十条~赤羽
埼京線十条駅から北へ向かい赤羽駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
①十条駅・・・・・・・・・明治38年(1905)、東京砲兵工廠に発着する貨物を取り扱う、日本鉄道の貨物駅として十条駅は開業した。 明治43年(1910)には旅客営業の十条駅が開業した。 駅の改札は、駅前ロータリーのある北口と、路地裏の南口がある。、、、、、北口駅舎の脇に、駅開業70周年記念碑(昭和55年建立)と動輪が置かれている。 この碑文では、駅は明治43年11月1日の旅客駅開業からカウントしているようだ。 いずれにしても古い話で、歴史ある駅だ。
・・・・・・・・・・・・現駅舎は大正14年(1925)に建てられ、昭和34年(1959)に改築した。

・・・・・・・・・・・・駅の脇にある、「十条駅開業70周年記念碑」(昭和55年建立)。 なぜか、「EF5870」のプレートと動輪が置かれている。 廃車の時期と碑の建立時期がほぼ同じ頃だからかな?

・・・・・・・・・・・・ホームは、埼京線内で唯一の相対式ホーム2面2線の地上駅となっている。 結構、乗降客があるようだ、とくに、降りてくるのは近くの女子大生が多い。





②十条銀座の裏道・・・・・・・・・・まだ、商店街も開いていないので、十条仲原の裏道を歩いてみた。 どこへ行くやら、どこへ出るやら、迷路のような裏道が続く、私には楽しい町だ!
・・・・・・・・・・・・・・駅前の「十条銀座」のアーケード下を歩かずに、三井住友銀行の横の裏道へ入った。

・・・・・・・・・・・・一昨日降った雪がまだ残る裏道は『This is JYUUJYOU』だ。



・・・・・・・・・・・・宝暦二年(1752、北町奉行:大岡越前守の亡くなった翌年)の庚申塔がお出迎え。

③十条仲原貯水槽・・・・・・・・・・裏道を抜け十条仲原2丁目で環七通りに出ると、円筒形の都水道局の貯水槽がある。、、、、、小さな貯水槽だが、現役だ!


④十条仲原3丁目・・・・・・・・・・・環七通りを横断して、北側の十条仲原3丁目に入る。 十条の“下町”に来たようだ! 赤く塗られたトタンの家、路地裏には井戸か?、日影の裏道は雪も残り、寒い!




⑤游鯉園の坂・・・・・・・・十条仲原の台地から、現在は暗渠化された稲付川に下る坂。 大正時代から戦前まで、坂下の川下にあった川魚料亭が遊鯉園(ゆうりえん)で、この坂の名前は、その料亭の名に因んで付けられた俗称。 明治の頃、坂下に水車小屋があり、旧稲付村(現在の赤羽西、西が丘、赤羽南にあたり)の農家がよく利用していました。、、、、長さ50m程の急な坂である。
・・・・・・・・・・・・十条仲原3丁目10番地付近の裏道で、『この先階段・・・・・』の看板が目に入った。、、、、興味が出てきた、行かずばなるまい。

・・・・・・・・・・・・・行った先には小さな階段が確かにあった。


・・・・・・・・・・・・階段は細い急な坂にぶつかっていた。 この坂が「遊鯉園の坂」である。、、、、、台地を一気に下り河原に出る山里の雰囲気を残した坂だ。


⑥水車の坂・・・・・・・・遊鯉園の坂を下り、かつての稲付川の河原に出た。 次は対岸の稲付の台地に上がる坂が「水車の坂」である。 現在は石段(北区西が丘2と赤羽西3の境界)となっている。 名前は、昔、坂の下に水車小屋があったことに由来する。、、、、、こちらは、クランク状に折れ曲がる急な階段だ!
・・・・・・・・・・・・遊鯉園の坂を下ると、『この先行き止まり・・・・』の標識が目に入る、こちらも行かずばなるまい。