土器の出土地 弥生
我が家(浅草橋)から、御徒町、東大、根津、谷中を回って鶯谷駅まで、1万5千歩、11㎞の散歩です。
①9軒長屋+9軒長屋 ・・・・・・・・台東区台東4丁目には、9軒長屋が向い合せに建つ狭い路地がある。 路地には、自転車、洗濯機、エアコン屋外機などが置かれ、路地中央のマンホールの蓋とともに、長屋の景色にリズムを奏で、演出している。、、、、、お江戸の長屋は、「のぞき 聞き耳 なんでも OK すべて オープン プライバシー」。 そして長屋の住人は、「若い 二人は 深夜に 燃える 火元が 心配 眠られぬ」
②御徒町駅・・・・・・・・・大正14年(1925)、鉄道省の駅として開業した、現在は京浜東北線電車および山手線電車の2系統が停車する。、、、、、島式ホーム2面4線の高架駅で、出口は北口と南口の2か所がある。、、、、写真は、大正14年、竣工時の御徒町駅。
・・・・・・・・・・・・北口はアメ横に近い春日通りに面している。南口は松坂屋の駐車場前に出る。 駅は只今改良工事中。
・・・・・・・・・・・・・・南・北出口の中間にでは、高架下の店舗を取り壊して工事していた。 そこに、煉瓦造の構造物を見つけた。 おそらく、竣工時の駅舎の一部と思われる。、、、、、私は、煉瓦の構造物を見つけると、興奮する癖があるようだ。 美人を見るともっと興奮するのだが、、、、、?
③不忍池のカモメ・・・・・・・・・・・カモメを見つめて、独り言、、、、、「沖の カモメに 深酒 させて かわい あの子と 千鳥足(?)」
④暗闇坂・・・・・・・・・・・東京大学本郷キャンパスの北側に位置する、約300mの緩やかな坂。 坂は、東大弥生門と、弥生美術館・竹久夢二美術館に挟まれている。 、、、、、坂の案内板には、「暗闇坂 (くらやみざか) 江戸時代は,加賀屋敷北裏側と片側寺町の間の坂で,樹木の生い茂った 薄暗い寂しい坂であったのであろう。 江戸の庶民は,単純明解に このような坂を 暗闇坂 と名づけた。23区内で同名の坂は 12か所 ほどある。区内では,白山5丁目の 京華女子高校 の裏側にもある。 この坂の東側 鹿野氏邸(弥生2-4-1)の塀に,挿絵画家,高畠華宵の記念碑がはめ込まれている。華宵は,晩年 鹿野氏の好意でこの邸内で療養中,昭和41年7月に亡くなった。大正から昭和にかけて,優艷で可憐な画風で 若い人たちの大きな共感を呼んだ。 文京区教育委員会 昭和59年3月」と、記されている。
・・・・・・・・・・・・・・写真、右側が弥生美術館・竹久夢二美術館、左側は東大
・・・・・・・・・・・・・・東大の弥生門と門の正面に建つ工学部第3号館。 工学部3号館は平成25年(2013)に、旧建物の外壁を保存し改修工事が完了した。 旧建物は、内田祥三の設計で、昭和14年(1939)に完成した。
・・・・・・・・・・・・・弥生美術館の近くの住宅:S邸。 昭和初期の建物か?
⑤東京大学浅野キャンパス・・・・・・・・・・・・東大の本郷地区のキャンパスは、安田講堂のある本郷キャンパス、主に農学部が使用する弥生キャンパス、工学部が使用する浅野キャンパスの3キャンパスに分かれている。 (それぞれのキャンパスは至近の距離にあるが、間に公道が通り、分断されている。)、、、、、、浅野キャンパスは、暗闇坂の北側にあり、住所は文京区弥生2丁目である。、、、、、校舎の建物は、戦後に建てられたものが多い。
・・・・・・・・・・・・・・キャンパスの奥に保存されている「弥生二丁目遺跡」。 弥生式土器と命名された土器が出土したのは向ヶ丘貝塚と呼ばれる地点だが、その現在地は不明となった。 浅野キャンパス内には、遺跡が複数あり、弥生二丁目遺跡を含め、弥生式土器の出土地となっている。
・・・・・・・・・・・・・・言問い通りに沿いのキャンパスの一画に、「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑が建てられている。、、、、、、今日は石碑の横の枝を植木屋さんが切っていた。 碑文の下が読めないが、「弥生式土器発掘ゆかりの地」と彫られている。
⑥サトウハチロー住居跡・・・・・・・・・・文京区弥生2丁目に住んでいた、詩人サトウハチローの住居跡。、、、、、サトウハチローの詩、最近、耳にしなくなった。 不勉強の私だけか? 40年前は、披露宴の最後に、新郎新婦の母に感謝するメッセージとして、必ず誰かが読んだもんだ。 詩を聞いて、涙して、ありがとうして、宴はお開きに!
⑦異人坂・・・・・・・・・・・文京区弥生2丁目の北側にある坂。 名の由来は、、、坂の風景が長崎の坂の街に似ているので、異人坂と呼ばれたという説、、、、昔は坂下から見上げると坂上に異人さんが住んでいるようで、異人坂と呼ばれたという説、、、、どちらが、いいかはお好みで!、、、、、、坂上には東大農学部があり、この辺は浅野侯爵の所有地が多くあったそうだ。 坂の途中に刻まれている、「昭和6年2月工事竣成 浅野侯爵家建設」なるプレートは何を意味するのか?
・・・・・・・・・・・・・・異人坂の上には、チョイと歴史がありそうな住宅(弥生2)が建っていた。
・・・・・・・・・・・・・・札幌旅館は数年前に閉館し、廃墟化していた。 弥生に在って、札幌とは?、、、、、北海道からの修学旅行客相手に営業していたのか? 私の勝手な憶測だ!
・・・・・・・・・・・・異人坂から西へ進むと、東大農学部にぶつかり、道なりに曲がり、奥へ進むと階段坂となる。 下れば、文京区弥生から文京区根津に変わり、根津神社(根津権現) に出る。
●・・・・・・・・・・・・・・・・・この後、根津を抜け、鶯谷駅へ
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