪♪線路は続くよ どこまでも ・・・・・・♪♪

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・・・・・・・・・・・・・停留場の近くの本智院には、身代地蔵尊が祀られている。、、、、受験生の身代受験も引き受けると賽銭の実入りも良くなると思うよ!

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③桜丘中・高等学校・円形校舎
・・・・・・・・・・北区滝野川1丁目、都電の軌道脇に建つ円形校舎。、、、、、「円形校舎」は、円柱の中央に階段室などを配し、放射状に教室をつくることで、廊下部分の面積の節約、日当たり・通気も良く、経済的であることなどから、昭和30年代に多く建てられ、全国では約100棟におよんだそうだが、築50年以上経過した各地で解体・取り壊しが進み、現在は30棟ぐらいが残っている。、、、、、桜丘中・高等学校の円形校舎の建築時期は不詳。

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④滝野川一丁目停留場
・・・・・・・・・・・・明治44年(1911)に設置された。 滝野川1丁目のほぼ中央に位置する。

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⑤滝野川1丁目の和風住宅
・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・MZ邸、、、、、、格子窓も綺麗な住宅。

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・・・・・・・・・・・・・SU邸、、、、、、防火用水もワンポイント! 「四番組」とは、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・個人住宅ではないが、東京歯科衛生専門学校の屋敷門。、、、、、、平成15年(2003)、第一回北区景観賞に選ばれた。 塀の中は、学校の日本庭園が造られている。、、、、、、チョイと車が邪魔だ!

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⑥KM邸
・・・・・・・・・・・・木造2階建ての建物、建築年代は不詳であるが、大正・昭和初期と思われる。 外壁は綺麗に塗りなおされ、窓枠にはサッシも入れられ、古さを感じさせない、また形状もシンプルで、スッキリとしている。

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⑦三叉路の庚申塔
・・・・・・・・・・三叉路の角に庚申塔がある。 「元文五庚申」(1740)「十二月吉日」が読み取れる。

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⑧西ヶ原四丁目停留場
・・・・・・・・・明治44年(1911)の開業当初は滝野川停留場と呼ばれた。 都に経営が移ると現停留場名に改称された。

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⑨妙行寺
・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場から先は豊島区西巣鴨となる。 その西巣鴨4丁目に、法華宗陣門流の妙行寺がある。 妙行寺は寛永元年(1624)に赤坂で起立し、四谷へ移転し、明治40年に現在地へ移転した。

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・・・・・・・・・・・・・境内には、四谷怪談のお岩さんの墓所がある。 お岩様が、夫田宮伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永13年2月22日であり、爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺である妙行寺の上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれたそうだ。、、、、、後ろの塔婆を見たら多くは、役者、劇団、劇場の名が記されていた。、、、、、、昭和40年の映画『四谷怪談』では、伊右衛門役は仲代達矢、お岩役は岡田茉莉子だった。

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・・・・・・・・・・・・・お岩さんの墓の近くには、浅野家遥泉院供養塔もある。 ちなみに、墓所は夫:浅野長矩と同じ高輪泉岳寺に葬られている。、、、、、、NHK「元禄太平記」の松坂慶子の遥泉院(阿久里)役は印象に残っているね!

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⑩新庚申塚停留場
・・・・・・・・・・白山通りと都電が交差する位置に、新庚申塚停留場がある。 停留場名に“新”がついているが、隣の庚申塚停留場と同じ、明治44年(1911)の開業だ。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・新庚申塚停留場から白山通りを南下して巣鴨駅へ

2015年11月 3日 (火)

西川口~鳩ヶ谷

王子で下車するつもりで京浜東北線に乗ったが、私の前に座っている女性が、心地よい電車の揺れで日暮里を過ぎるとコックリコックリ。 『どこまで行くのか知らないが、寝てると乗り過ごすよ』と、注意してあげたいけど、「いらぬ節介 ありがた迷惑 口も手もだす エロじじい」と思われるのも嫌だから、「見猿 聞か猿 言わ猿」でいたら、自分が王子で降りるのを忘れた。、、、、、車窓からは青空が見える、『よし、先日は川口で降りたから、今日は西川口で降りよう!』、、、、、今度は、失敗せずに西川口で下車した。、、、、、ちなみに、コックリの女性は、西川口より先に行った。

