« 西馬込~久が原 | トップページ | 亀戸天神 »

2016年1月28日 (木)

浅草橋~町屋

今日も『梅一輪 一輪ほどの 暖かさ』を期待して、我が家(浅草橋)から清洲橋通り、小竹橋通りに沿って町屋駅まで歩いてきた。 1万3千歩、10km。




①旧柳北小学校
・・・・・・・・・・・我が家から徒歩1分、浅草橋に残る関東大震災の復興小学校の一つ旧柳北小学校は、わが母校なり。 小学校は、明治9年(1876)に設立し、平成13年(2001)に少子化により廃校となった。 現在、校舎は区立の保育室として使用されている。、、、、、大正15年(1926)に建てられた現校舎は鉄筋コンクリート造、3階建て。、、、、、今から60年程前の昭和30年頃は、私が学んだ3階の教室から富士山が見えた、当時としては周囲に比べ高い建物だった。

20160128-003




②コンゴ大使館・・・・・・・・・柳北小学校の北西側に、本物の大使館がある。 浅草橋5丁目の「コンゴ民主共和国大使館」。 人の噂では、港区・渋谷区などの山手は家賃が高いので、比較的家賃が安く、交通の便が良い、浅草橋に移ったそうだ。、、、、、近くのスーパーへ行くと大使館の人をよく見るね、暇なのか?

20160128-008




③清洲橋通り・・・・・・・・・蔵前橋通りと清洲橋通りが交差する「鳥越1丁目交差点」から、清洲橋通りを歩くことにした。、、、、、「清洲橋通り」は、台東区入谷から明治座前をとおり、隅田川を清洲橋で渡り、江東区を東西に横切り、葛西橋の近く東砂6丁目交差点までの道路の通称である。

・・・・・・・・・・・・鳥越1丁目交差点、、、、、まだテレビの無い頃、交差点の近くには3軒の映画館があった。 「鳥越日活」、「新東京」、「?(名前を思い出せない)」、私もボケたか?

20160128-010


・・・・・・・・・・・・元浅草1丁目交差点、、、、、春日通りと交差する。

20160128-013


・・・・・・・・・・・・稲荷町交差点、、、、、仏具屋が並ぶ浅草通りと交差する。

20160128-021

20160128-027

・・・・・・・・・・・・東上野5丁目付近
20160128-038

・・・・・・・・・・・・清洲橋通りの起点、入谷交差点、、、、、、写真:右側は昭和通り、左側が清洲橋通り。
20160128-043



④永昌寺・・・・・・・・・・地下鉄稲荷町駅の出入口近くに、室町時代に開創された浄土宗の永昌寺がある。 ここは、講道館柔道の祖である嘉納治五郎が、明治14年(1881)に寺内の書院に12畳の道場を開いた処である。 道場は関東大震災で焼失した。、、、、、現在は石碑があるのみ。、、、、、なお寺の北側には、数年前まで“同潤会最後のアパート”と言われた「上野下アパート」があった。
20160128-031

20160128-034



入谷鬼子母神・・・・・・・・・・入谷交差点にある、萬冶2年(1659)に開山した法華宗本門流の仏立山真源寺。 『恐れ入谷の鬼子母神』と言われる鬼子母神を祀っている寺で、毎年7月、門前で催される朝顔市は有名である。
20160128-054



御行の松不動尊・・・・・・・・・・・根岸4丁目の不動尊の境内に「御行(おぎょう)の松」と呼ばれる松がある。 「御行の松」とは、江戸時代に松の木の下で、寛永寺門主が行法を行ったことに由来している。 松は江戸時代の錦絵にも描かれる有名な松であったが、昭和初期に枯れてしまった。、、、、、その松が植えられていた不動尊で、「御行の松不動尊」と呼ばれ、根岸の人々に親しまれた。 玉垣には、「根岸」の花街時代の料亭・置屋・待合・芸子の名が見られる。、、、、、今日は、節分の豆まきの準備か? 不動尊の前では仮設の舞台が組まれていた。
20160128-063



⑦神々森猿田彦神社・・・・・・・・・・台東区根岸から荒川区東日暮里に入り、東日暮里3丁目に「神々森(かんかんもり)猿田彦神社」と称する神社がある。 当地は江戸時代「カンカン森」と呼んだそうだ。、、、、、神社は汐入の胡録神社の分霊を勧請して祀ったと伝えられ、第六天社と称していたともいわれ、明治に入り胡録神社、次いで猿田彦神社と改称した。、、、、境内には、胎蔵界大日如来の種子(梵字)を刻む享保13年(1728)銘の庚申塔、根岸氏子中が文化7年(1810)に寄進した手水鉢、本殿内に「猿田彦太神」の銘を刻む自然石型の庚申塔などがある。、、、、、小さな神社だが、手を合わせる人は多いようだ。
20160128-069

20160128-072

・・・・・・・・・・・・・神社の裏手には、建て替えられた「東京朝鮮第一初中級学校」がある。 この付近には朝鮮の人は多いと知っていたが、低学年の子供が校庭で楽しそうに遊んでいるのを見て、その多さに驚いた。
20160128-078



三河島駅・・・・・・・・・尾竹橋通りに面して、ガード下に出入口がある三河島駅。、、、、、三河島駅は日本鉄道(現:常磐線)の駅として明治38年(1905)に開業したが、乗降客は少なく駅も地味だ。 マニア好みの駅である。
20160128-093



⑨六地蔵・・・・・・・・・尾竹橋通りを北上し、宮地交差点を越えて荒川区荒川4丁目の裏道角に、地蔵尊と石仏が数基建っている。、、、、寛永12年(1672)と刻まれた庚申塔などが並び、右端には地蔵尊が祀られて、本来の六地蔵ではないが、いつの間にか六地蔵と呼ばれているそうだ。、、、、、この辺りは古くから集落が開け、江戸へ向かう人々の道しるべとなっていたようだ。
20160128-108

20160128-112



⑩町屋駅・・・・・・・・・“町屋駅”と言われて、京成本線の町屋駅と東京メトロ千代田線の町屋駅、さらに都電荒川線の町屋駅前停留場をイメージできる人は地元の人ぐらいだと思う。 おそらく多くの人は3駅のどれかをイメージし、残りは思い浮かばないかもしれない。、、、、、、私は“町屋”と言われると、まずは斎場をイメージする駅である。千代田区・台東区には斎場はなく、私の身内の多く、ご近所の住民の多くは町屋の斎場(昔は火葬場といった)で骨となった。

・・・・・・・・・・・・都電町屋駅前停留場、、、、、大正2年(1913)に王子電気軌道(現:荒川線)の停留場として開業。 以来、地元住民の足となっている。
20160128-118

・・・・・・・・・・・・東京メトロ町屋駅、、、、、上下2層の構造で、各層に1面1線の地下駅。 昭和44年(1969)、営団地下鉄千代田線の町屋駅として開業した。
20160128-129

20160128-130

20160128-133

« 西馬込~久が原 | トップページ | 亀戸天神 »

散歩」カテゴリの記事

建築」カテゴリの記事

台東区」カテゴリの記事

荒川区」カテゴリの記事