東京~赤坂見附
品川方面を歩いてみようと思い山手線に乗ったら、東京駅直前で車窓から丸の内の黄葉のイチョウが見え、衝動的に下車した。 大手町の黄葉の多くは散ったあとで、私の足は皇居、国会議事堂、山王神社を抜け赤坂見附駅まで、1万1千歩、8Kmの散歩となった。
①東京駅丸の内駅舎前で・・・・・・・・・・夜汽車にゆられ いびきで眠れず 母の手を引き やっとこ着いた、『東京だょ おっ母さん』。 朝の駅前に降り立てば、朝弁の焼売のカスが入れ歯に残り、チョイと匂うね!、、、、、一粒で二度おいしい崎○軒の焼売だ!
・・・・・・・・・・・・・・まずは、おらーの村にゃ無い 西瓜(Suica)で乗れる駅だっぺ。 駅さ、造ったのは 唐津の役人のせがれ「辰野金吾」郎だっぺ。
・・・・・・・・・・・・・駅の前には、天を突くよな 高け~ぃビル。 腰さ曲がって、上さ見るのはつれ~ぃもんだ! “丸ビル”だって? 丸くねえぞ、真っ直ぐだ!
・・・・・・・・・・・・・イチョウの黄葉、綺麗なもんだ。 おら~も、ビフィブスヨーグルト毎日飲んで、胃腸は綺麗なもんだ!
②皇居・・・・・・・・・・・♪♪ 久しぶりに 手をひいて 親子で歩ける うれしさに 小さい頃が 浮んで来ますよ おっ母さん ここが ここが 二重橋 記念の写真をとりましょうね ♪♪、、、、、、、「せがれや、どっちを見てる おっか~は こっちぞえ! 60過ぎになっても 助平癖は 治らんようだ!」
・・・・・・・・・・・・・・「せがれや、これが天皇様のお住まいだべか?」 「おっか~ これは巽櫓(たつみやぐら)と言うて 天皇様に使える辰巳芸者の住まいかも?」 「どおりで、白く塗りたくっているものだ!」
・・・・・・・・・・・・・・死んだ親爺の話しでは、、、、、70年前、この橋の前で 復員した親爺は泣き崩れたそうだ。 日本を復興させると陛下に誓い、働き手となる若い者を増やすため、村さ戻った親爺は、その日の晩におっか~と祝言を挙げ、その夜にせがれの俺をつくったと、自慢しておった。
・・・・・・・・・・・・・・おっ母さん、この懐かしい交番は「祝田町見張所」と言うて、明治21年(1888)頃に、ここ皇居正門前に建てられたそうだ。 「せがれや、こんな小そううて どこで 用をたすのやら?、、、?」
・・・・・・・・・・・・・おっか~、この大きい門は渡櫓門、小さい門が高麗門、両方合わせて桜田門。、、、、、、死んだ親爺の残した下着 大きいシャツに 小さいパンツ 両方合わせて おっか~の寝間着。
③国会議事堂・・・・・・・・・・・東京駅から 母の手引いて やってきました、『議事堂だょ おっ母さん』。 山奥の 田舎暮らしにゃ 政治は知らん 知っているのは 土俵と関取。、、、、、、「おっか~、それは国技館だべ、ここは議事堂だ!」 「ありゃ? 何時から名前変えたと?」 「わしゃ知らん、安倍晋三だべ!」、、、?、、、安倍晋三は、“I'm sorry.”で、“ごめんなさい”
・・・・・・・・・・・・・・「こんな立派な国技館、いつ造ったのかね?」 「議事堂は、大正9年(1920)に着工し、17年かけて昭和11年(1936)に完成したそうだ」
・・・・・・・・・・・・・・議事堂前の公園でひと休み。 「あんれ! 公園にローマの神殿のミニチュアがあっぺ」 「あれは、日本の山の高さを決める基準となる原点標を保護する建物だ!」(日本水準原点標庫 )、、、、、、「ローマ神殿 壊せぬ小屋だ いつのまにやら 文化財」
④山王日枝神社 ・・・・・・・・・・・・「おっか~、ここまで来たら 山王さま(山王日枝神社)に 手さ、合わせてけえろ!」 「来年の干支の猿が、神さんの使いでいる神社だべ!」 「おっか~、よ~知ってるな。 縁結びに御利益を期待して、60過ぎたが、ピチピチのギャルと赤い糸で結ばれるよう、賽銭奮発すっぺ!」、、、、、「猿のお尻は 毛がなく赤い むすこ嫁見て顔赤い」
・・・・・・・・・・・創建年代不詳。 文明10年(1478)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越日枝神社を城内に勧請したのが始まりらしい。 東京大空襲で、社殿を焼失し、昭和33年(1958)に再建した。
●・・・・・・・・・・・・・・・きょうも、ちゃらけて、安倍晋三!
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