高田馬場一丁目
高田馬場駅から、早田通り南側の「高田馬場一丁目」の裏道・路地を右へ左へ、行きつ戻りつ、ウロウロ・キョロキョロ、怪しそうに歩いて早稲田駅まで、1万歩、8kmの散歩です。
①JR高田馬場駅・・・・・・・・・明治43年(1910)、国鉄山手線の駅として開業。 昭和3年(1928)、西武鉄道の高田馬場駅が現在地(JRの東側)に移設される。 昭和39年(1964)、地下鉄東西線の高田馬場駅が開業。、、、、、JRのホームは1面2線の高架駅。 ホーム幅が狭いので、朝のラッシュ時の混雑は激しいものがある。 JR高田馬場駅の一日当たりの乗車人員は約20万人程で、JR東日本管内では12番目の乗車人数である。 ちなみに、上野駅は約18万人で13番目。、、、、、駅名は、伊予西条藩の菅野六郎左衛門らと村上庄左衛門らの決闘で、赤穂浪士四十七士の一人、堀部安兵衛が菅野に助太刀して名を挙げた。 決闘場所であった高田馬場(現:西早稲田)にちなんでいる。、、、、“決闘”と言えば、余談だが、ゲイリー・クーパー主演の「真昼の決闘」を思い出すね。 悪漢に復讐されるのが怖い保安官が、悪漢と決闘し勝つた後は、保安官バッジを投げ捨てて妻(グレイス・ケリー)と町を去っていく映画。 自分とゲイリー・クーパーが重なり、我妻とグレイス・ケリーが重なって見えるのは私だけか?


②BIG BOX・・・・・・・・高田馬場駅隣に、昭和49年(1974)にオープンした西武の「BIG BOX 高田馬場」は、ボウリング、スイミングプール、テニスなどのスポーツ施設が充実した商業ビル。 私も、40年程前にボウリング場を利用したことは記憶しているが、内部の仕様は忘れてしまった。、、、、、黒川紀章の設計による、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上9階建ての建物。、、、、、3年前に改修工事を行い、外装もチョイと変わったようだ。

③通勤・通学経路?・・・・・・・・・BIG BOXの脇を東に向かい、戸塚第二小の裏(南側)に鉤の手を組み合わせたような、曲がり曲がった裏道がある。 見ていると、サラリーマン、学生“ご愛用”の道らしい。
・・・・・・・・・・・裏通りを直進するかと思いきや?

・・・・・・・・・・・木の横を入っていくサラリーマン、OL、学生。 ママチャリも!

・・・・・・・・・・・道幅は御覧のとおり、一人分だ! 自転車のすれ違いはかなり難しそうだ!、、、、、ママチャリ同士のすれ違い、どちらが譲るか見てみたい。 女は強い! いずれ、血の雨が降るかもね?

・・・・・・・・・・・細い道を抜けると、今度はマンションの前に、花屋さん以上に鉢を並べたマンションが登場した。、、、、、チョイと入りにくい玄関先である。

④木造洋館風建築・・・・・・・・・高田馬場1丁目の木造建築。板張りに、漆喰壁(?)のような洋館風建築。 道路側の2か所の窓は閉じられているが、観音開きの雨戸をあけると、スライド式と思われる木枠のガラス窓がある。、、、、よく見ると、味わいのある建物だ。 昭和初期の建築か?


⑤諏訪公園・・・・・・・・・高田馬場1丁目の住宅街の中央付近に、諏訪公園はある。崖のような場所にあり、道路からは階段を上がることになる。、、、公園なので遊具は揃っているが、道路からは子供の遊ぶ様子は見えず、チョイと子供だけでは遊びにくい公園だ。、、、、若いカップルなら人目につかずいいかもね!



⑥早稲田松竹・・・・・・・高田馬場から早大へ向かう「早稲田通り」の途中にある名画座。 昭和26年(1951)封切館として開館、昭和50年(1975)からは2本立ての名画座として営業している。、、、、、私は一度も入る機会がなく、残念!

⑦富士見荘・・・・・・・・・高田馬場、早稲田は下宿、アパート、そしてマンションが、ゴチャゴチャと建ち並ぶ町である。 そのアパートの一つが富士見荘。 木造のゴク普通のアパートだが、木製の窓枠などにチョイと古さを感じる。 昭和40年(1965)に建てられたそうだ。


⑧日本館・・・・・・・・・・・こちらも高田馬場1丁目にある、今や、探さなければ見つからない“賄付きの下宿屋さん”。 女子禁制のここには、高校生や予備校生、大学生が住んでいるそうだ。 部屋は4畳半の和室で24室、共同トイレ、風呂なし、食事付で月5万7000円程度の家賃。、、、、、建物は昭和11年(1936)に竣工した、木造2階建てで、中庭があるそうだ。 建物竣工時は病院として利用されたらしい(?)

⑨諏訪神社・・・・・・・・・・高田馬場1丁目に鎮座するは、大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、武御名方命(たけみなかたのみこと)の二祭神。 諏訪神社は弘仁年間(810 - 824)に創建された都内有数の古社。、、、、かつて、この付近一帯は当神社にちなみ諏訪町(すわちょう)と呼ばれていたが、住居表示による町名変更により、地名としては消滅した。 いまでは諏訪通り、諏訪公園、諏訪町交差点などに名を残している。、、、、社殿は昭和55年(1980)に再建された鉄筋コンクリート造の厳つい造りだ!


・・・・・・・・・・・コンクリート製の校倉造の神輿庫。 校倉造りは木造だから湿気を調節してくれて価値があるのだが、コンクリート製とは何じゃらホイ?

・・・・・・・・・・・境内の一画には、明治天皇射的砲術天覧所址の碑がある。 神社の境内から射撃演習を見たそうだ。、、、、私は、“射的”と言われると、温泉場の射的場をイメージしてしまう。 温泉に入り、夕方、可愛い娘と旅館の下駄を履いて、カランコロン坂を下って射的場に行くのも楽しいね! 1000円払って、キャラメル一箱、残念! 明治天皇も温泉場で演習していたら、明治のミルクキャラメルぐらい貰えたかもね?、、、、、話題は変わり、写真右端にちょこっと見える木札(天覧所址を説明した木札)の日付は、ナント、昭和18年(1943)、戦前のものである。

⑩玄国寺・・・・・・・・・諏訪神社の西側に、真言宗豊山派の玄国寺がある。 寺は龍池山上珠院と号し、慶長6年(1601)頃、現在地の高田馬場1丁目に創建された。 かつては、隣の諏訪神社の別当寺だった。、、、、、山門正面に、高床の本堂が在る。その右に、馬場先門にあった明治の元勲岩倉具視の屋敷を大正15年(1926)に移築した庫裏がある。



●・・・・・・・・・・・・・・・このあと、西早稲田二丁目を、これまたウロウロ、キョロキョロ歩いて早稲田駅へ。
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