大島
亀戸駅から、京葉道路の南側、丸八通り(都道476号)の東側に位置する、江東区大島の裏通りを歩いてきた。 マンションの敷地に入り通行禁止、団地の建物をぐるり一周して元の道に、住宅の路地裏に入り込み行き止まり、、、行ったり来たり、右往左往して、おろおろ、おたおた、1万4千歩、10kmの散歩となった。
①亀戸駅・・・・・・・・・・・総武鉄道の駅として、明治37年(1904)に開業した。 その一週間後には東武亀戸線の亀戸駅も開業し、総武鉄道の両国橋(現:両国)駅まで乗り入れ、明治43年(1910)まで直通運転されていた。 現在は島式ホーム1面2線の高架駅。、、、、、今日は土曜で通勤客も少ないが、平日は地元のサラリーマンのほかにも、東武線沿線のサラリーマンがココで乗り換えるため、かなり乗降客の多い駅である。
②京葉道路・・・・・・・・・・靖国通りより連続し、浅草橋交差点から京葉道路となり千葉県曽我まで伸びる。 浅草橋交差点から江戸川区一之江までは一般道路で、その先は高速道路となる。 今日は道路も空いている、江東区亀戸6丁目から眺めると、、、、
・・・・・・・・・・・・・西側:都心方向を眺めると、左側に黄色のショッピングモール「サンストリート亀戸」(旧第二精工舎の跡地に建設された)が見える。 この建物の脇を、専用軌道で葛西橋行の都電が走っていた。
・・・・・・・・・・・・・東側:遠く千葉方面を眺める。 この先で、丸八通りとクロスする。
・・・・・・・・・・・・・・京葉道路(14号)と丸八通り(都道476号)の交差点。、、、、「丸八通り」とは、元大関:高見山が寄付した道路。 これは嘘で、真相は、明治の頃この付近に丸八と称する御香屋があったことに由来する。
③カーサ第一亀戸・・・・・・・・・・「日本のガウディー」と言われる梵寿綱(ぼんじゅこう、ドラード早稲田 、LA PORTA IZUMIなどを設計)が、まだ会社勤めの若い頃設計したマンション。、、、、、昭和49年(1974)竣工、中野組施工、鉄骨鉄筋コンクリート、12階建て、、、、、内部は一般のマンションとは変わっていないが、外壁面のオレンジ色のタイルに特徴が出ている。
④亀戸浅間神社・・・・・・・・・・亀戸9丁目の亀戸浅間神社は、大永7年(1527、=室町時代)に創建された。 祭神は木花咲耶比売命。、、、、、、現在の本殿は昭和初年(1926)に建立されたものであるが、平成10年(1998)の大島・亀戸・小松川防災再開発事業にともなって、今の位置に移動した。、、、、境内には、富士塚、地蔵、道標、城東電気軌道の線路など多くの文化財が残されている。
⑤大島7丁目の町・・・・・・・・・・・「大島」は“おおじま”と読みます、“おおしま”と読んだら伊豆七島です。
・・・・・・・・・・・・・竪川に架かる「新六の橋」と言っても、川は暗渠化し、頭上は首都高だが、橋を渡り大島の町に入る。
・・・・・・・・・・・・・・表通りは、14階建ての「大島九丁目第二アパート」(平成18年築)などが、壁のように建ち並ぶ。、、、、、気持ちは、“目障りだ!退け!”と叫びたい。
・・・・・・・・・・・・・表通りを避け、大島7丁目の裏道に入る。、、、、、裏通りは、しっくりくるね!
・・・・・・・・・・・・・この付近では、道端に消火器が設置されている。 消防車も入りにくい一画もあるので、“備えあれば憂いなし”。
・・・・・・・・・・・・・裏道を抜けると、またまた大きなアパートが、旧公団が昭和48年(1973)に建てた鉄筋コンクリート造、14階建て、総戸数520戸の大島七丁目団地。
⑥東大島神社・・・・・・・・・・・昭和20年(1945)の空襲により、東大島地区にあった永平神社・子安神社・小名木神社・北本所牛島神社・南本所牛島神社が焼失した。 戦後、各神社の総代及び有志が5社の合併を決議し、昭和24年(1949)に現在地(大島7)に東大島神社が創立された。 現在の壮麗な社殿は昭和53年(1978)に完成、引き続き儀式殿・社務所も新しく建てられた。、、、、、こちらの神社では、今日も七五三詣でがあるらしく、写真を撮る娘が待機していた。 昔、七五三をやった親爺がチョイトの間、話し相手をして時間潰しのお手伝い。、、、、、明るい可愛い娘だった!
⑦大島5丁目の町・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・大島7丁目から、新大橋通りをこえて大島5丁目に入る。
・・・・・・・・・・・・・・大島中の橋南商店街(大島5・大島8)は、赤い旗が綺麗になびいているが、店舗は少なくチョイと寂しいね!
・・・・・・・・・・・・・・元気なおばあちゃんは買い出しに、、、、
・・・・・・・・・・・・・・大島5丁目、小名木川の岸に、慶安年間(1648~1651)に創建された、大島稲荷神社がある。 小名木川近くの海辺が度々津波に見舞われて、耕地が荒廃し住民が苦しんだことから、伏見稲荷大社の分霊を奉遷し産土神として奉ったのに始まるそうだ。、、、、、、昭和20年(1945)の空襲で社殿・社務所を全焼したため、社殿は戦後の再建である。
⑧丸八通り・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・大島5丁目から亀戸の方を眺める、、、、、車が少ないね!
・・・・・・・・・・・・・・小名木川をこえる丸八橋を渡る
・・・・・・・・・・・・・橋の上から眺める小名木川、、、、、真っ直ぐな運河だ!
・・・・・・・・・・・・・橋をこえると江東区北砂となる。 仙台堀川公園でチョッピリ秋を感じて、、、、、、南砂方向に歩き、帰宅する。