白金北里通り
地下鉄南北線の白金高輪駅で下車し、港区白金の町の中央を抜ける白金北里通り(都道305号の白金1丁目交差点~恵比寿3丁目交差点、約1.2km)を歩き、帰りは裏通りを通って白金高輪駅まで、9千歩、7㎞の散歩です。
・・・・・・・・・・・「港区白金」の町の南側は「港区白金台」で、超金持ちの「シロガネーゼ」が住んでいるのは白金台である。 白金台をとおる有名な道が「プラチナ通り」。 白金に住む人の中には、“城がねーぜ”の人もいる。
①白金高輪駅・・・・・・・・・東京メトロの南北線と、都営地下鉄の三田線が乗り入れている駅。 平成12年(2000)に開業した、島式ホーム2面4線の駅である。 駅名は、駅の東西の町、「高輪」と「白金」に由来する。、、、、、、ホームで電車を待つ人を見て“セレブ”かと思ったが、よく考えるとホントの“セレブ”は電車に乗らないね!
②白金1丁目交差点・・・・・・・・・・都道305号(白金北里通り)の始点。
③立行寺 ・・・・・・・・・白金高輪駅の西側(白金2)に、法華宗陣門流の立行寺がある。 寛永7年(1630)、旗本大久保彦左衛門(大久保忠教)によって麻布六本木にて創建された。 寛文8年(1668)に旧地が火災に遭い、現在地に移転した。、、、、、、境内には鞘堂付の大久保彦左衛門の墓がある。 近くに一心太助の墓もあるが、架空の人物と言われているので、怪しいね(?)
④白金氷川神社・・・・・・・・・・・白鳳年間(650~654年頃)に、所謂白金村の総鎮守の氏神様として、大宮の氷川神社を遥拝する当地に建立された。 江戸時代、明和9年目(1774)、目黒の行人坂から出た火災により類焼、その後、大規模な権現造りの社殿が造営されたが、昭和20年(1945)戦災で被災し、社殿は焼失した。 昭和33年(1958)、現在の本殿・拝殿・参道・社務所等の境内整備が行われた。
・・・・・・・・・・・・・後醍醐天皇・護良親王・楠木正成公はじめ203柱の吉野朝の諸忠臣を祀る境内社「建武神社」もある。
⑤北里研究所/北里大学・・・・・・・・・・北里研究所は、大正3年(1914)、北里柴三郎により設立された私立伝染病研究所。 現在は、北里大学、北里研究所病院などもある。 本部は、白金5丁目。、、、、、、只今、大村智特別栄誉教授のノーベル賞受賞で、大学はお祭り騒ぎかと思っていたが、予想外に静かであった。
・・・・・・・・・・・・・・薬学部3号館の屋上に尖塔が?、、、、、この尖塔は、大正4年(1915)に芝白金に、北里柴三郎が建てた研究所本館尖塔のレプリカである。 木造二階建ての旧北里研究所本館は、30年前に愛知県犬山の明治村に移築され、現存している。
・・・・・・・・・・・・・・・・北里研究所病院前の庭に鎮座するコッホ・北里神社。 細菌学の父ロベルト・コッホのもとに集まった弟子の中で北里柴三郎が1番優秀で忠実な弟子だったそうだ。 北里はコッホ博士に心からの尊敬と信頼をささげた。 コッホ博士亡き後も自らが所長を務める伝染病研究所に師の遺髪をまつる祠を建てて恩を偲んだ。 北里の死後門下生が隣に北里祠を建てた。 昭和20年(1945)、東京大空襲で北里祠は焼失するがコッホ祠は無事で、これを機に師弟が合祀され、コッホ・北里神社となって、現在の前庭に祀られた。
⑥昭和の街並・・・・・・・・・・・北里研究所から恵比寿3丁目交差点にかけ、白金北里通りには昭和の匂いが残る看板建築・長屋建築などが残っている。
⑦亀屋橋・・・・・・・・・・・・北里研究所病院の裏手に位置し、古川に架かる小さなトラス橋。、、、、歴史の在りそうな、古い橋だ! 昭和初期に架けられたのか?
⑧古川地下調節池整備事業・・・・・・・・・古川は、護岸が老朽化し、水害の危険性も有しているため、平成10年度から整備が進められている。 その一環として、白金5丁目では、洪水被害への対策として、護岸整備と併行して、洪水ピ-ク時における河川の水を一時的に貯留させることを目的とした地下調節池を整備している。1時間50ミリメートル程度の降雨に確実に対応できる施設として、平成20年度から事業に着手し、平成25年度までに調節池トンネルが完成した。 平成27年度末取水を開始し、平成28年度末までに事業完了を予定している。、、、、、、、普段は水量も少ないようで、洪水は想像できないが、、、、、備えあれば憂いなし。