高円寺
青空の下、北風が後方から吹き付け、チョイと寒さを感じ、マフラーを巻き直したくなる日だ。 荻窪方面でも歩いてみようかと家を出たが、電車に乗っているうちに、「高円寺」(寺)に行ってみようと、「高円寺」(駅)で下車し、駅南側の「高円寺」(町)周辺を歩いてきた。 1万歩、7㎞。
①高円寺駅・・・・・・・・・・新宿駅~立川駅間に甲武鉄道が開業したのは、明治22年(1889)で、明治39年(1906)に国有化された。 高円寺駅は大正11年(1922)に開業。 昭和41年には現在の高架駅となる。、、、、、駅で地図を見て、高円寺に行く前に長仙寺に寄ってみることにして。 今日は南口に出た。、、、、、東京駅で、八重洲口に出て丸の内口に行くには、大変! 我が浅草橋駅も、西口に出て東口に行くには駅の端から端まで歩くので、チョイとしんどいね! 高円寺駅は、改札が1か所で、右へ曲がれば南口、左へ曲がれば北口、駅の中を通り抜けできるので、違う出入口に出てもすぐに反対側の出口に行ける、便利でいいね!、、、、、「私 北向き あなたは 南 ともに 寝返り 仲直り」
②長仙寺 ・・・・・・・・・・・杉並区高円寺南3にある真言宗豊山派長仙寺は、宝永元年(1704)に創建された。 戦災で堂宇を全焼し、昭和44年(1969)に鉄筋コンクリート造の寝殿造りの現本堂と庫裡を再建した。 昭和56年(1981)には八脚門が建てられた。、、、、、高円寺駅まで、直線距離で50m程、駅前商店街の一画にある。 しかし、樹木が茂る静かな広い境内は、門前に飲食店が並んでいることを忘れさせる。、、、、、呑めない私は、スグ忘れるが、酒好きは寺を忘れて酒を忘れず。、、、、、、「寺で 念仏 おわれば 呑み屋 家で 待つ神 知らぬが仏」
③高円寺・・・・・・・・・駅名となった、正真正銘の高円寺。弘治元年(1555)に開山した、曹洞宗の寺院である。 将軍徳川家光が鷹狩りの際、度々立ち寄り、お茶の接待をした徳川家ゆかりの寺。 本尊は観音菩薩で、「桃園観音」と呼ばれている。(チョイと艶っぽい名で、ぜひ一度、拝んでみたいね。)、、、、、寺は寛保2年(1742)、弘化4年(1847)、明治33年(1900)、昭和20年(1945)と4度罹災し、現在の本堂は昭和28年(1953)に宮大工・中村青雲により再建された。(只今、本堂は瓦の葺き替え工事中。)
・・・・・・・・・・・・・境内の開運子育地蔵堂。 堂内を覗くと、“子作り”地蔵堂かと思った。、、、、、高円寺駅北側の「高円寺庚申通り商店街」にも、似たような御神体が祀られている。、、、、、、、ナイショで、小型のレプリカを持ってる信心深い人もいるようだ。
・・・・・・・・・・・・・・高円寺参道の南側に桃園川緑道がある。 桃園川は、杉並区天沼3の天沼弁天沼公園を水源として、杉並区、中野区を通り、北新宿付近で神田川に合流していた。 戦後、近隣の宅地化がすすみ、桃園川も昭和40年代までにすべて暗渠化された。 その上に、杉並区、中野区が緑道を整備し、現在は約2.3kmの緑あふれる遊歩道となっている。、、、、、その「桃園」の名は、江戸時代、高円寺の境内に桃の木が多くあり、将軍が「桃園」と呼ぶように命じたそうだ。(その後、桃園は中野に移された。)
④カトリック高円寺教会・・・・・・・・・・・教会は昭和3年(1928)東京で10番目の教会として誕生した。昭和6年(1931)に地下聖堂として建てられたが、戦災で焼失し、昭和24年(1949)地下聖堂の上に現在の聖堂がたてられたそうだ。 聖堂の下にも出入り口があるのはそのためらしい。、、、、、、シンプルで落ち着いた感じのする教会だ!、、、、、、今日は日曜礼拝で、多くの信者が集まっていた。 遠慮して、チョットだけパチリ!
⑤真盛寺・・・・・・・・・青梅街道と環七通りが交差する杉並区梅里1に、天台真盛宗の東京別院で、本山は滋賀県大津:西教寺である、天羅山養善院真盛寺(しんせいじ)がある。 寛永8年(1631)に現在の文京区湯島に創建され、その後、谷中、本所に移り、大正11年(1922)に現在地に移転した。 江戸日本橋の越後屋(現:三越)の菩提寺である。 境内は広く、庭は綺麗に手入れされ、静寂と威厳と平穏を感ずる。
・・・・・・・・・・・・・・墓地へ、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・ここの墓地は、公営の霊園のように区画も広く、まさに仏の安住地である。 その一画には、三井組の大番頭で、三井財閥の中興の祖である三野村利左衛門の墓、そして三越社員墓所などもある。
⑥堀の内三丁目アパート・・・・・・・・杉並区堀ノ内3、環七通りに面して1棟だけポツリと建つ、昭和44年(1969)完成の14階建て(291戸)都営住宅。 屏風のように、視界を遮り、威圧するようだ。
⑦妙法寺・・・・・・・・・・・堀の内3の、元和(1615~1623=徳川秀忠の時代)の頃、真言宗の尼寺であったが、日蓮宗に改宗した。 元禄12年(1699)には身延山久遠寺の直末となり、日蓮大聖人の像があらゆる災難除けに霊験あらたかであることから、「堀ノ内やくよけ祖師」と呼ばれている。、、、、、、「厄払い 神社に行こうか お寺に行こか できることなら尼寺へ」
・・・・・・・・・・・・・妙法寺の鉄門・・・・・・・・・・この鉄門(国の重要文化財)は、鹿鳴館、岩崎邸、ニコライ堂などを設計した、英国人建築家:ジョサイア・コンドルの設計により明治11年(1878)に完成したものである。 寺に和洋折衷のデザインによる門とは、奇異ではあるが、モダンな組み合わせ。 門柱の左右には漢詩もある。
●・・・・・・・・・・・・・・今日は、各寺に賽銭をはずみ、懇ろに手を合わせ、年末ジャンボの一等当選と、家内安全をお願いしてきた。、、、、、、「神よ 仏よ ジャンボ 当てて 願い かなって ポックリと!」 (早死にしたくないので、2等の1000万円でもいいね。)
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