篠崎街道 (下篠崎町~上篠崎)
篠崎街道の続き、きょうは「新町商店街入口」バス停から「浅間神社」バス停まで、1万2千歩、9㎞の散歩です。
・・・・・・・・・・・・「新町商店街入口」バス停から、散歩はスタートする。、、、、、JR小岩駅から、瑞江駅行のバスで約20分、220円である。 都内ではあるが、23区の片隅に来て、“遠くに来たもんだ!”と感じる。
・・・・・・・・・・・・江戸川区には、道路空間に「親水」の機能を持たせた親水緑道が、18路線(延べ18km)ある。 ここ、篠田堀親水緑道(江戸川区下篠崎町)もその一つで、延長1600mの親水緑道である。 しっかり水も流れ綺麗に整備され、町にうるおいとやすらぎのある、空間を演出している。
・・・・・・・・・・・・・・親水緑道の東側には、公団によって昭和51年(1976)に建てられた9階建ての下篠崎町団地(3棟、総戸数143戸)がある。 この付近では、高い建物だ!
・・・・・・・・・・・・・団地の前を抜け江戸川に向かうと、病院の脇の土手(篠崎町3)に地蔵菩薩が祀られていた。 菩薩の横には、旧伊勢屋村の住民が建立したと彫られている。 明治22年(1889)、市制・町村制が施行され、伊勢屋村は他の5村と合併し篠崎村となった。、、、、、この地蔵は合併後の作と思われる。
・・・・・・・・・・・・・・地蔵の後ろの土手に上がると、江戸川水閘門が目の前に見える。 東京湾の海水が上流へ遡上することを防止し、金町の浄水場で安定的な取水を確保する目的で昭和18年(1943)に竣工した。、、、、ここが、水閘門のある旧江戸川と行徳橋 の方に流れる江戸川の分岐点である。
・・・・・・・・・・・・・篠崎街道の東側に江戸川水閘門、西側には無量寺(篠崎町3)がある。 無量寺は、真言宗豊山派の寺で、本尊は“量りしれない喜びを与える無量寿仏(阿弥陀如来)”である。 昭和58年(1983)に観音堂・本堂を、昭和62年(1987)に山門を、再建した。 建物は新しいが、境内全体は重厚なイメージでまとめている、落ち着いた雰囲気の寺だ。
・・・・・・・・・・・・・篠崎町3丁目、京葉道路江戸川大橋の西詰に、仔馬のポニーと遊べる「ポニーランド」がある。 その厩舎のある施設の角に、篠崎街道の「河原渡場道の庚申塔石造道標」が残っている。、、、、、正面には「青面金剛」の文字と三猿と「此方 江戸道」の文字が、左側面には「文政八 酉十月吉日」、右側面は判読しがたく、「此方下かま田新川道」と刻まれているそうだ。
・・・・・・・・・・・・・京葉道路の北側に来ると、篠崎街道の道幅は広がり、線形は蛇行し、江戸川土手にすり寄ってくる。 そして、上篠崎の町に入ると江戸川土手の下を並行する。
・・・・・・・・・・・・・土手上から見る江戸川、対岸は市川市。
・・・・・・・・・・・・・・上篠崎のあたりは農業を営む家も多いようだ! 畑、ビニールハウスが点在し、中には“産地直売”のノボリを出す家も! 大地主と農業を兼業し、小遣い銭は産直野菜の販売で、ガッポリ儲かっているのかな?
・・・・・・・・・・・・・・・上篠崎1丁目の浅間神社は、天慶元年(938=平安時代)に創建された江戸川区内で最も古い神社である。 明治時代には神祇官を拝命するなど、郷社としても多くの人に崇敬されてきた。、、、、、境内は広く、社殿は小高い山の上に在る。 また、境内社も多く、霧島神社、須賀神社、香取神社など14社もあり、さらに幼稚園もある。、、、、、神社では、すでに年末年始の参拝の受入準備で、拝殿前にはテントが張られ、境内には照明の線を引き回し、忙しそうだ。