西川口駅から鳩ヶ谷駅まで、1万3千歩、10㎞の散歩となった。


①西川口駅
・・・・・・・・・・・・昭和29年(1954)に、国鉄最初の橋上駅舎として開業した、島式ホーム1面2線を有する地上駅。 平成19年(2007)には東口に駅ビルがオープンした。

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②合格通り商店会
・・・・・・・・・・・西川口駅東口正面から真っ直ぐに伸びる商店街で、駅前の“メインストリート”である。 商店街のホームページによると、、、、、昭和51年(1976)に西川口東口商店振興会として発足し、平成18年(2006)に「合格通り商店会」に名称変更した。 前年の平成17年(2005)には、花の街づくり運動で「内閣総理大臣賞」受賞。 平成20年(2012)、駅前に合格の鐘設置、合格稲荷設置。、、、、、先に商店街名が「合格通り」に変わり、後付けで「合格」の鐘・稲荷の設置とは、それでも“合格”の言われ、判らないね?、、、、鐘・稲荷ともに駅前に在るらしいが、私は気づかなかった。

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の裏通りには、スナック・居酒屋などが並んでる。

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③青木中央通り
・・・・・・・・・合格通り商店街に続いて、「青木中央通り」が川口オートレース場に伸びている。 この通りは、両側の歩道に、美しく鉢植えの花も飾られている。

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④上青木浄水場給水塔
・・・・・・・・・・・・・・オートレース場前に在る、川口市で、戦後、最初に井戸が掘られ市内に給水を始めた浄水場が上青木浄水場である。 浄水場なので、場内には入れず塀ごしに、高く立ち上がっている給水塔。 塔の上から、景色を見てみたいね! 

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⑤川口オートレース場
・・・・・・・・・門の前で、開門を待つファンが並んでる。、、、、、“入場無料”だ、散歩をやめて勝負するほうが面白かったか?

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・・・・・・・・・・・・・・平成23年(2011)撮影の川口オートレース場

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⑥竪川樋門・竪川排水樋門
・・・・・・・・・・・オートレース場の北側を流れる竪川(たてかわ)が新芝川に合流する直前に通過する二つの樋門が道路を挟み対角に並んでいる。 マイナーな川に、マイナーな樋門は、昭和54年(1979)に設置された。、、、、私のコメントも『あっ、そ!』で終わり。

・・・・・・・・・・・・・・・竪川上流から流れ下り、樋門の直前で分岐し、手前は竪川排水樋門に向かう、右側は竪川樋門に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・竪川排水樋門
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・・・・・・・・・・・・・・・竪川樋門
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⑦宗信寺
・・・・・・・・・・・・川口市上青木にある、日蓮宗の長陽山宗信寺。 鎌倉時代の正応4年(1291)に現在地に創建された富士山光妙寺を前身とする寺。 その後、江戸時代前期に、池上本門寺(現:大田区)の日豊上人を中興の祖として招き、現在地に宗信寺が建立された。 

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⑧上青木氷川神社
・・・・・・・・・・宗信寺の前には、上青木氷川神社がある。 素戔嗚尊(すさのおのみこと)を御祭神として、室町時代中期文明2年の創建で武蔵国の古社。 

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⑨安楽寺
・・・・・・・・・・・・新義真言宗智山派に属し、金剛山と号する。 創建年代不詳だが、聖観世音菩薩を本尊とし、中興開山は寛永15年(1638)である。 

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・・・・・・・・・・・・・境内の大日堂は門徒寺であった養福寺の堂であったが、廃寺となり堂だけが残されたため当寺へ移された。、、、、、、シブイ! 深みのある大日堂だ。

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⑩新芝川
・・・・・・・・・・上青木5丁目から新芝川を越えて、川口市里(さと)に入る。、、、、荒川の水を元郷の近くで取水し、埼玉高速鉄道のトンネルを利用し浦和美園駅に送り、新芝川に流し浄化しているそうだ。 だから、この辺りの水はきれいになっている。 自然がよみがえるのはいいね!

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⑪鳩ヶ谷駅
・・・・・・・・・・鳩ヶ谷駅は、川口市大字里にあり、国道122号(岩槻街道)の地下にある埼玉高速鉄道線の駅。 平成13年(2001)に開業。 開業時は鳩ヶ谷市の駅であったが、平成23年(2011)の鳩ヶ谷市と川口市の合併より川口市の駅となった。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、私より後に生まれて、先に消滅した、いまはなき「鳩ヶ谷市」。 

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