船橋~京成西船
JR船橋駅から総武線の北側を歩き、京成西船駅まで、1万1千歩、8Kmの散歩です。
①JR船橋駅・・・・・・・・・・・・明治27年(1894)に総武鉄道の駅として開業し、明治40年(1907)には鉄道国有法により買収され、国鉄の駅となった。 大正12年(1923)には、北総鉄道(現:東武鉄道野田線)も開業。 昭和45年(1970)に国鉄船橋駅は高架となる。、、、、、現在は、快速・緩行用の島式ホーム2面4線の高架駅。、、、、、、JRの一日当たりの乗車人員は、約135,000人で、千葉県内最大の駅である。 私の住む浅草橋駅は約53,000人で、船橋駅の半分以下である。 悔しいが、負けた!、、、、、今日は、東武船橋の駅ビルがある北口から歩く。
②2本足の建物・・・・・・・・・・・・船橋市海神にある住宅です。 鉄骨の柱2本で床を支えています。、、、、、、私には、熟睡できそうもない家だ!
③京成電鉄海神架道橋・・・・・・・・・・船橋市海神2丁目と3丁目の境にある架道橋。 この架道橋は京成電気軌道が大正5年(1916)中山~船橋間を開通させたときに造られたものである。、、、、、ちなみに、中山~船橋間(4.3㎞)の延伸工事は大正5年8月に着工し、同年12月30日に開通している。 この区間は丘陵の起伏が激しく、切通し工事、盛土工事と変化にとんでいたが、工期6か月程で完成している。 信じられない早さだ、“おそれ入谷の鬼子母神”。
・・・・・・・・・・・・・・約170m東京方に寄ったところに、もう一つ煉瓦造の架道橋がある。 おそらく、こちらも同時期に造られたものであろう。
④海神駅・・・・・・・・・・・海神山と呼ばれる丘陵に、大正8年(1919)に開業した小さな駅。 相対式ホーム2面2線の地上駅。
・・・・・・・・・・・・知ってると鉄道オタクになれる知識!、、、、、昭和4年(1929)、この海神駅から総武鉄道野田線(後に東武鉄道に吸収)の船橋駅まで、総武鉄道野田線の線路がひかれ接続していたのだ。昭和9年(1934)に廃線となる。 地図を見ると、海神駅から京成本線の北側を並行し、海神小学校の南側をとおり船橋駅まで一本の道が伸びている(黄色のマーカー部分。 スイッチバックの線形のようだ)、線路敷きの跡が道路に変わったと一目で判る。
⑤裏道を歩く・・・・・・・・・・・京成本線の北側:海神5丁目、西船2丁目・3丁目の裏道を歩いて西船駅に向かう。
・・・・・・・・・・・・まずは、海神駅の西側にある「京成西船6号」踏切をパチリ。、、、、踏切を見ると写真を撮りたくなる悪い癖!
・・・・・・・・・・・・住宅が並ぶ裏道。 アレ、未舗装だ! 砂利道に懐かしさを感じるね。
・・・・・・・・・・・・・・オウ、モダンな(チョイと御世辞も入ってるけど)小学校だ!
・・・・・・・・・・・・・・今度は鉄塔が!、、、、私も男だ、尖がったもの、巨大なものが好きなのでパチリ。、、、、後で知ったのだが、近くに変電所があるので鉄塔が多かったようだ。
・・・・・・・・・・・・・JR武蔵野線をこえると、京成本線西船駅は近い。
⑥宝成寺・・・・・・・・・・西船駅の近くにある、曹洞宗の寺院。 葛西茂春六郎が創建、領主成瀬之成が中興開基となり、慶安元年(1648)には徳川家光より寺領30石の御朱印状を拝領した。、、、、、徳川家康に仕え、家康の子の義直が尾張徳川家を創設した際、お付家老として後見した成瀬正成が、当所、この地:栗原郷に四千石を与えられた。 その後、犬山城主となり、正成の跡は次男之成が栗原藩を継いだ。 宝成寺は江戸時代の初めに成瀬氏の江戸における菩提所の一つとなった。、、、、、葵の御紋がアッチ・コッチに見られる山門と本堂だが、最近、建てたようだ。
⑦京成西船駅・・・・・・・・・・通称は「西船」駅。 大正5年(1916)に葛飾駅として開業し、昭和62年(1987)に京成西船駅に改称した。 西船駅の所在地は東葛飾郡葛飾町(それ以前は葛飾村)であり駅名は「葛飾」であった。 昭和12年(1937)葛飾町は船橋市の一部となり、周辺の町名も「西船」と変わり、駅名も改めた。、、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅。